名前を呼ばれて、肩を揺すぶられて、クロウは我に返った。
クロウを呼んだのはにゃんごろーで、肩を揺すぶったのはカザンだった。
我に返ったことで、気づいた。
自分が、現実逃避の旅に出てしまっていたことに。
そして、思い出した。現実を。
何やら、おそろいの会なるものが結成され、なぜか自分が強制的に会のメンバーにされそうになっているという現実を。
端っこマスターだなんて、出来ればなかった事にしたい微妙すぎる称号と共に、強制参加がほぼ確定しているらしき現実を。
現実に無理やり引き戻されたクロウの目に、真っ先に映し出されたのは、無言だが有言な子ネコーとサムライだった。
子ネコーからは、溢れんばかりの歓喜と期待とやる気と、「早くぅ~!」という待ちきれない思いが伝わってきた。
サムライからは、「早くしろ」という圧を、ひたすらに感じた。
(いや、早くって、何が? 何を?)
半分麻痺したままの頭に疑問符を浮かべていると、無言なままのサムライに視線で促された。その視線を追いかけて、目線を落とす。
すると、サムライと子ネコーが、手と手を重ね合わせているのが見えた。
指が長く、無骨さとしなやかさが絶妙に同居しているカザンの手。その甲の上に。何処までいっても明るい茶色のもふもふでしかないにゃんごろーのお手々が、ぽふんと乗っている。
クロウは、誘われるように指を伸ばし、もふもふ絨毯を撫でた。癒しを求めていたのかもしれない。絨毯は柔らかく、暖かく、さらりとしていて、艶があった。素晴らしい手触りだ。心が落ち着く。絨毯の主こそが、そもそもの元凶であることも忘れて、クロウは無心で、もふもふ絨毯を撫でた。
だが、癒しの時間は長くは続かない。
子ネコーが空いている方の手で、クロウの指を払い落としたのだ。
同時に、叱責が飛んできた。
「もー! クリョーは! にゃにしちぇるの! しょーじゃにゃいれしょ! ちゃんとしちぇ!」
「うむ…………。だが、やりたくなる気持ちは分かる」
子ネコーには叱られ、サムライには分かられてしまった。
未練がましく、もふもふお手々を見つめていると、ピンクの肉球が目の前に迫ってきた。にゃんごろーが、肉球お手々をビシッとクロウの鼻先に向けたのだ。
こっちはこっちで触ったら気持ちよさそうだな、などと思っていると、お説教っぽい何かが始まった。
「これは! おしょろいのきゃいの、はじまりを、ちかいあう、とっちぇもらいじな、ぎしきにゃんらかりゃね! ほら! クリョーも! にゃんごろーのおててのうえに、おててをのしぇちぇ! みんにゃれ、ちかいあうにょ!」
「うむ。そうだぞ、クロウ。これは、おそろいの会発足を誓い合う、大事な儀式だ。神聖な気持ちで、にゃんごろーのお手々の上に、おまえの手を乗せるんだ。そっと、優しく、だぞ」
「……………………」
何を求められているのかようやく理解したクロウは、小さく体を揺らした後、ギシッと固まった。
クロウが思考と現実を放棄している内に、会の発足と初期メンバーは本当に勝手に決められてしまったようだ。しかも、クロウに断りなく勝手に決めておきながら、辞退することを許さない気配が濃厚だった。
おそろいの会を発足すること自体は、別にどうでもいい。好きにすればいいと思う。なんなら、祝福してやってもいい。
そのメンバーに、クロウが含まれているのでなければ。
いや、メンバーになること自体は構わないのだ。それくらい、付き合ってやってもいい。会のメンバーとして、クロウに求められている立ち位置が、『端っこマスター』なんていう意味の分からないものでさえなければ。
せめて、ふたりの目指す道もイロモノ道であったならば、メンバーとなることへの心のハードルもグッと下がっただろう。それならば、子ネコーの考えたよく分からない遊びに付き合ってあげているのね、と思ってもらえそうだからだ。
