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第104話 お手々がトップン

 パカンとお口を開けたびっくり顔で、子ネコーはお手々がトップリ沈んだ壁を見つめていた。

 それから、勝ち誇っているクロウに、ハッとお顔を向ける。

 そして、また。

 ハッと壁にお顔を戻す。お手々の先が沈み込んでいる壁へと、視線を戻す。


 ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!


 ――――と、子ネコーは心地よいリズムを刻みながら、壁とクロウへ交互に視線を向ける。


 クロウを見て、壁を見て、クロウを見て、また壁を見る。

 クロウたちにとっては、二回目のお手々トップンだが、にゃんごろーにとっては、これが初目撃となるのだ。コミカルな子ネコーの驚きっぷりに、クロウは「ふはっ」と息を吹き出した。もふもふを押さえる手から、ほんの少しだけ力を緩める。

 二回目のお手々トップンが発生した直後、クロウは一回目同様、子ネコーの体を通路側へ引き戻そうと手に力を込めた。けれど、長老が余裕のお顔で「にょほほー」と笑っていることに気づいて、急遽見守り態勢へと方針を転換したのだ。

 冷静になって周囲の様子を窺ってみれば、マグじーじも特に慌てたりはしていなようだった。長老同様、楽しそうに子ネコーを見守っている。心配の「し」の字も感じられない。

 魔法の専門家ふたりが大丈夫と判断しているのなら、本当に大丈夫なのだろう。一回目の時のように、子ネコーが壁の中へ「さようなら」をしてしまうのはマズいが、手の先がトップンするくらいは問題ない、ということなのだろう。

 ふたりの余裕っぷりを見ていると、これも見学会兼魔法修業の一環のようにすら思えてきた。いや、当初の計画にあったのかはともかく、結果的にそうすることにしたのかもしれない。

 クロウは少しだけ気を緩めつつも、いざという時にはすぐに動けるように警戒は怠らなかった。不思議な壁への警戒ではない。子ネコーへの警戒だ。長老も、余裕の笑顔を浮かべつつも、子ネコーの尻尾はしっかりと握りしめている。好奇心に駆られた子ネコーが、この後どんな突発的な行動に走るか分からないからだ。

 子ネコーのどんな動きにも、すぐざま対応できるようにクロウは備えた。


 そして、みんなの注目を一身に浴びている当の子ネコーは、といえば。

 最初のびっくりから無事立ち直り、不思議な感動に全身のもふもふをフルフルさせていた。


「ほんちょに、おててが、かべにょ、にゃかに、はいっちぇる…………。ほわぁー……。ふしぎー。ろーにゃっちぇるにょー……?」


 フルフルしている白が混じった明るい茶色のもふもふから、感嘆の声が上がった。

 小さなお口は「ほわぁ」の形に開いたままだ。

 くりんくりんのお目目は、青い壁の中へと消えたお手々の根元にジッと注がれている。

 壁ともふもふの境目に視線をロックオンしたまま、にゃんごろーは、そぉーっとお手々を引き戻してみた。すると、透明なようでいて不透明な青さの中から、そぉーっとお手々が姿を現す。


「ほわぁあああ……。おててが、れてきちゃぁあ……」


 子ネコーは、お口を開いたまま、「そぉーっ、そぉーっ」とお手々の消失&出現ショーを何度も楽しむ。

 子ネコーのお目目は、キラキラだった。そのまま、本当にお空の星になってしまうのではないかと心配になるくらいのキラキラ加減だった。

 クロウもまた、目を瞬かせながらショーに見入っていた。

 クロウの片手は、まだ壁に押し当てられたままだ。もふもふを押さえているのとは反対の手が、交差する形で壁に伸ばされている。

 壁を触っている指先に軽く力を込めて見ても、指が壁に埋まったりすることはなかった。クロウの指先に、ガラスのような感触をしっかりと返してくれる。

 その傍らで、そぉーっとそぉーっと壁の中へ埋め込まれては、まだ差し出されてくるもふもふのお手々。水の中に手を差し入れては引き出しているだけのようにも見えるのに、青い壁には波紋一つ、飛沫一つ立たない。透明なようでいて不透明な、空を思わせるその青さは、少しも揺るがない。手の動きに合わせて、色味が変わるようなこともない。その青さは、やっぱり微塵も揺るがない。

 見ていると、実体がないのは、にゃんごろーの方なのではないかとすら思えてくる。

 指先に伝わるガラスのような壁の感触が、そんな錯覚を誘発する。


 実はにゃんごろーは、幽霊子ネコーなのではないか。

 だから、壁の中を自由にすり抜けられるのではないか。

 だからこそ、壁を揺るがすことなく、実体のないにゃんごろーの手だけが、物質の障害をものともせずに…………。


 ――――そんな、うすら寒い想像に耽り始めたクロウを現実に引き戻してくれたのは、通路に響き渡る、当の子ネコーの楽しそうな笑い声だった。


「にゃふふふ! にゃっふん!」


 キラキラを巻き散らしながら壁マジックに励んでいた子ネコーは、楽しい気持ちを抑えきれなくなったようで、「にゃふにゃふ」と笑いながら、今度は壁にトップンしたお手々をグルグルわちゃわちゃと動かし始めたのだ。

 修行も壁の調査も、すっかり何処かへ吹き飛んでしまったようだ。

 泥んこ遊びに夢中な子ネコーのような無邪気さで、壁遊びに興じる子ネコー。

 短いお手々が許す限りの、狭くてせまーいスペース内を、縦横無尽、自由自在に駆け巡るお手々。

 ただ、ひたすらに楽しそうだ。


 その子ネコーのお手々が、ぽふんと何かにぶち当たった。

 それは、クロウの手だった。

 壁に駐在したままのクロウの左手。

 その小指の先に、にゃんごろーのもふもふが衝突したのだ。


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