にゃんごろーたちのお部屋の一つ上の階にあるサンルーム。
そこが、にゃんごろーの小さな大冒険の目的地だった。
ひとりでエレベーターに乗って、サンルームにお邪魔してみる――というのが、子ネコーが企てた大冒険の計画だ。
計画した通りにサンルームを覗いてみるどころか、エレベーターを呼び出してみただけで乗り込むことすらしていないというのに、子ネコーは満足そうだった。
『冒険は、ごはんの後で! 安全に!』
という、自らが生み出してしまった名言に酔いしれているのだ。
その言葉を、相当気に入ってしまったようで、胸の中で何度も反芻している。
「むふふふ……」
ひとりで悦に入るあまり、含み笑いが零れ落ちる始末だ。
腕組みをして、うんうんと何度も頷いてから。
にゃんごろーは、さてお部屋へ帰るかと来た道を振り返り、飛び上がった。
「にゃ!? にゃんでぇー!?」
早朝であることも忘れて、思わず叫んでネコー部屋のドアの前へと駆け寄る。
開け放したままにしておいたはずのドアは、無情にもぴっちりと閉められていた。
エレベーターの扉が、閉まるボタンを押さなくても時間の経過で自然に閉まることは知っていた。エレベーターに乗った時に、ナナばーばが教えてくれたからだ。
どうやらそれは、エレベーターだけではなくて、お部屋のドアにも当てはまるようだ。
「しょ、しょんな……」
お爪を立ててドアに傷をつけてしまってはいけないので、肉球でペタペタさわさわとお部屋のドアを撫で繰り回しながら慌てるにゃんごろー。
すでに、半泣きだ。
「ろ、ろーしよー……。とりこめられちゃっちゃ……」
ウルウルのお目目でドアを見つめながら呟くにゃんごろー。
閉じ込められたのではなく、締め出されたというべきだろう。
第一、 締め出されたもなにも、閉じてしまったのならば、また――――。
「ろーしよー……、ろーしゅれば…………。……………………あ」
涙がポロリと零れ落ちそうになった時、子ネコーは、何かに気が付いたお顔をした。
「にゃんごろー、もう、ひとりれあけらりぇるんりゃった。しょーだ、しょだ。しょらった。もー、にゃんごろー、うっかりしゃんしりゃったー」
――――開ければいいのだと、ちゃんと自分で気づけたようだ。
ハタと我に返った後、うっかりしていた自分を恥じらい、お顔に両手をあてて中腰になり、くねんくねんと体を左右に揺する。それから、恥じらいの仕草を止めて、おもむろにスイッチを見上げた。
涙がほんの少しだけ残った瞳が、キラッと光った。
他のみんなのお部屋は、一度閉まったら、鍵がなければ外からは開けられない仕様となっている。けれど、部屋に鍵をかけるのは、森で暮らすネコーたちの流儀ではないので、にゃんごろーたちの部屋の鍵は、長老が早々に取っ払ってしまったのだ。お部屋の鍵は魔法仕掛けの鍵だったので、長老がちょちょいと手を動かしただけで、鍵の機能そのものが無効になっていた。もちろん、お船からお暇するときには、またちょちょいと元に戻す予定だ。
ネコーの流儀と長老のおかげで、にゃんごろーはお部屋から閉め出されずに済んだ。これで、誰にも知られずに、しれッとお部屋に戻ることが出来る。
「ちょう!」
「しー」のお約束はすっかり忘れて、にゃんごろーは元気よく叫ぶと、見事なジャンプを決めて開閉のスイッチを押す。
着地と共にシュッと開いたお部屋の中に、何も問題はありませんでしたみたいなお顔で悠々と戻ると、長老が起きていないことをチラッと確認する。それから、証拠隠滅のために、急いでドアを閉めた。長老の姿を見て「しー」を思い出したのか、今度は叫ばずに、静かにジャンプを決めた。
「このこちょは、ちょーろにも、ないしょのひみちゅにしておかなくちゃ」
口元に手を当てて、子ネコーは「ふふふっ」と笑った。
朝の大冒険……どころか、散歩にすらなっていないウロウロのことは、にゃんごろーだけの秘密にするつもりなのだ。
子ネコーの様子から分かるように、冒険失敗が恥ずかしいから――などという理由などではない。子ネコー的にはむしろ、朝の冒険は大成功だったのだ。
子ネコーはまだ、サンルームで長老とカザンをびっくりさせよう大作戦を諦めたわけではないのだ。ここで、小さな朝の大冒険のことをバラしてしまったら、せっかくの作戦が水の泡だ。
朝の大収穫について、長老に話したくてたまらなかったけれど、ここは我慢のしどころだった。
それに、『長老にも内緒の朝の大冒険』というのも、なんだかカッコいいように思える。
秘密のある子ネコーといのも、魅力的だ。
「うふふ。このこちょはー、にゃんごろーらけのー、ひ・み・ちゅー♪」
口元に肉球をあてて含み笑い、歌うようにそう言うと、にゃんごろーは長老が寝ているカゴベッドへスキップで向かい、容赦なく揺すり起こした。
「ねー、ねー! ちょーろー、おきちぇー! きいてー! きいてよー! こりぇはね、ほんちょは、ちょーろーにも、にゃいしょにゃんらけりょー。にゃんごろーね! しゃっき、らいぼうれん、しちぇきちゃっちゃんりゃー♪」
