「ト・ト・トマト♪ トマ・トマト♪ う♪」
子ネコーの可愛らしく軽快な歌声に合わせて、小さなお耳がピコピコ動き、もふもふ尻尾はユラユラ揺れた。
画用紙の上では、クレヨンが楽しそうに動きまわっている。動かしているのは、もちろん、子ネコーのもふっと可愛いお手々だ。
最初に生まれたのは、赤い丸。
丸を描き終えると子ネコーは、クレヨンの箱の一つだけ空いた場所の上で、赤いクレヨンを掴んでいたお手々を離す。
大人たちは、「え?」と身を乗り出した。
ついさっきは、あんなに大事に大切そうに、優しくそっと箱に戻していたのに、どうしてしまったのだろうと心配しながらびっくりして、それから。すぐに違う理由で、もう一度、びっくりしなおした。二回目のびっくりは、感心のびっくりだ。
箱の中に落下するかと思われた赤いクレヨンは、定位置の真上でぷかぷか浮かんでいるのだ。どうやら、子ネコーは無意識のうちに魔法を使ったようだ。
魔法の気配を察していた長老だけが、「にょほほ」と余裕を見せていた。
さあ、やるぞと意気込んで使う魔法よりも、無意識で使ってしまう魔法の方が上手にできるのは、子ネコーに限らずネコーにはよくあることなのだ。
「ト・ト・トマトマ♪ トマ・トマト♪ ト♪」
にゃんごろーが次に選んだのは、緑のクレヨンだった。クレヨンを持ち替えている間も、トマトのお歌は続いている。
歌いながら、軽快なリズムに合わせて、赤い丸の中に緑の星を描いて、中を綺麗に塗りつぶしていく。丸の上方に生まれた星は、トマトのヘタだった。
ヘタを塗り終えると、クレヨンの箱の上、緑が横たわっていた場所の上に緑クレヨンを浮かべて、また赤を手に取る。
「おーみじゅーをゴクゴクッ♪ おひさみゃーのひーかりもゴックゴクー♪ まっきゃに♪ げーんきに♪ しょらっちゃよー♪ おーいしぃーい♪ ト・マ・ト♪ にゃ♪」
丸の中を綺麗に赤く塗り替えて、にゃんごろーのトマトが完成した。初めてのお色つき作品を、嬉しそうに「にゃふっ」と見下ろすにゃんごろー。
画用紙の真ん中に描かれた、握りこぶし大のトマト。なかなか、上手に描けている。
てっきり、すぐに感想を求められるかと思った大人たちは、褒めまくる準備をしていたのだけれど、可愛い肩透かしを食らった。子ネコーは、まだまだお絵描きと向き合っている真っ最中だったのだ。
感想どころか、みんなの様子を窺うことすらなく、にゃんごろーはひとりで満足すると、早速、次の作品へと取り掛かる。
選んだのは、緑。
また、新しいお歌が始まった。
「キュッ・キュッ♪ キュッ・キュッ・キュッ♪ キューリッ♪ ほしょくちぇ・なぎゃくちぇ・みろりのおやしゃい♪ のろらかわいちゃら・キュウリをカプリ♪ おみじゅがいっぱいちゅまってりゅー♪ ちゅるちゅる・ちゅるーににゃって・いるのを・はちゃけれ・しょのみゃみゃ・つみゃみぎゅいー♪ しゅうるぅのらぁ・にゃーんごろーは・いっちょーしゅきぃー♪」
キュウリのお歌は、トマトのお歌よりもリズムカルで切れがあった。興が乗り過ぎて、畑での犯行まで供述している。畑で、収穫前のきゅうりをつまみ食いするのが、にゃんごろーのお気に入りの食べ方のようだ。犯行……とはいったが、畑の持ち主であるハミルはそれを許しており、自らも子ネコーの真似をして、この食べ方に目覚めてしまったため、盗み食いではないことは念のために申し添えておく。
にゃんごろーは長老と違って、そういう悪さはしないのだ。
長老は、その辺りの事情を知っているので、犯行をほのめかすような子ネコーの歌を聞き流していた。ちょっぴり引っかかった他の大人たちは、長老が何も言わないのならば問題ないのだろうと納得し、画用紙の中のキュウリを覗き込んだ。
作者であるにゃんごろーも、画用紙の中に生まれたキュウリを見つめていた。満足がいく出来だったのか、「にゃふー」と口元を緩ませている。
こちらも、かなりの力作だった。力の入れ加減で、色の濃さを調整できることに気が付いた子ネコーは、それを利用して、キュウリのイボイボまでちゃんと描きこんでいるのだ。
画用紙の真ん中のトマトと、その右にゴロンと横たわるキュウリ。キュウリは、トマトの円をなぞるように、内側に向かって緩やかにカーブしている。
なかなか美味しそうに描けたとご満悦な子ネコーだったが、ふと気づいていしまった。真っ先に試し描きをした時の、赤くて短い線。それがトマトの頭上に、ちょこんと顔を覗かせている。
手に持っていた緑のクレヨンを、箱の上に浮かべる。緑がしまわれていた場所の真上だ。
赤と緑のクレヨンが、箱の上でスタンバイしている。
出番を待つ二本には視線を向けることなく、にゃんごろーは腕組みをして「ふーむ」と考え出した。お目目は、赤いちょこっとした線に注がれたままだ。
やがて、子ネコーは「は!」とお顔を輝かせた。
