「おーい、ミルゥ。その辺にしておいてやれよ。子ネコーの息が、上がってきてんぞ?」
永遠に続くかと思われたミルゥの独占もふもふタイムは、呆れを含んだクロウの一言により終了した。ミルゥとしては、まだまだ、もふもふし足りなかったが、確かにクロウの言う通りだったので、自分の欲望よりもにゃんごろーを優先したのだ。
はしゃぎ疲れて「ひゃーひゃー」いっている子ネコーに、クロウはお茶を入れてあげた。ついでに、ミルゥの分も用意してやる。
「あ、ありあ、ちょー…………ん?……ろなた?」
切れ切れのお礼を言いながら、隣に座っているクロウを見上げたにゃんごろーは、不思議そうに首を傾げた。ミルゥによる怒涛のもふもふ攻撃のせいで、今の今までクロウの存在に気付いていなかったのだ。
「あー、そういや、自己紹介がまだ……もなにも、する暇もなかったもんなー。俺はクロウだ。よろしくなー、ちびネコー」
「む! にゃんごろーは、ちりネコーりゃなくて、にゃんごろー……は! にゃんごろーもまだ、りこしょーきゃい、してなきゃった」
ちびネコーなんて言われて、「む!」とお手々を振り上げたにゃんごろーだったけれど、すぐに自分も自己紹介をしていなかったことに気が付いた。
ミルゥの膝の上で居住まいを正すと、にゃんごろーはクロウに向かってぺこりとお辞儀をした。
「ネコーのこの、にゃんごろーれしゅ。よろしる、る!」
「おー、よろしるなー」
上手に挨拶できたと満足しながら頭を上げたにゃんごろーは、すぐにお顔をキリリと引き締めて、クロウに向かってピンクの肉球をビシッと突きつけた。
「れも! にゃんごろーは、ちりネコーとは、ちらうから!」
「いや、ちびネコーだろ?」
「ちらうもん! にゃんごろーは、こネコーらもん! ちりネコーは、あかちゃんネコーのことれしょ! にゃんごろーは、もう、りっぱにゃ、こネコーらもん!」
「んー、赤ちゃんネコーは、ちびちびネコーだろ? だから、子ネコーはやっぱり、ちびネコーでいいんじゃね?」
「あかちゃんネコーは、ちりちりネコー……?」
「ちびネコー」呼ばわりは許さないとばかりに息巻いていたにゃんごろーだったけれど、新たに出てきた「ちびちびネコー」という単語に、お目目をパチパチさせている。
肉球をクロウに突きつけたまま、しばらく考えた後、にゃんごろーは二パッと笑って頷いた。
「しょっか、わかっちゃ。それにゃら、にゃんごろーは、ちりネコーらね!」
「…………それで、納得するのかよ……」
適当なことを言っただけのクロウは、あっさり引き下がったにゃんごろーに拍子抜けしてしまった。
クロウが知る由もないが、長老と一緒に暮らしているにゃんごろーは、適当な説明をされることに慣れているのだ。
赤ちゃんネコー呼ばわりされたわけではない、と理解したにゃんごろーは、すっかり機嫌を直して、注いでもらったばかりのお茶にお手々を伸ばし、程よく冷えているお茶を一気に飲み干した。笑いすぎて、ちょうど喉が渇いていたのだ。
話を聞いていた長老以外の外野たちは、毛並みがチリチリ巻き巻きのネコーを想像して、「ちりちりネコーか。それも可愛いな」などと、ほんわかしていた。
「あ、そう言えば。カザンってさ、しばらく休暇なんだよね?」
「ん? ああ、そうだが?」
お茶を飲んで、少し待ったりしたところで、ミルゥが今思い出したとばかりにカザンに尋ねた。涼しそうな顔で答えるカザンを、ミルゥはねっとりと睨みつける。
「カザンの明日の予定って……?」
「明日は、にゃんごろーのお船見学会ということらしいからな。私も同行しようと思っている」
「くっ、この! 当然のように! なんで、わたしは明日仕事なのよ!」
「昨日、休んだからだろ」
「正論は、いらん!」
何でもないことのように羨ましすぎる返答をするカザンに吠え掛かると、またクロウが横やりを入れてきた。ミルゥは、悔しさのあまり涙目になりながらこれを一蹴する。クロウは顔をしかめて、指の先でテーブルの上、ミルゥの絵の手前をトントンと叩きながら、宥めるように言った。
