「にゃんごろー、にゃんごろー。そろそろ、おやつの時間じゃぞ。お絵描きは、一旦お休みしようなー」
「はっ! おにゃ……ちゅ?」
クレヨンでのお絵描きが楽しすぎて、すっかり没頭していた子ネコーの肩を長老が揺らした。ちょうど絵を一つ描き終えて、クレヨンをぷかぷかと箱の上に戻したタイミングだった。長老は子ネコーの肩をユサユサしながら、おやつの時間を告げる。
にゃんごろーは、長い夢から醒めたばかりのようなお顔で長老のお顔を見上げ、お目目をパチパチする。
「随分と集中しとったの~」
「おー……」
長老の感心したような声は、にゃんごろーの耳には入っていなかった。
それより先に、テーブルの上で絶賛開催中のクレヨン画廊が目に入ってしまったのだ。
「いつのみゃに、こんにゃに……」
「覚えとらんのかい?」
「うー……ん。おびょえちぇるけりょー、おびょえちぇにゃい……」
画廊の作品を描いたのは自分だということは分かっているようだけれど、子ネコーは、まだ夢から醒め切っていないようだ。子ネコーのお口から、ふわふわした言葉がぽろーんと零れ落ちていく。
子ネコーの見つめる先。人間用のテーブルの上には、にゃんごろーの作品たちが散らばっている。ミルゥのお顔を描いた後も、にゃんごろーの快進撃は止まらなかったのだ。
ほとんどは、食べ物の絵だった。にゃんごろーがお船で食べたものたちが、テーブルの上で賑やかに同居している。
くし切りレモンが添えられたチキンステーキ。ドレスのかかったサラダ。ベーコンが添えられた目玉焼き。トマトスープにコーンスープ。白いはずのコーンスープの器がオレンジに塗られているのは、夕日に染められたところを再現したからなのだろう。それから、カザンの部屋で食べた、かりんとうもあった。お稲荷さんとお味噌汁もある。お味噌汁の中からは、隠れていたはずのお魚さんがちょこんと顔を覗かせていた。もちろん、茶わん蒸しだってちゃんとある。中に隠されていたお宝たちは、茶わん蒸しの湯気の中から顔を覗かせていた。
初めて体験した大きなお風呂も、子ネコーには印象的だったようだ。泡ぶくまみれのにゃんごろーが、壁の絵から抜け出してきたお魚さんにシャワーをかけている絵もあった。それから、ドライヤー。人間用のドライヤーは子ネコーには重すぎて、実際にはセンリに手伝ってもらったのだけれど、絵の中のにゃんごろーは片手で軽々とドライヤーを持ち、余裕のお顔で頭を乾かしている。
「さっき、おひりゅをたべちゃばきゃりにゃのに……。もう、おにゃちゅににゃった……。おにゃかもしゅいちぇる……。ちょーろー、にゃんごろーに、まひょーをかけちゃ……?」
「長老は、何にもしてないぞぃ。時間を忘れるくらい、お絵描きが楽しかったということじゃろ」
「ほわぁー……なるほりょー。こりぇは、しゅららしいもにょらねぇー……」
まだどこか心ここにあらずの顔で、にゃんごろーは空になった箱の上でぷかぷかしているクレヨンを見つめる。お手々の先をクイクイ動かすと、クレヨンはゆっくりと箱の中に納まっていった。
「あ、しょら!」
クレヨンのお片付けを終えたにゃんごろーは、大事なことを思い出したようだ。「は!」としたお顔で立ち上がると、真横に座ってずっとアシスタントに徹してくれていたトマじーじの方へくるりと体を向けて、ぺこりと頭を下げる。
「トマりーり、しゅちぇきにゃもにょを、ほんちょに、ありあちょ!」
「いやいや。にゃんごろーが喜んでくれて、じーじも嬉しいよ」
「えへへ」
にゃんごろーはトマじーじの有能なアシスタントぶりには気づいてなかったので、それはプレゼントに対してだけのお礼だ。もちろん、トマじーじは、そんなことで怒ったりはしない。むしろ、アシスタントにも気づかないくらい、お絵描きに夢中になってくれたことが嬉しかった。
お耳の先をぴょこんと向けられたトマじーじは、ついつい手が伸びて、子ネコーの頭をナデナデしながら相好を崩している。
