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第4章 子ネコーと卵のお船

第64話 羽付き卵

「にゃんごろー、にゃんごろーよ。起きんかい! ミルゥをお見送りせんで、いいのか? ほら、にゃんごろーよ」

「ふぇ……?」


 長老に名前を呼ばれながら、片方の足をもふもふと引っ張られて、にゃんごろーは目を覚ました。もふもふコシコシとお目目を擦りながら、「うぅーん」と大きく伸びをして、キョロキョロとお顔を動かし、「はて?」と首を傾げる。

 そこは、知らないお部屋だった。

 天井がすごく高くて、すごくすごく広いお部屋。


 和室で朝ごはんを食べた後、みんなでまったりとお話をしているうちに、ウトウトしてきた子ネコーは、そのままスヤァーッと眠ってしまった。

 今朝はいつもよりも早起きだったし、冒険で興奮したり、ごはんの最中に大泣きしたりで、少々お疲れだった。それに加えて、お腹がいっぱいなのだ。襲い掛かってくる眠気の波に抗えず、子ネコーはミルゥのお膝の上で、あっという間に意識を手放してしまった。

 眠ってしまった子ネコーは、そのままミルゥに抱きかかえられて、眠ったまま違うお部屋へと運ばれてしまった……というわけなのだ。


「んんー? ここ、ろきょお……?」

「むっふっふ。ここはのー、『小さなお船のお部屋』じゃ!」


 ミルゥに抱っこされているにゃんごろーを見上げながら、長老はババンと胸を張った。にゃんごろーが、まだぽよんとしながら長老を見下ろしていると、何処からかミルゥを呼ぶ男の人の声が聞こえてきた。ミルゥがその声に答えながら、にゃんごろーをぽふんと床に降ろし、自分もその隣にしゃがみ込む。


「起こしちゃって、ごめんね、にゃんごろー。ミルゥさん、もうお仕事へ行かなきゃなんだ」

「ミルゥしゃん……?」


 しゃがんで目線を合わせてくれたミルゥを見つめている内に、ぽよんがシャッキリしてきた。ミルゥはお仕事に行かねばならない、という事実を告げる言葉が、子ネコーの覚醒を急がせたのだ。夢うつつに聞こえた、長老の「ミルゥをお見送り」という言葉も、覚醒を後押しした。

 ミルゥがお仕事に出かけるなら、にゃんごろーはお見送りをしなければならない。今がどういう状況なのか、完全に理解したわけではないが、とにかくミルゥのお見送りをしなければならないということだけは、ちゃんと分った。

 にゃんごろーが覚醒したことに気付いたのだろう。にゃんごろーの頭を撫でまわしながら、ミルゥは笑った。雲間からお日様が顔を覗かせたような笑顔だ。心がパァッと明るくなる笑顔。にゃんごろーの大好きな笑顔だ。

 にゃんごろーのシャッキリしてきたお目目には、もはやミルゥしか映っていない。

 床に降ろされたにゃんごろーの隣では、長老が寂しそうにしていた。せっかくババンと大発表をしたのに、タイミング悪く流されてしまった長老が、寂しそうにお胸の毛を撫でているのだが、にゃんごろーの目には入らなかった。


「帰ってきたら、見学会のこと、色々と聞かせてね!」

「…………う、うん! まきゃせて!」


 ミルゥにお願いされて、にゃんごろーは肉球のお手々で、もふんと胸を叩いた。大好きなミルゥにお願いされたのだから、全力で答えなくてはならない。


「それじゃ、行ってくるね! にゃんごろー!」

「うん! いってらっしゃい、ミルゥしゃん! おしごちょ、らんらっちぇね!」


 ピッと片手を上げて、にゃんごろーはミルゥに激励の言葉を贈った。「頑張って」がちゃんといえていないのは、ご愛敬だ。

 なんだか楽しい気分になってくる激励の言葉に軽く悶絶してから、ミルゥは立ち上がった。

 にゃんごろーたちが今いるのは、広いお部屋の壁際にある通路だった。通路には、大人の胸の高さまである柵が設けられている。部屋への出入り口は、通路の真ん中、ちょうどにゃんごろーたちの目の前だった。