「昨日休みだったから、ネコー救援隊に加われて、こうして一人だけ絵にまで描いてもらえたんだろ?」
「それはー、そうなんだけどー! それはー、嬉しいんだけどー!」
「まあ、元気を出すがいい。昨日、にゃんごろーを助けたからこそ、にゃんごろーのトマトの女神様になれたんじゃからの」
「ふぇ? トマトの女神様……?」
「ちょー、ちょちょちょちょちょ、ちょーろー!? ろーして、しょれを、しっちぇるのー!?」
あまりにミルゥが嘆くものだから、ちょっとだけミルゥに妬いていた長老までが、宥め隊に参入してきた。
すると、トマトの女神様と聞いて首を傾げるミルゥの声を掻き消す勢いで、にゃんごろーが悲鳴を上げた。
にゃんごろーがミルゥのことを「トマトの女神様」だと思っていることは、誰にも内緒のはずだったのだ。実際には、ミルゥの絵を描いている時に、お歌にして口ずさんでいたため、同席していた面々全員に知られてしまっているのだが。ほぼ無意識で歌っていたため、にゃんごろー的には、まだみんなには内緒のはずだったのだ。
「むっふっふっ。長老は、何でもお見通しなんじゃ」
「にゃぁー! もーう、ミルゥしゃんのまえれー、はじゅかしぃー!」
もさもさのお胸の毛を撫でながら、得意げに言う長老。
お見通しも何も、にゃんごろー本人のお歌から知り得た秘密なのだが、事情を知っている面々は心の中でツッコミを入れつつも、長老に花を持たせてあげた。
にゃんごろーは、内緒にしていたことをミルゥ本人にまで知られてしまい、恥ずかしさのあまり両方の肉球で頭を抱えて、背中を丸めて悶えている。
「…………にゃんごろーは、トマトが好きなんだっけ……?」
「そうじゃのー。いつもそこにある、美味しい幸せ、とか言っていたのー」
「……………………」
一緒のごはんを食べた時のにゃんごろーの様子を思い出しながらミルゥが呟くと、長老が駄目押しをした。
ミルゥの顔がトマトのように赤く熟した。
トマトの女神様という単語自体は微妙だが、それを言ったのがにゃんごろーで、トマトはにゃんごろーの大好きなものであるという情報を踏まえれば、また話は別だ。
つまり、それは。
ミルゥは、にゃんごろーの大好きな女神様、という意味だと翻訳して、ミルゥは感激した。
「ミルゥしゃんの、おいろが、トマトといっしょのおいろらったから。もりれ、たしゅけてもりゃったとき、おひしゃまのひきゃりがシャって、うえからふってきちぇ……。はちゃけの、ツヤツヤトマトみちゃいに、きれいらったから……」
「あ、なるほど。髪の色からの連想か……」
三角お耳の手前にお手々をちょこんと載せたまま、チラチラとミルゥの様子を窺ってくるにゃんごろーのあまりの可愛さに自分という存在のすべてを貫かれながら、ミルゥは今さらようやく、「トマトの女神様」の由来を理解した。
そして、赤毛に生んでくれた両親と神様に、心の底から感謝を捧げた。
「いやらにゃい……?」
「もっちろん! にゃんごろーのトマトの女神様にしてもらえるなんて、光栄だよ!」
「しょっかぁ。よかっちゃー」
勝手に名前を付けたことに気を悪くしていないかという子ネコーの心配を、ミルゥは陽光のような笑顔で吹き飛ばした。
子ネコーには、光栄の意味はよく分からなかったけれど、ミルゥが喜んでくれているらしきことは伝わった。
「うぅーん、トマトの女神様かぁ。にゃんごろーは、可愛いことを言うなぁ……」
「えー? にゃふふ」
ご機嫌なミルゥに頭をツンツンされて、にゃんごろーもご機嫌に笑った。
本日何度目かのふたりだけの「ふもふタイム」が、また始まろうとしている。
取り残されてしまった外野の大半は、そんなふたりを、羨ましくも微笑まし気に見つめている。それ以外の内、一人は、ただただ微笑ましく見守り。そして、最後の一人は、呆れつつも困惑していた。
「何なんだ……? これ…………」
その困惑の呟きは、幸せなふたりの笑い声に弾かれて、部屋の片隅へと転がっていった。