だが、『魔法』『剣』に続いて『端っこマスター』ときたら、クロウにだけ奇異の眼差しが向けられることは想像に難くない。
それは、何か、物凄く嫌だった。
進退窮まるクロウが、それでも何とか断る道はないかと模索しながら唸っていると、業を煮やしたサムライが強制執行に踏み切った。
「仕方ないな」
クロウの手首を掴み、無理矢理にゃんごろーの手の上に重ねようとしたのだ。
それは、さっき、にゃんごろーに払い落とされた方の手だった。
人差し指を突き出したまま、中途半端なところに浮かんで止まっていた手は、カザンの導きにより、再び、もふもふ絨毯に着地した。
指先だけが、着地した。
「えー…………?」
「きっと、クロウは恥ずかしがり屋さんなのだろう。今は、これでよしとしようではないか。きっと、その内に自分から手を差し出すようになってくれるだろう。それまで、私とにゃんごろーのふたりで、見守っていてやろう」
「ほー、ほぅほぅほぅ! にゃるほりょ! クリョーは、はじゅかしがりやしゃんらっちゃんらね! ふ、うふふ。しょれにゃら、しかちゃにゃいね! うふふふ。きょーは、こりぇで、ゆるしちぇあげりゅ! もー、クリョーはぁー! しかちゃらにゃいんらかりゃー。にゃんごろーと、ニャニャンしゃんれ、ちゃんと、みまもりゃにゃいちょねー! うふふふふ!」
「うむ」
「……………………………………」
にゃんごろーは初め、クロウの人差し指オンリーでの強制参戦に不満の声を上げていたが、カザンの嫌がらせのような勝手な推測と寛容さを見せつけるかのような言葉を聞いて、コロッと気を変えた。
クロウを見守るというワードが、子ネコーのお兄さんぶりたい心を擽ったようだ。体を擽られた時のように、子ネコーは身をよじり嬉しそうに笑っている。
勝手に恥ずかしがり屋さん呼ばわりされた挙句、子ネコーに見守られることになってしまったクロウは唖然とした。
「あ」の形に口を開けたまま、ふるふると震えだす。
心の中の何かを、傷つけられた気がして、クロウは一人、震えた。
「よし。それでは、にゃんごろー。準備が整ったところで、発足の合図……号令…………いや、みんなで頑張ろうの掛け声を頼む」
「まかしぇちぇ!」
震えて何も言えないクロウをよそに、始まりの儀式は進行していく。
カザンに大役を任されて、にゃんごろーは空いている方のお手々で、ぽふんと胸を叩いて、ふんぞり返った。
それから、おそらくは長老の真似なのだろう。わざとらしく咳ばらいをしてから、元気に宣誓した。
「しょれれは! にゃんごろーと、ニャニャンしゃんと、クリョーのさんにんで! まほーちょ、けんちょ、はしっきょマシュチャー! しょれじょれのみちを、きわめりゅちゃめに! みんにゃれ、しゅぎょーを、がんばるぞー! おー!」
「にゃんごろーと私とクロウの三人で、魔法と、剣と、端っこマスター! それぞれの道を極めるために! みんなで修行を頑張るぞ! おお!」
にゃんごろーとカザンの瞳が、真っすぐクロウに向けられた。
夢と希望と期待と様々なワクワクと星と虹の輝きを、いい感じにまぶした眩い光。
いいから早くおまえもやれ、やらねば刀の錆にするぞ、と言わんばかりの切れ味の鋭い圧。
葛藤の末、クロウは屈した。
「それぞれの道を、極めるために、みんなで修行をがんばるぞ、おー……」
せめてもの抵抗として、何の道を極めるのかは、口にしなかった。
おそろしく、覇気のない宣誓だった。すこぶる棒読みだった。
けれど、子ネコーはご機嫌だった。それも、恥ずかしがり屋さん故のことだと思ったのだろう。
にゃんごろーは、「よくできました」というお顔で、空いている方の手をクロウへ伸ばしてきた。肉球が、クロウの額でポンポンと跳ねた。
頭を撫でる、の子ネコーバージョンなのだろう。
子ネコーに額をポンポンされて、クロウは何とも言えない心持ちになった。
けれど、気持ちとは裏腹に。
額に感じる、ふにぷにとした肉球の感触は、悪くないものだった。