「…………んー、おー。起きてる、今、起きたぞい。ゆー、揺するな、揺するな。それで、どこまで行ってきたんじゃ?」
秘密と言った舌の根も乾かぬうちに、内緒と言いつつ、聞かれてもいないのに自ら白状してしまっている子ネコーは、何処までも嬉しそうだ。秘密と決めたはずのことを喋ってしまうことへの躊躇いは、微塵も感じられない。高揚しているためか、発声魔法の乱れも、いつも以上に激しい。
子ネコーに揺すられて、ぐっすり眠っているかと思われた長老は、意外とすぐに目を開けた。
半分寝ながらも、子ネコーが何やら騒いでいることには、ちゃんと気づいていたのだ。お部屋の外へ出たことにも気が付いていたけれど、どうせそんなに遠くへ行きはしないだろうと放っておいたのだ。
長老のその読みは、当たっていた。
「あのね、あのにぇ! にゃんごろーひとりれね! おへやのロアをあけちぇー、ひとりれおしょとへれてみちゃの!」
「ほうほう、それで?」
「しょれれね! えれれーちゃーのちょろろまれ、いっちぇみちゃんらー。ひとりれ、シャンルームまれいっちぇ、こんろ、ニャニャンしゃんにちゅれていっちぇもらっちゃろきに、しょのことをおはにゃしれきちゃら、いいにゃーっちぇおもっちぇ♪」
「ほーう?」
「うふふー、しょれれねー! ちゃんとー、ひちょりれボチャンをおしちぇー、はきょをよべちゃんらよ!」
ムクリとカゴベッドの中で身を起こした長老に、にゃんごろーはベッドの端に手をかけて、勇んで話している。
長老を見つめるお目目は、キラキラキラッと輝いていた。
長老は、少しだけ感心していた。
どうせ、ちょっと通路を出歩いたくらいで大冒険をした気になっているのだろうと思ったのだが、別の階まで遠征できたのなら、にゃんごろーにしては上出来というものだ。ちゃんと使い方を教えたわけでないエレベーターを乗りこなせたのなら、少しは褒めてやらねばならない、などと考え始めていた。
「しょれれねー。いじゃ、のりきょみょうとしちゃら、ちょーろ、そのちょきにー。おにゃかがねー、キュルキュルキュル~ってゆったの。しょれれね、にゃんごろー、きじゅいちゃったにょ」
「…………うむ、まあ、朝ごはん前じゃしな……」
褒めてやろうと思っていたのだが、何やら雲行きが怪しい。
だが、当のにゃんごろーは、カゴベッドから手を離し、ガッとガッツポーズで天井を見上げて、高らかに言った。
「ぼーけんは、ごひゃんのあちょれ! あんじぇんに!」
「…………う、うむ。なかなかの迷言じゃな」
「れしょー? にゃんごろー、めーげんをうみらしちゃったー♪」
「そ、そうか。まあ、にゃんごろーらしいの」
どうやら、子ネコーにとって、その迷(名)言を生み出したことが、本日一番の成果であるらしいと長老は察した。
察して、微妙な気持ちになった。
この分だと、マスターしたかと思ったエレベーターの使用方法も、怪しいかもしれないと思い始めていた。
今日のお船見学の時に、使い方をちゃんと分っているのかテストしてみるか、と考えた。ぜひ、そうするべきだった。
「うふふー♪ このこちょはー、ちょーろにも、にゃいしょなんらよー♪」
「……………………」
子ネコーは両手をお顔に当てて、嬉しそうにお顔を左右に揺らしている。
長老は、長くて真っ白いお胸の毛を両手でなでなでしながら、呆れたお顔をにゃんごろーに向けた。
内緒も何も、たった今自分で暴露したばかりなのだが、子ネコーはまだ秘密が成立したままだと思っているようだ。
「まちゃ、ちょーろーにひみちゅのこちょが、ひとーちゅ、れきちゃった♪」
ご機嫌で、歌っている。
これは別に、内緒とか秘密という言葉の意味を分かっていないから、というわけではない。
「これは、長老にも秘密だ」と前置きしておきながら早速暴露した挙句に、秘密は保たれたままだと何の疑いもなく信じている。
――それは、子ネコーの可愛い悪癖だった。
そう。実のところを言えば、今に始まったことではないのだ。
長老は、「困ったやつじゃのー」と呆れながらも、これまであえて指摘はしてこなかった。長老にとっては、都合がよい面もあるからだ。
しかるべきタイミングで、ここぞという時に発動される、長老の「にゃんごろーのことはなんでもお見通し」。
実際、長老からすれば、子ネコーがすることや考えていることなんてお見通しなのだが、時折、その場にいなかったのにまるで見てきたかのようにすべてを言い当てる、「真なるお見通し」が発動されることがある。
にゃんごろーは、そんな「真なるお見通し」に、いっつも心底驚かされていたのだが。
何のことはない。
これが、「真なるお見通し」の真相なのだった。
「いろんな意味で、まだまだじゃのー……」
ご機嫌で歌っている子ネコーを見つめながら呟く長老。
不発なのに成功に終わったつもりの朝の冒険についてはともかくとして、悪癖については、今まで特に注意もしていこなかった長老にも責任があるといは言え――。
まったくもって、その通りなのだった。