“巣”内に入って行ったネコー組の後を、マグじーじがゆっくりと追いかけていった。
その後の続こうとしたカザンは、柵の出入り口で止まると、チラリとクロウに視線を流した。
クロウはまだ、柵にもたれて座り込んでいる。
「クロウは、どうするのだ?」
「うん、もうすでに疲れた。部屋に戻って、ひと眠りしてぇ」
「それは別に構わないが。…………ミルゥのことはいいのか?」
「そうだった……」
笑いすぎのせいで朝から疲労困憊気味のクロウは、半ば本気で部屋に帰ろうと思っていたのだが、カザンの指摘を受けたことでミルゥからの任務を思い出した。
すっかり忘れていた任務を思い出した。
忘れていたかった任務を思い出した。
『にゃんごろーのお船見学会に参加して、その時の様子をつぶさに報告するように』
というのが、ミルゥからの指令だ。
お願いではなく、指令だったとクロウは感じている。
お茶とお菓子をおごってもらうことと引き換えに、強引に引き受けされられたのだ。
報告会では、詳細な報告が求められるはずだ。子ネコーに関することなら、どんなに小さなことも見逃さず、根掘り葉掘り追及されることも予想された。かなりの長丁場になりそうだった。もしかしたら、今晩は徹夜を余儀なくされるかもしれない。もしくは、夜の自由時間を何日か拘束されるかもしれなかった。
今更ながらその可能性に思い至って、クロウはブルーになった。
お茶とお菓子程度の報酬で、休暇を一日潰された挙句、夜の自由時間までかなりの長時間拘束されるなんて、割に合わない。
かなりのブラック指令だ。
そう思いつつも、反故にするつもりはなかった。
ミルゥを本気で怒らせると、かえって面倒くさいことになる――と経験上よく分かっているからだ。
指令には、『にゃんごろーとカザンが仲良くなり過ぎないように邪魔をしろ』という内容も含まれていたが、こちらは無視することにした。
そこまでは、付き合っていられない。それに。
ミルゥはカザンに要らぬライバル心を抱いているようだが、それは余計な心配というものだからだ。にゃんごろーにとって特別な人間は、今のところミルゥ一人だけだと思われる。
それは、誰の目にも明らかなのだが、本人には分からないものなのだろう。
「しょうがねぇ。行くか……」
クロウは、いろいろ諦めて重い腰を上げた。
カザンはクロウを待つことなく“巣”内に入っていた。尻尾で連なるネコーたちの真後ろにマグじーじがはりつき、カザンはその後ろをゆっくりと隙のない足取りで歩いている。
置いて行かれた、とも。
薄情なヤツだな、とも。
特に思わなかった。
同じ空猫クルーではあるし、同じチームになって一緒に仕事をしたこともある。けれど、少し年が離れているせいもあって、あまり親しくはない。
お船がある地域では、18歳で成人とみなされる。
カザンは、おそらく20代前半くらいのはずだった。長老の孫ネコーであり、旅の行商ネコーでもあるソランと、よく酒を酌み交わしているようなので、成人していることは間違いないはずだ。
対して、クロウは再来月で、ようやく成人となる。
成人と未成人の間には、大きな壁がる……というわけでもないのだが。先月、成人したばかりのミルゥとは気軽にふざけ合うことは出来ても、カザンとは仕事上必要な会話以外、したことがなかった。
常に隙がなく周囲に気を張り巡らせているクールで寡黙なサムライ――というのが、クロウから見たカザンのイメージだった。仕事の合間に、あいさつ程度の世間話くらいはするが、雑談で盛り上がるというようなことはなかった。
気後れしているわけではないが、気軽に声をかける気にはならない。
クロウにとってカザンは、そんな相手だった。
けれど、案外とそうでもないようだ。
昨日の夕方から、それを感じ取ってはいたが、それでも。
通路から“巣”内に入る際に一声かけてくれたことが、クロウには驚きだった。
そういうことをしないタイプだと思っていた。
カザンの外側の部分だけを見て判断していたのだろうな――と考えながら、クロウも先を行くみんなの後を追いかけていく。
ネコーたちは、光の消えたラインに沿って、卵船の格納スペースに向かっているようだ。
子ネコーは、長老の尻尾をしっかりと掴んで、キョロキョロしつつもおっかなびっくり歩いている。
その姿に、思わず笑いを誘われた。
会話が聞こえなくても、小さな毛玉たちがちょこまか動いている様を見ているだけで面白い。
カザンは、そんなネコーたちの姿に雰囲気を和ませつつ、油断なく周囲に気を張り巡らせるという器用なことをしていた。
休日だというのに、仕事の時に着用する濃紺の上下を身に着け、その上に和国製と思われる白い筋が混じった藍色の上着を羽織っている。
頭の高い位置で長い黒髪を一つに括っているが、その毛先は少しも揺れていない。足の短いネコーたちの進行に合わせてゆっくり歩いているせいもあるのだろうが、体幹がしっかりしているからだろう。
さほど急がなくても、すぐに追いついた。
クロウは頭の後ろで両手を組み、カザンの隣に並ぶと気になっていたことを尋ねてみた。
「なあ、カザン」
「なんだ?」
「ちびネコーさぁ、ナナさんとトマさんがいないことに気付いてるのか?」
「いや……。まだ、気づいていないようだな」
そうなのだ。
ナナばーばとマグじーじは、どうしても外せない仕事あって、ミルゥより一足先に卵船に乗って出発したのだ。
見学会に参加できないのは残念だが仕方がないとして、にゃんごろーに惜しまれながらお見送りをしてもらうことを内心すごく楽しみにしていた二人は、眠っている子ネコーに後ろ髪をひかれながら泣く泣く飛び立って行った。
二人とも別に、もったいぶって黙っていたわけではない。
昨日の夜に急遽、舞い込んできた仕事だったのだ。
朝は朝で、早朝の冒険を終えたにゃんごろーが気持ちを浮き立たせていたので、水を差しては悪いと言い出せないまま、ついにはこんなことになってしまったのだ。
そのことに、にゃんごろーはまだ気づいていなかった。
にゃんごろー的に怒涛の展開が続いていたし、仕方のないことかもしれない。
けれど、先に出発したのが二人でなくてミルゥだったなら、一発で不在に気付いたのだろうな――と考えて、クロウは少しだけ二人に同情した。
「二人が帰って来るまで、気づかなかったりしてな」
「いや、それはどうだろう……。だが、そういう事もあるかもしれないな……?」
クロウの軽口に、カザンは笑みを含んだ声で答えた。
珍しいな――という感想を、クロウはすぐに打ち消した。
きっと、今日は何度もお目にかかる羽目になるのだろうと思い直す。
今まで、取っ付きづらいように思っていたカザンとの関係も、これから少しずつ変わっていくのだろうな、とも予想した。
その予想は、間違いではなく。
すこーし成長して、長老の気質を受け継ぎつつも、ほんの少ししっかりしてきたにゃんごろーが、
『クロウとカザンの仲を取り持ったのは、にゃんごろーだから!』
などと言うようになるのは、今はまだ未来のお話なのだった。