名案を思い付いたようだ。「にゃふふっ」と笑ってから、クレヨンの箱の方へとお手々を伸ばし、また歌いだす。
「イーチロジャームゥ♪ あーみゃくちぇ・おーいしーぃ♪ イーチロニャーミュウー、トーマトのおいろー♪ あかーいおいろー♪ おーいしーい・おーいろぉー♪」
赤いお色と、茶色いお色と、黄色いお色と、白いお色も使って。
にゃんごろーは、お歌を歌いながら、サラサラサラッとイチゴジャムを塗ったトーストを描き上げた。今日の朝ごはんで、初めて食べたイチゴジャム。その魅惑の甘さには、大いに感激させられたばかりだ。にゃんごろーの一等好きな食べ物……候補の一つだ。
「はわぁー……」
真っ白だった画用紙の上で、大好きな食べ物たちが色鮮やかに存在を主張している。
画用紙の上に涎を垂らすのではないかと心配になるくらいに陶然としたお顔で、自らが生み出したばかりの美味しそうなもの達を見つめるにゃんごろー。
画用紙の上には、見事に食べ物ばかりが並んだ。
真っ白い画用紙が、お皿のようにも見えてくる。
子ネコー的にも、満足のいく出来栄えだったようだ。
最後に、ご機嫌に極上な笑顔を浮かべて、それからまた。
にゃんごろーは「さて」というお顔で、クレヨンの箱へと視線を向ける。まだまだ、子ネコーのお絵描き熱は冷めるどころかアチアチなようだ。
使い終わったクレヨンたちが、箱の上でプカプカしている様子を見て、にゃんごろーは、今度は「お?」というお顔をした。クレヨンが浮いていることに、今初めて気づいたのだ。それでも、無意識とはいえ自分がやったのだということは、なんとなーく分かっているのか、それほど不思議がっている様子はない。
にゃんごろーは「ふむ」というお顔で、両手の肉球をクレヨンの箱に向けた。
すると、まだ未使用の、箱の中で眠っていたクレヨンたちが、箱の中から浮き上がってくる。
空中で、綺麗に整列したクレヨン隊。
子ネコーは満足そうに「むふぅん♪」と笑うと、画用紙へ視線を落として、それから首を捻った。
何かを察したトマじーじが、すかさず、新しい画用紙を用意した。お皿になってしまった画用紙の横に、まっさらな画用紙を置くと、にゃんごろーは顔を輝かせた。
トマじーじが予想した通り、画用紙のおかわりをご所望だったようだ。
長老がお皿にされた画用紙を自分の方へと引き寄せると、トマじーじが空いたスペースに新しい画用紙を滑り込ませた。お絵描きセットを配置した時同様の、流れるようなコンビネーションだ。
カザンは「ほう」と感心していたが、にゃんごろーは見事なコンビネーションにはまるで気づいていなかった。
新しい画用紙の出現には気づいたけれど、トマじーじのことは目に入っていないのだ。可愛くお口を開いたまま、自分の前に滑り込んでくる画用紙だけを目で追っている。
新しい画用紙も、またお皿になってしまうのだろうか?
次はどんなお料理が選ばれるのか、おとなたちは興味津々で子ネコーに注目している。
子ネコーが、手招きすると、ふわふわとクレヨンが飛んできた。
新しいお歌が始まる。
「こネコーら、もーりれ、れあっちゃのはぁー♪ ト・ト・トーマトのめらみしゃまぁ~♪ こーネコーをたしゅけてくりぇちゃのはぁー♪ ト・ト・トーマトのめらみしゃま♪ はっぱとはっぱのあいらきゃら~、おひしゃまキラキラふっちぇきちぇ~♪ キーラキラえらおにょめらみしゃまぁ~♪」
上機嫌で歌い、クレヨンを動かす、にゃんごろー。
お皿……ではなく、画用紙一杯に描かれたのは、人間の若い女性の顔だ。短めの赤い髪の毛。緑の瞳。弾けるような笑顔。
にゃんごろーが森で出会ったトマトの女神様。
木漏れ日を浴びて、輝くように笑っているミルゥの顔だった。
意外と特徴を捉えていて、髪の毛や目の色がなくても、ちゃんとミルゥだと分かる。
単に好きだというだけでなく、にゃんごろーには意外と絵の才能があるようだ。
クレヨンを定位置に戻してぷかぷかさせると、子ネコーは両手で掻き上げた画用紙を持ち上げて、頭上に掲げた。
「れきちゃ! りょーるにかけちゃ!」
トマトやキュウリの時とは違う、柔らかく幸せそうな笑みを浮かべて、掲げた絵を見上げるにゃんごろー。
昨日、ミルゥが森で転んだにゃんごろーを助け、お船の炊き出しスペースまで抱きかかえてきたことは、みんな知っていた。ミルゥ本人が、その時のにゃんごろーが如何に可愛かったのかを、青猫号のあちらこちらで熱く語って回ったからだ。
ミルゥは随分と子ネコーのことが気に入ったようだったが、それは、にゃんごろーも一緒だった。にゃんごろーも、ミルゥのことを特別に思っているのだ。
トマトの女神様というのは、若干響きが微妙ではある。微妙ではあるが、トマトは子ネコーの大好きな野菜だ。そう考えると、そう悪くない称号のようにも思えてくる。
子ネコー好きの大人たちは、揃って。
微笑ましいような羨ましいような、複雑な笑顔で子ネコーを見守るのだった。