朝ごはんの登場で、子ネコーの涙はあっという間に乾いた。
その現金な有様がまた可愛くて、ミルゥとじじばばたちは、机の上から顔はあげたものの、口元に手を当てて震えている。一見、クールなカザンも、目元は優しく緩んでいる。
まだ「いただきます」もしていないというのに、クロウは自室へ戻りたい気持ちでいっぱいだった。このノリには、どうにもついていけそうにないのだ。
どちらかと言えば、クロウに近い立ち位置の長老も、今は子ネコー共々、運び込まれてくる朝ごはんのトレーに釘付けになっている。誰とも、この想いを分かち合えない。
出来れば、みんなが子ネコーやら朝食のトレーやらに夢中になっている内に抜け出したかったのだが、入り口に近い席に座っていたせいで、配膳の手伝いを頼まれてしまい、そういうわけにもいかなかった。
「ふむ。今日の卵料理は、オムレツか。うまそうじゃの~」
「オミュレチュ? うえにかかっちぇる、あきゃいのは、にゃあに?」
「それは、ケチャップじゃ。トマトで作ったソースじゃの」
「トマトのおショース!?」
運ばれてきたトレーを見下ろして、長老が涎交じりにそう言うと、子ネコーがすかさず反応した。そのお目目は、自分の前に配膳されたトレーに釘付けだ。卵料理というヒントがあったため、オムレツがどれなのかは、すぐに分かった。
子ネコ―にとっては大ご馳走である卵料理の上に、大好きなトマトのソースがかかっていると聞いて、子ネコーのお目目は何百光年の彼方にまで届きそうなほど輝いた。
「ちゃまごのおりょーりに、トマトのおショーシュにゃんて、しょんにゃの……。にゃんごろー、しあわしぇしゅぎちぇ、おしょらへいっちゃうきゃも……」
すでに半分昇天しかかっているうっとり顔を、にゃんごろーは両手で抑えた。そんな子ネコーを見つめる、クロウを抜かした人間たちも昇天しかかっている。
クロウが一人配膳に勤しむ中、残りの人間たちは子ネコーに釘付けになり、その子ネコーと長老はトレーの上の料理にうっとりしている。
うっとりしつつもネコーたちは、配膳が終了したことを見逃さなかった。トレーがのったワゴンを運んで来てくれた人が頭を下げて和室から出ていくと、ふたりそろって、待ちきれないとばかりに、すかさずお手々の肉球と肉球を合わせる。
そして、クロウ以外の人間たちは、そんなネコーたちの動きを見逃さなかった。子ネコーに視線はロックオンしたまま、サッと手を合わせる。仲間たちの素早い動きに事態を察したクロウも、一拍遅れて手を合わせた。あと少し遅れていたら、ミルゥからの肘鉄が飛んでくるところだったことにクロウはちゃんと気づいていた。
「それじゃあ、にゃんごろー。今日も、お願いね?」
「はい! しょれれはー、おててとーにきゅきゅーは、もうあわしゃってりゅかりゃ……。い、いじゃ! いたらきみゃ!」
ナナばーばに促されて元気よくお返事をすると、にゃんごろーは横目でみんなの手が合わさっていることを素早く確認する。そして、恒例となった子ネコーの「いたらきみゃ!」が高らかに響き渡り、クロウ以外のみんなが唱和する。二拍遅れてクロウの「いたらきみゃ?」が転げ落ちていった時には、子ネコーはもうフォークを握りしめていた。
「うふふ。きょーのピャンは、チョーシュトらにゃいんらね」
「今日のは、バターロールだね」
「バチャーリョール……。おいししゃが、やくしょくしゃれた、おなみゃえらね」
「うんうん、そうだねー」
まだ、ほんのりと湯気が上がっているオムレツとスープは後回しにすることにして、サラダのお皿に狙いを定めながら、今日のパンがトーストではないことを指摘すると、すでに食べるのに夢中な長老に代わってミルゥが教えてくれた。
バターロールという名前を聞いただけで笑み崩れながら、にゃんごろーはサラダのトマトにサクッとフォークを刺して、お口へと運ぶ。