 その出入り口の向こう側、広いお部屋の真ん中に、大きな白い卵があった。短い羽を生やした卵が、大きな白い円盤の上に横たわっているのだ。

 ミルゥが、その卵を指さして言った。


「んっふっふー。ミルゥさんはねー、あの卵みたいなお船に乗って、お空を飛んでお仕事に行くんだよー。ミルゥさんは、空猫だからねー」

「あ! たみゃご……! おしょらをちょんれるの、みちゃこちょ、ある! ありぇは、おふねのおふねらったんら!」

「そうだよー」

「ふわぁああああああ! ミルゥしゃんは、あのたみゃごにのって、おしごちょにいくんら! しゅごいねぇええ! きゃっきょいい~!」


 羽の生えた卵は、お空を飛ぶ小型船だった。

 忙しく首を動かして、卵船とミルゥを交互に見ながら、にゃんごろーは感嘆の声を上げる。子ネコーに全力で称賛されて、ミルゥは満更でもないようだった。

 見学会に参加できないのは残念だし、ここで、にゃんごろーとは一旦お別れしなければならないのは寂しいが、それはそれとして。

 これはこれで、悪い気がしない。

 だが、いつまでも幸せに浸っているわけには行かなかった。出発の時間は迫っているのだ。


「おい、ミルゥ! 何してるんだよ! 行くぞ!」

「あー、はいはい! 今、行くってば! もう!」


 卵船のぱっくり開いた搭乗口から、誰かが顔を覗かせてミルゥを呼んだ。さっきミルゥを呼んだのと同じ、男の人の声。にゃんごろーの知らないクルーだった。

 ミルゥは、そのクルーに御座なりに手を振ってあしらうと、にゃんごろーには蕩けるような笑みを向けた。


「にゃんごろー! ミルゥさん、お仕事頑張ってくるね! 行ってきます!」

「うん! にゃんごろー、おうえんしちぇるね! いっちぇらっしゃい!」


 ミルゥはにゃんごろーに手を振ると、出入り口から部屋の中へと駆け出して行った。にゃんごろーも、大きく手を振り返す。

 卵船に向かって走っていくミルゥの背中に、ずっとずっと手を振り続ける。

 卵の前方に設けられた搭乗口からは、床に向かって階段が伸びていた。後方にスライドさせられた扉には、青い猫の絵が描かれている。“お船”の船体に描かれているのと同じ、青猫のロゴマークだ。

 卵船まで辿り着いたミルゥは、階段の手前で止まると、にゃんごろーの方を見て笑顔で大きく手を振った。もちろん、にゃんごろーも手がちぎれそうなほどに振り返す。


「いってくるねー!」

「いっちぇらっしゃーい! いっちぇらっしゃーい!」


 両方のお手々を振りながら、にゃんごろーは大きな声で、何度も何度も、お見送りの言葉を叫ぶ。

 にゃんごろーの声を背中に浴びながら階段を昇ったミルゥは、最後にもう一度振り返って、にゃんごろーに小さく手を振ってから、卵の中に引っ込んでいった。

 ミルゥが卵の中に入ってから程なくして、階段が殻の中に格納されていく。伸ばした舌を引っ込めるかのように、シュルシュルシュルンと引き戻されていく。

 階段が仕舞われると、シューンとお口も閉じていった。

 搭乗口の後方にスライドされていたドアが閉まったのだ。


『ポーン』


 天井の何処かから、甲高い音が響いてきた。

 続いて、女の人の声が聞こえてくる。にゃんごろーの知っている人の声だった。昨日、おお昼ごはんを一緒に食べた、ムラサキの声だ。


『空猫三号機発進準備完了! お口、開きまーす! 巣内のクルーは、ラインから離れてください!』


 ムラサキの声の後、もう一度『ポーン』という音が鳴り響き、そして――。

 左側の壁が、鳥のくちばしのように、真ん中から上下に開いていった。

 がつがつカチカチと煩い鳥のくちばしではなく、貴婦人鳥のくちばしのように、優雅で滑らかな動きだった。

 お口が完全に開くと、卵の下の円盤が、何かの合図のようにチカチカと点滅を始めた。同時に、円盤から開いたお口まで続いている白いラインが点灯した。

 部屋の床は、濃いグレー。その床の上に、白いラインが何本か引かれている。そのうちの一本、点滅している円盤から開いたお口に向かって伸びているラインに、ポゥッと光が灯ったのだ。

 円盤は点滅をしているけれど、ラインは点灯しただけだった。

 にゃんごろーは、「いってらっしゃい」のために上げていた両方のお手々をピタッと止めて、お目目もお口も真ん丸にして、ただただ目の前の光景に見入っていた。

 何もかもが初めてで、何もかもに圧倒されていた。


『空猫三号機、発進します!』


 また、ムラサキの声が聞こえてきた。

 卵船をのせた円盤が、点灯したラインの上を滑りだす。点滅しながら、開いたお口に向かって、滑るように進んで行く。開いたお口の際まで進むと、円盤はピタリとスムーズに動きを止める。

 止まった円盤の上で、卵船がふわりと浮き上がった。

 羽よりも軽いのではと思わせるくらいに、ふんわりと浮き上がり、円盤から少し上に離れたところで動きを止める。

 それから――。

 卵船は、ふぃんとゆっくり前進して、大きく開いたお口から、お船の外へと出て行った。

 お船のすぐ外は、砂浜だ。

 お口の右手が森で、左手には海が見える。

 卵船は砂浜を少し進んでから動きを止めると、海に向かって、くるぅりと回転した。


 一拍置いて――。

 空猫三号機は、海上を滑るように進んだ後、お空に向かってシュォオオオオンと飛び立って行く。

 さらに、もう一拍置いて――。


「ほ、ほわぁああああああああ!!」


 飛んで行く卵船を追いかけるように。

 青く澄んだ空に、子ネコーの歓声が響き渡るのだった。


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