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第50話 魔法の箱

 あてがわれたネコー部屋から、ひとりで通路へ出てみた。

 言ってみれば、ただそれだけのことだ。

 それだけのことなのだけれど、子ネコーにとっては――。


「にゃっふーん。…………ふーわーぁ。にゃんごろーは、にゃんごろーは、ちゅいに。いらいなるいっぴょを、ふみらしてしみゃった……」


 その小さな一歩は、偉大なる第一歩ということになるようだ。

 満足げに、感慨ぶかげにため息をついた後、二度目のガッツポーズを決め、感動のあまりフルフルと体を震わせるにゃんごろー。

 本ネコーは、どこまでも至って真剣なのだが。傍から見たら、早起きの子ネコーが、ひとりで“ごっこ”遊びをしているようにしか見えない。

 だが、他所からどう見えるかなんて、にゃんごろーには関係なかった。

 ひとりで成し遂げた、その達成感を全身で十二分に味わい尽くすと、にゃんごろーはザっと体を左へ向けた。


 次なる試練は、もう決まっているのだ。

 子ネコーの揺るぎなき視線は、エレベーターへと注がれていた。

 ひとりでドアを開けたり閉めたりして、お部屋から出たり入ったりしてみたいな、と心密かに思っていた。けれど、そんなものは、まだ序の口なのだ。

 子ネコーの真なる野望は、ひとりでエレベーターを乗りこなせるようになることだった。


 あの魔法の箱を自在に乗りこなせるようになれば、長老と一緒じゃなくても、にゃんごろーひとりでお船の中の何処にだって行けるのだ。

 まあ、無理にエレベーターを使わなくても、えっちらおっちらと階段を使えばいいのだが、あれはあれで子ネコーには難易度が高いのだ。人間用に作られた階段は、子ネコーにはサイズが合わない。まるで、登山でもしているかのようで、一つ階を移動するだけで疲労困憊……とまではいかないが、かなり疲れるのは間違いない。自由にお船の中を歩き回るどころではないのだ。


 お船の人間たちは、あの魔法の箱を普通に使いこなしているようだった。

 何でもないことのように、ごく普通に。

 当たり前に使いこなしているみんなが、すごくとてもかっこよく見えた。

 にゃんごろーも、あんな風になりたいと憧れた。

 みんなのように、ひとりでも当然の顔をして、当たり前のように乗りこなせるようになれば、一人前のお船子ネコーになれるような気がした。


「いみゃのにゃんごろーにゃら、いけりゅ!」


 エレベーターを見つめながら、にゃんごろーはもう一度、むんと気合を入れた。

 それから、自らを奮い立たせるように、のっしのっしと体を傾けながら大股で歩いて行く。


 気分はすっかり、出来る子ネコーだった。


 よっぽどにゃんごろーのお胸の中の居心地がいいのか、太鼓叩きマスターは、完全ににゃんごろーの中に居座ってしまったようだ。その太鼓叩きの、威勢のいい音の影響か、子ネコーの気分はノリにノッていた。