「んっ、んっ、んっ。…………んー、おいしぃー。ドレシュをきたトマト、しゃいこー♪」
反対のお手々をほっぺにあてて、歌うようにトマトを讃える。その後はもう手が止まらず、シャクシャクとお野菜を攻略していく。
「んんー♪ おにきゅも、おしゃかにゃも、ちゃまごもおいしぃけりょー。にゃんごろーは、おやしゃいもらいしゅきー♪ ロレシュをきたおやしゃいは、しゃいきょー♪ うふふふー♪」
サラダを食べつくして、お口の周りについたドレッシングを綺麗に舐めとって、子ネコーは笑み崩れる。
「おやしゃいはー、いいよにぇー。はちゃけれー、しょだてられりゅかりゃー、きけんにゃもりへ、きゃりにれかけにゃくちぇもいいしー。りょーるにしょられられればー、あんじぇんに、おいしぃが、ちぇにはいって、おくちにはいりゅ! しゅばらしい!」
「ぶっふふ。野菜が好きな理由に、安全に手に入るとか! どんな理由なんだよ! こどもの発想じゃねだろ、それ! 味だけで選べよ! ふっ、ふはははは!」
「む! あんじぇんは、らいりれしょー! ろーしてわりゃう……にょ……?」
危険な獣たちが住む森の中へ狩りに出かけなくても、住処の畑で安全に収穫が出来る野菜の素晴らしさに改めて感動していると、クロウに笑われてしまった。子供らしからぬ理由がクロウのツボに入ってしまったようだが、子ネコーにはそんなことは分からない。「どうして笑うのか?」と問い詰めようと、クロウの方へ体を向けたにゃんごろーは、とあることに気付いてしまった。
子ネコー的に重大にして重要な、とあること。
それまでは、自分のトレーに夢中で気づかなかった、とあること。
子ネコーは、クロウに不信の眼差しを投げつけた。
「クリョーは、ドロリョーしゃん、らったの……?」
「ん? どろりょーさん……?」
問われたクロウは、笑いすぎて涙の滲む瞳を子ネコーに向けた。
にゃんごろーは、誤魔化しは許さないと言わんばかりに、もふビシッと肉球の先をクロウに突きつけて糾弾する。
「ちょれーをくびゃるおてちゅらいをしちぇ、えらいにゃっておみょっていちゃにょに……。クリョー、おてちゅらいをしゅるふりをしちぇ、にゃんごろーとちょーろーのバチャーリョールを、ちょっちゃれしょ! めっ! かえしにゃしゃい!」
「は? バターロール……?」
クロウは笑いを治めてトレーの並ぶ机の上を見回し、一瞬で理解した。
ネコーたちのバターロールは一つずつ。クロウ以外の人間たちのバターロールは二つずつ。そして、クロウのバターロールは四つ。にゃんごろーがサラダを食べている間に、すでに一つ食べ終わっていたので、最初は五つあったのだが、今の皿上の状況からすると、まるでクロウがにゃんごろーと長老のバターロールを一つずつ奪った結果のようにも見える。
「…………ふっ、ふはははははは! どろりょーさんって、泥棒さんのことかよ! あは、あはははは! お、おもしれー!」
「にゃ!…………にゃ?」
目を丸くしてにゃんごーろを見つめたと思ったら、いきなり大笑いを始めたクロウ。泥棒したことを咎めているのに笑い出すのは何事かと、さらに𠮟りつけようとして、お顔をキョロキョロ動かして目を白黒させた。
笑っているのはクロウだけではなかったのだ。
他の人間たちも、みんな。
なぜだか、大爆笑している。
いつも涼やかなカザンまで、口元を抑えて肩を震わせている。
「にゃ? にゃ? にゃ?」
てっきり、にゃんごろーの味方をしてくれるとばかり思っていたみんなまで、クロウと一緒になって笑っている。
何が何だか分からずに、子猫のように鳴きながら、キョロキョロキョロリとお首を動かすにゃんごろー。
子ネコーの鳴き声と人間たちの笑い声で騒々しい和室の中。
長老だけはどこ吹く風で、ひとり幸せそうにオムレツを味わっていた。