長老とカザンは笑ってそれを見ていたが、マグじーじだけは、羨ましさと悔しさが入り混じった顔で、ギリギリとトマじーじを睨みつけている。トマじーじにとっては幸いなことに、ナナばーばはおやつの準備をするために席を外していた。
「しかし、にゃんごろーは絵が上手だな」
「え? ほんちょ?」
「ああ。よく、特徴をとらえている」
ナデナデが一段落すると、カザンがテーブルを片付けながらにゃんごろーを褒めてくれた。おやつで汚れてしまわないように、一枚一枚丁寧に集めて、テーブルの真ん中に重ねてくれている。
褒められたにゃんごろーは、両方のお手々でほっぺを包み込むようにして、頭を左右に揺らしながら恥ずかしそうに笑った。
実際、子ネコーの絵は、なかなか上手に特徴を捉えていた。気に入ったものや、特に印象に残っているものを描いているせいか、子ネコーの喜びが飛び出してくるような絵だった。見ているだけで、楽しい気持ちになってくる。
「にゃんかねー。あっちょいうみゃ、らっちゃー。ルシアしゃんら、はちゅめーをしちぇいるちょきみょ、こんにゃかんりなのかにゃー?」
「うむ。そんな感じだと思うぞい。まあ、ルシアの奴は、食べるのも寝るのも忘れて没頭することも、しょっちゅうだがのー」
「しょっかー。れも! にゃんごろーは、ちゃんちょ、おやちゅは、たべりゅ!」
「うむ。たんと食べるがいい」
「はい!」
もふっと片方のお手々を上げて、元気にお返事をすると、ちょうどいいタイミングでナナばーばが戻ってきた。
絵をまとめ終えたカザンがナナばーばを手伝って、お茶の準備はすぐに整った。
「今日のおやつは、お饅頭ですよ。これも、和国のお菓子です。しっとりふわっとした皮の中に、甘いあんこが入っているの」
「あんこは、豆を煮て潰したものじゃな。お砂糖を入れて、甘くしてある」
「おみゃんりゅー。あみゃい、おみゃめ……あんきょ」
ナナばーばと長老が解説してくれた。
にゃんごろーは、教わったばかりの言葉を繰り返しながら、自分のお饅頭を見下ろす。
お饅頭は、みんなの前に一つずつ配られていた。
お食事の時は、ネコーの分だけ量が少なかったけれど、お饅頭はネコーも人間も同じ大きさのものが同じ数だけ配られていて、それがちょっとだけ嬉しかった。
ナナばーばに頼まれて、にゃんごろーが「いたらきみゃ」の音頭を取った。唱和する声が途絶える前に、にゃんごろーは早速、お饅頭にお手々を伸ばす。
お饅頭は、ふかふかしていた。
にゃんごろーは、両方のお手々でお饅頭を持ち上げ、「ふぉっ」と声をもらした。ふわふわとした感触とは裏腹の、ずっしりとした重さがお手々に伝わってきたからだ。
重いのに、柔らかい。それに皮は、肉球に貼り付くような不思議な感触がした。
一体、どんなお味がするのか、ドキドキしてきた。
にゃんごろーは、大きくお口を開けて、ふわふわでずっしりなお饅頭に、はくんと食らいつく。
「あー……みゅっ。んむっ、んむっ、んむっ。んん…………ん。あみゃーい!」
むぐむぐとお口を動かして、一口目をゴックンし終えると、子ネコーは「ふにゃぁ~」と蕩けるように笑った。
お絵描きで集中した後だからか、あんこの甘さが全身に染みわたるようだった。
どうやら、新しいおやつも、子ネコーのお気に召したようだ。冷たいほうじ茶でお口の中をリセットすると、さっきよりも大きなお口で、もう一口、あむん。
お絵描きの後は、お饅頭に夢中になった。
夢中になるあまり、途中で喉を詰まらせて、長老に背中をドンドンしてもらうという事件もあったけれど、午後のお茶会も美味しく和やかに終了した。
甘いもので、お腹も心も満たされた子ネコーは、お饅頭のことも描いてあげなくては、と新しい画用紙をセットしてクレヨンの箱へと手を伸ばしたのだけれど……。
そこで、力尽きてしまった。
箱へお手々を載せたまま、画用紙の上に突っ伏して、スヤスヤすぴーと寝息を立て始める。
そのお手々の先が、時折ピクッピクッと動いた。
ふにゃふにゃと、歌うような寝言も聞こえてくる。
どうやら、子ネコーは――――。
夢の世界でも、お絵描きを楽しんでいるようだった。