 今なら、何でもできるような気がしていた。

 大股に歩きすぎて、少々滑稽なことになっているのだが、子ネコーは勇敢な戦士になった気分で歩みを続け、そして遂に。


「ちゅ、ちゅいた……」


 固く閉じられた魔法の箱の前に辿り着いた。

 伝承に歌われし幻の神殿に辿り着いたかのような感慨深いお顔で、閉じたエレベーターを見上げるにゃんごろー。


「ろ、ろーしよー……。ろこに、いきょーか……。にゃんごろーひとりで、ろこにれも、いけちゃう」


 両手をお顔に当てて、「きゃー」と上半身を左右交互に激しく、かつリズムカルに捻り出す。つられて、尻尾もリズムを刻む。


「んー、れも。やっぴゃり、さいしょは、シャンリュームきゃなぁ」


 ピタリ、と動きを止めると、にゃんごろーは顔に当てていた両手を下ろして、エレベーターの上の方を見上げた。

 サンルームというのは、窓がいっぱいで植物がいっぱいの、みんなの憩いの場だった。

 サンルームのことを教えてくれたのは、東方のサムライ・カザンだ。

 サンルームは、カザンがおやつと共に一息入れる場所だった。そして、カザンが、にゃんごろーの兄貴分ネコーであるソランと出会った場所でもあるのだ。

 とてもとても興味がある。

 サンルームが、一つ上の階にあると教えてくれたのもカザンだ。エレベーターを使ってネコー部屋へと向かっている最中に「そういえば」と教えてくれたのだ。

 ここからそう遠くはない、一つ上の階、というのも大変、魅力だった。

 ちょっと覗いて、すぐに帰ってくれば、誰にも秘密のまま、安全に朝の冒険を終えることが出来る。


 秘密の冒険――というのがまた、子ネコーの心を擽ってくるのだ。


「うん。しょーしよう。あんみゃりとおくへいっちぇ、まいぎょににゃっても、こみゃるもんね。いっこうえにゃら、かえりは、かいらんをつきゃってもいいし……」


 カザンには、今度一緒におやつを食べに行こうと誘われていた。もちろん、長老も一緒にだ。

 だから、待っていればいずれは、サンルームへ行くことは出来る。

 でも、だからこそ。どうせなら。

 その時に、「実はこの間、にゃんごろーひとりで……」なんて告白出来たら、素敵だと思うのだ。

 きっと、カザンと長老はびっくりするに違いない。

 特に、お船では、いつもにゃんごろーと一緒の長老は、「いつの間に」と目をまあるくすることだろう。それから、「なかなか、やるな」と褒めてくれるかもしれない。

 想像するだけで、もう嬉しさが込み上げてくる。


「ええー? みょー、ふちゃりともー、ほめしゅぎらよー。うふふふふ」


 まだ、エレベーターに乗り込んでもいないのに妄想だけが先走ってしまったらしく、にゃんごろーは、また両手を頬にあてて、イヤイヤの仕草を始める。

 浮かれるあまり、随分前から声を抑えることを忘れていたが、何事かと通路へ顔を覗かせる者はいなかった。

 お部屋の中までは声が届かなかったのかもしれないし、聞こえていたからこそ、何やら楽しそうな子ネコーの邪魔をしてはいけないと、お部屋の中から聞き耳だけを立てているのかもしれなかった。


「ふー……。しょれれは、いじゃ。えーと、まじゅは、シュイッチをおしちぇ、はきょをよばにゃいと、ドアがあきゃないんらよね……?」


 妄想の中の長老とカザンに散々褒められまくって満足したのか、にゃんごろーは長い息を吐き出すと、キリッとお顔を引き締めた。抜かりなく魔法の箱を動かすための手順を確認しながら、扉の右側の壁にある箱を呼び出すボタンを見上げる。

 上向きの三角形と下向きの三角形が、上下に二つ並んでいる。

 にゃんごろーには、ジャンプしても届かない場所にワンセット。頑張れば何とか届きそうな場所にもうワンセット。

 あのスイッチを押せば、箱がやって来て扉が開く仕組みになっているのだ。


「ちょう!」


 子ネコーは気合の掛け声と共に渾身のジャンプを決めた。

 下向きの三角形を、肉球がパシンと叩いた。

 すると、下向き三角がオレンジに光る。

 箱の呼び出しに成功したのだ。

 上向き三角と下向き三角の違いまでは、分かっていなかった。

 ついでに、箱の中に乗り込んだ後、どのボタンを押せばサンルームのある階に行けるのかも、分かっていなかった。

 このままだと、無事に乗り込んだはいいが、その後どうしたらいいのか分からずに、立ち往生する羽目になりそうだ。その内、自動でドアが閉まったら、閉じ込められたとパニックに陥る可能性もある。

 子ネコーの大冒険は、始まりから既に、波乱の気配が濃厚に漂っていた。

 とはいえ、にゃんごろー本ネコーは、首尾よく進んでいると思っている。

 一度で箱を呼び寄せるのに成功したことで、かなり気が大きくなっていた。


「や、やっちゃ!」


 初めての冒険は順風満帆だと信じて疑わない子ネコーは、むふんと鼻息を荒くした。

 もうすぐ、妄想した通りの未来が訪れるはずなのだ。

 ワクワクしながら待っていると、チロンと到着をお知らせする可愛い音がして、滑らかに扉が開いた。


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