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第92話 楽しく魔法修業!

「にゃごにゃごにゃご…………にゃ!」


 入り口に向けた片手をサッと振りながら、長老は呪文なのか掛け声なのか分からない何かを呟き、叫んだ。

 すると、入り口が閉じていく。

 長老の言った通り、魔法自体は一緒だった。

 卵のお部屋で見た時と、同じことが起こった。

 四角い枠が、シュシュシュシュシュッと小さくなっていき、最後にシュンと枠が消えて、“向こう側”が見えなくなった。

 そこまでは、確かに一緒だった。

 けれど、その後は。

 まったく別の現象が起こった。


 卵のお部屋から見た時と、まったく同じ…………というか逆再生したようなことが起こるなら、そこは壁になっているはずだった。

 なのに、入り口だったその場所には、壁も、扉すらもなかった。

 行き止まりになるはずだった、そこには――――。


 通路のその先が、あった。


 青い壁。透明なようでいて先が見通せない、空のような青い壁。

 床と天井は、仄かに白く光っている。陽光が差し込む雲を固めて作ったかのような、床と天井。仄かな光が灯っているのは、長老のほんの数歩先までで、その先は。

 星のない夜空のような闇へと通じている。


「ほほぅ……」


 にゃんごろーは、闇の先をじーっと見つめながら、小さく声をもらした。それから、クリンとお顔をマグじーじの方へ向ける。ただし、見ているのはマグじーじではない。マグじーじの向こう側。長老向こう側に見えるのとまったく同じ景色。仄かな白い光の向こうの宵闇だ。


「ふぅむ?」

「え? なんでだ? なんで、行き止まりじゃないんだ? この通路、何処へ繋がっているんだ? ちゃんと、船の中の何処かに繋がってるんだよな?」


 魔法生物ネコーとして魔法的な何かを感じ取ったのか、もふもふの小さなお手々を顎の下に当てて考え込んでいると、目の前を何かが過っていった。

 修行を終えたらしいクロウが、疑問符を巻き散らしながら四つん這いで前を通り過ぎて行ったのだ。思わず目で追いかけると、クロウは長老の隣でピタリと止まった。

 四つん這いのまま、入り口だった場所に向かって、そろそろと手を伸ばしていく。その手を遮るものは、存在しなかった。長老の尻尾よりも、もっと先へと手は伸びていく。いっぱいまで伸びた手は、何もないことを確認するようにクルクルと円を描いてから、シュッと素早い動きで元の場所へ戻っていった。


「ほ、ほんとに何もねえ…………。どうなってるんだ? 俺たち今、本当に船の中にいるんだよな? 空の上の何処かにある異空間に取り込まれたとか、そういう事じゃないんだよな?」


 引きつった顔で、クロウは誰にともなく捲し立てた。

 空の何処かにある不思議な空間に取り込まれ、閉じ込められ、取り残されたような不安が、じわっと湧き上がってきて、落ち着かない気分だった。

 雲を固めて作ったかのような床が、また不安を搔き立てる。その内、突然、フッと結合が解けて、本物の雲をすり抜けるように、何処とも知れない何処かへ何処までも落ちていく。そんなイメージが勝手に湧いてきて、とにかく落ち着かない。

 気持ちも落ち着かないが、足元が落ち着かない。

 足元も膝元も手元も落ち着かない。

 おまけに、なんだか背筋がざわざわしている。

 両手を床についたまま、ペタリと腰を落とすと、頭上からからかうような声が降ってきた。


「ふっ、意外と可愛いことを言うんだな?」

「は!? 逆にアンタは、なんでそんなに涼しい顔をしているんだよ!?」


 声の主は、いつも涼しげな顔を崩さないサムライ、カザンだった。クロウは即座に反応し、顔を後ろに向けてカザンに噛みついた。

 カザンは、いつも通りの涼しげな顔でクロウを見下ろし、涼しげにしていられる理由の説明を始めた。


「ここは、確かに不可思議な空間だが、魔法整備班が日常的に業務に使用している場でもあるのだ。勝手な行動をせず、マグ殿の指示に従って行動すれば、問題なく船内に戻れるだろう」

「ぐ……。そう言われれば、その通りなんだが。冷静に言われると、なんかムカつくな。俺一人で動揺しているみたいじゃねーかよ……」

「実際、その通りだろう? 休日だからと言って、気を抜きすぎだぞ、クロウ。空猫クルーとして、常に冷静な対処を心掛けるべきだ。端っこマスターの修行ばかりしていないで、もっと精神鍛錬に励むべきだな」

「…………………………」


 クロウは腰を上げて四つん這いに戻ると、無言のまま後退し、元の場所へと戻った。

 カザンは終始、口調も表情も涼しさを保ったままだった。真面目な忠告なのか、からかわれているのか判断がつかず、何と返したらいいのか分からなかったのだ。

 だがまあ、カザンの冷静な指摘により、得体の知れない不安は少し落ち着いていた。

 そのせいで、余裕も出てきた。

 そう言えば、と思い出したように子ネコーへと目を向ける。


「うぅむ。おふねにゃのか……おしょらにゃのか……。むじゅかしいもんだいらねぇ……」


 子ネコーは腕組みをして、首を右へ左へと倒して子ネコーメトロノームになりながら、難題に取り組んでいるようだ。

 難しいお顔をしているが、とても楽しそうでもある。

 そのお顔からは、恐怖も不安も動揺も感じられない。

 子ネコーは、楽しく魔法修業に励んでいるのだ。

 不安を抱き、動揺したのはクロウ一人だけだった。ここには、クロウが感じている得体の知れないざわざわを共有できるものは誰もいないのだ。


(…………仲間が欲しい)


 ――――と、クロウは心の底から思った。

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