耳を塞いでネコー会話を遮断したのが功を為したのか、生ける屍と化していたクロウは、ようやく笑いの発作から立ち直ることが出来たようだ。
耳から指を外し、大きく深呼吸。けれど、その後に身を起こすのではなく、だらしなく弛緩した。つまりは、通路の端、格納庫兼発着スペースとを隔てる柵に沿うようにして、でろでろーんと寝っ転がった。
クロウの隣、通路の真ん中よりに立っていたカザンは、その気配を察すると同時に、静かに動いた。通路の柵側、クロウの頭側に立ちはだかったのだ。通路で寝っ転がるクロウを、にゃんごろーから隠す壁となるためだった。
端っこマスターのこんな姿を見せては、にゃんごろーの教育に悪い。
長老の話を聞いているにゃんごろーは、クロウに背を向けている。けれど、念のためだ。クロウが完全復活を遂げる前に、何かの弾みでこちらを振り向かないとも限らない。
だが、心配は無用だったようだ。
深い呼吸を繰り返していたクロウは、最後に大きく息を吐き出すと、ムクリと身を起こした。立ち上がるまではいかないが、柵に背を預ける格好で座っている。通路の端で座り込んでいるというのもあまり好ましくはないが、寝転んでいるよりはマシだった。それに、このくらいは、今さらだ。
「クロウは、笑い上戸だったのか?」
「いや、そういうわけでは……ないと思うが……」
ネコーたちを微笑ましく見つめ、そのやり取りに耳を傾けながら、カザンはクロウに尋ねた。クロウはカザンの背中にチラッと目をやり、言い淀んだ後。片手でガシガシと頭をかき混ぜた。
「そうか? 確かに、微笑ましくはあったが、そこまで笑い転げるようなことは言っていなかったと思うが……」
「俺の笑いの沸点が低いみたいに言うなよ」
「実際、低かったから、ああなったのではないのか?」
「………………い、いや。気の早い卵は、ちょっと面白かっただろ? それを、あのちっこいもふもふが喋ってると、それがまた、おかしさを加速させるというか、なんというか……」
クロウは、自分が笑い上戸であることを認めたくないのだろう。何とかその意見を撤回させようと反論を試みたが、それはクロウが期待しているのとは違う方向に、カザンに響いたようだ。
「ふむ? つまり、にゃんごろーのあまりの愛らしさに、心が緩んでしまったということか? 休日で船内とはいえ、あのように笑い転げてだらしなく隙を見せるとは、修行が足りないなと思ったが。にゃんごろーの愛らしさ故ということであれば、それも仕方がないな」
「いや、もう、笑い上戸でいいデス……。むしろ、笑い上戸がいいデス」
笑い上戸と認定されるよりも、子ネコーの愛らしさに感服したせいで笑い転げていたなどと思われる方が納得いかないようで、クロウはあっさりと白旗を上げた。
隙があるとか修行が足りないなどと言われたことに、思うところがないわけではないが、そこはスルーした。カザン以外にそれを言われたのなら、間違いなく反論していた。けれど、何時如何なる時も隙を見せないサムライに言われては、何も言い返せない。
そこは突かずに流すに限る、とクロウは判断した。
クロウの白旗にカザンが反応を返す前に、天井からムラサキのアナウンスが流れきた。
開口壁の手前に取り残されていた円盤が、点滅を始める。併せて、円盤の下に走っているラインも点灯した。開口側から、反対側の壁際まで引かれている白いラインが、ダークグレーの床の上で仄かに光を放っている。そんなに強い光ではないが、床が濃い暗色のせいで、光っているということは、ちゃんと分る。眩しすぎず、かつ、ちゃんと注意を引けるように光量が計算されているのだ。
点滅する円盤も、光るラインも、卵の巣内で働くクルーの安全を確保するための仕組みだ。
これから移動するから傍に近づくなよという合図である。
「あの丸い板は、卵のベッドじゃ」
「ほほぅ」
長老が説明する声と、子ネコーが頷く声が聞こえてきた。
点滅する円盤が、光るラインの上を滑っていく。
本来なら、卵船を送り出した後すぐに所定の位置へと戻されるのだが、今日は子ネコーに見せるために、マグじーじの合図があるまで、そのままにされていた。
端っこマスターの登場により出番を奪われていた空のベッドは、今、ようやく日の目を見ることとなった。
ほどほどの速さで、空のベッドが光るラインの上を進んで行く様子を、子ネコーはキラキラとしたお目目で追いかける。もふっと柵を握りしめ、顔を押し付けるようにして、チカチカ動く空ベッドに大注目している。
ポンヤリしているようでいて、子ネコーは中々聡いようだ。長老が適当な説明をする前に、ひとりでその仕組みに気づけたようだ。
「チカチカしゅるのは、これかりゃうごきゅよっていう、あいじゅにゃの? チカチカしてるのが、ひかっちぇるせんのうえをしゅしゅんできゅね。もしかして、チカチカは、ひかっちぇるところしきゃ、うごけにゃいの?」
「よく分かったの。その通りじゃ。チカチカしてるのが、これから動くぞーという合図じゃ。にゃんごろーの言う通り、チカチカベッドは、光っている線の上しか動けないようになっておる」
「へーぇ。れも、ろーして……?」
動くベッドを目で追いながら、にゃんごろーは長老に尋ねた。
仕組みには気づけたけれ、理由までは分からなかったようだ。
答えを待つ子ネコーの柵を掴むお手々が、うずうずと動いていた。
ベッドが向かう先には、大きさの違う卵船を載せたベッドがいくつか並んでいた。空っぽのベッドもある。水色の作業服を着たクルーの姿も見えた。みんな、光るラインから離れた場所に立っている。
「卵の巣の中で働いているクルーの安全のためじゃ。これから動くぞー、ここを進んで行くぞー、というのが分かれば、動いているベッドにぶつかったりせんように、先に避けておけるからな。ほれ、卵の休憩所にいるクルーたちは、みんな光る線から離れたところに立っておるじゃろ」
「ほんとらー。れも、なんれ? ぶつかったら、ろーなるの?」
「うむ。あのベッドはすっごく重いんじゃ。動いているベッドにぶつかったら、大怪我をするぞい。にゃんごろーなんぞは、小さいからぺしゃんこになってしまうかもしれんの」
「え!? にゃんごろーが、ぺしゃんこに……?」
体をビクゥッとさせて、にゃんごろーが長老を見上げた。もふもふのお顔なので分からないが、人間ならば真っ青になっているところだ。
握りしめていた柵からお手々を離して、にゃんごろーは一歩二歩と後ろに下がる。
ぺしゃんこのペラペラになった自分を想像して、にゃんごろーは――。
あまりの恐ろしさにすっかり逆立ってしまった全身の毛を、プルプルプルッと震わせた。