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第103話 お空の壁の向こう側

「いや! ちょっと、待て! 待て、待て、待て! 訂正しろ!」


 項垂れていたクロウが、突然がばっと顔を上げた。

 俯いていても何にもならない。自分を救えるのは自分だけだ。

 ――――と思い直したのだろう。

 自らの尊厳をかけた、クロウの反撃が始まった。


「俺と長老さんは、おまえが壁の中に進んで行こうとしたのを、止めてやったんだろう!? 俺たちが止めなかったら、おまえ! 壁の中に飲み込まれちまうところだったんだぞ!?」

「…………にゃんごろーが、かべにょにゃかに?」


 にゃんごろーは、胡乱な目をクロウに向けた。「何を言っているんだ?」と、はっきりとお顔に書いてある。


「ふぅ……」


 にゃんごろーは首を横に振りながら、大げさにため息をついた。それから、腰に両手をあてて、クロウに向かってお顔を突き出す。一体誰の真似なのか、なかなか堂に入った仕草だ。


「いいわけは、みりゅりゅりゅー……じょ!」

「え? なんて?…………ああ。言い訳は見苦しいぞって言ってんのか。…………って、言い訳じゃねーよ!」


 これまで、にゃんごろーの拙い子ネコー語に抜群に察しの良さを示してきたクロウが初めて躓いた…………が、すぐに正解に辿り着き、子ネコーに向かって吠えた。

 けれど、にゃんごろーは取り合わなかった。もふっと腕組みをして、ツーンと顔を逸らしたのだ。


「にゃにいっちぇるの! かべは、かべれしょ! しゃっき、はしっきょマシュターのしゅぎょーをしちぇいちゃクリョーのこちょを、ちゃんちょ、さしゃえちぇくれちぇちゃれしょ! にゃんごろー、ちゃんちょ、みてちゃんらからね! だましゃれにゃいみょん!」

「う……、それは、そう言えば、そうだったよう……な?」


 にゃんごろーは、ばっちり目撃していた。そして、ちゃんと覚えていた。壁が壁のお仕事をして、全力でもたれかかるクロウの体をきっちり支えてくれていたことを。

 自分のお手々が壁にトプンと突入したところを見ていなかったにゃんごろーにとっては、だった。

 だが、壁に支えてもらった張本人であるが、子ネコー壁中トプン事件を目撃し救出したクロウにとっては、なのだった。


 つまり、これは一体、どういうことなのか?


 クロウは真相を確かめるべく、壁に向かってそろりと手を伸ばした。

 片手でにゃんごろーの胸を押さえたまま、クロスさせるようにして、反対の手を伸ばす。さっき、にゃんごろーのもふもふがトプンした辺りへ向かって、恐る恐る指を伸ばしていく。

 空と同じくらい透き通っている青色との境目で、人差し指の爪先が固いものに当たった。

 コツンと音を立てて止まる指。

 厚みのあるガラスを叩いた時のような音と感触だった。


「ほら! やっぴゃり! かべは、ちゃんと、かべれしょ!」

「う、壁になってる…………。どうなってるんだ?」


 勝ち誇ったお顔で、子ネコーは「むふーん」と胸を反らした。クロウはそれには取り合わず、コツコツと何度も壁を叩いてみる。

 けれど、やはり。壁は壁だ。壁だった。

 材質はともかくとして、液体のようにクロウの指を受け入れる素振りはない。次にクロウは、思い切って手のひらを軽く押し当ててみた。万が一のことがあってもいいように、ゆっくりと、指先だけに力を込めていく。

 手のひら全体に力を込めては、もしも壁が突然液体化した場合に、壁の向こうへ転がり落ちてしまう可能性があるからだ。子ネコーを助けておいて、自分が壁の中に消えてしまっては世話がない。その点、指先だけならば、危険を感じた時にすぐに引き戻すことが出来る。そう考えて、クロウは慎重に、指先だけに力を込めていく。

 けれども、やはり。壁は壁だった。

 指先には、硬質で冷たいガラスのような感触が返ってくるばかりで、壁はどこまでも壁だった。液体には変わりそうもない。

 空のような青い壁は、クロウの指はお好みではないらしい。

 魔法生物であるネコーだけに反応するということなのだろうか?――――などと考えを巡らせていると、当の子ネコーの呑気な声が聞こえてきた。


「んー、れも……。ほんちょに、かべのにゃかにはいれちゃら、ちょっとらけ、おもしろしょうらね。ろこに、ちゅながっちぇるんだろー…………」


 勝利を確信した子ネコーは、クロウ糾弾ごっこへの関心を急速に失っていったのだ。代わりに、あんなに否定した壁中トップンへの興味が、ムクムクと湧き上がって来たようだ。とはいえ、本気で信じ始めた…………というわけではなく、そうだったら面白いなと想像力を働かせて楽しんでいるだけのようではあった。

 お目目をキラキラさせて、お空の世界に繋がっているような壁を見つめている子ネコー。

 そうしている内に、何かイメージが固まってきたのだろうか。

 子ネコーは、突然歌い出し、踊り始めた。


「まひょーのかーべは、あーおいかべー♪ おーしょらみちゃいにゃ、あーおいかべー♪ きゃーべのむきょーは、どんにゃちょこ? しょこーは、ね♪ まほーれ、ふしぎにゃ、ひみちゅのばしょ♪ おーふねのひみちゅが、かくれちぇるぅ♪ かーべのむきょーは、ふしぎにゃせかい♪ おーふねのひみちゅが、かくれちぇるっ♪ にゃーいしょ、にゃいしょのひみちゅな、ちょころ♪ にゃっ・ふっ・ふぅ♪」


 子ネコーのお歌によると、壁の向こうには魔法で隠された不思議な場所があって、お船の秘密が隠されている、ということのようだ。

 子ネコーらしい、好奇心に満ち満ちたお歌だった。

 歌の節に合わせて、にゃんごろーは前へ後ろへとステップを踏み、リズミカルにお手々を上げたり下げたりした。尻尾の先は、相変わらず長老にがっちり掴まれたままなので、ステップを刻むたびに、尻尾が伸びたり、たゆんだりと忙しい。

 ネコー好きの面々も、それほどでもないクロウも、ついつい目で追いかけてしまっていた。

 お歌の最後で、子ネコーは「にゃふっ♪」と楽しそうに笑った。

 楽しそうな笑顔のまま、子ネコーは再び、壁に向かって手を伸ばした。

 短いお手々を、クロウの手が駐在しているそのお隣へと、もふもふにょにょっと伸ばしていった。

 そして、叫んだ。


「ほ、ほぇええええええ!?!?!?」

「あ。ほら、やっぱり。言った通りだったろ?」


 ペタリとした感触が返ってくるものと信じて伸ばしたお手々は、透明な青さの中にトプンと沈んでいったのだ。

 もふもふなお胸に押し当てた手に軽く力を込めながら、今度はクロウが勝ち誇った。


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