触れ合ったお手々と手を、揃って見つめる、にゃんごろーとクロウ。
その時、にゃんごろーのお目目の奥で、キランと何かが光った。
異変を察知したクロウが慌てて手を引こうとしたが、時すでに遅し。
もふもふのお手々が、タシッとクロウの手の甲を押さえた。
「やめろ!」と振り解く間もなかった。
にゃんごろーは、クロウの手を、「えいっ」とばかりに壁の中に押し込んだのだ。
クロウの手のひらの向こうで、さっきまで壁をしていた壁は、途端に壁ではなくなった。
クロウの手は、にゃんごろーによって、手首まで壁の中に沈められてしまった。
にゃんごろーによって、青い壁の中に埋め込まれてしまった。
「ちょ――――っ!!!! お、おまえ! 何してるんだよ!?」
「んんー?…………んー、かべの…………ちょーしゃ!」
思わず叫んだクロウに、にゃんごろーは「どうしたんだろう?」というお顔を向けた。クロウが何をそんなに慌てているのか、ちっとも分かっていないようだ。重ねたお手々と手をじっと見つめて少し考えてから、シレッと勢いよく答えた。
そして、なぜか突然、鼻歌を歌い始めた。
「にゃっふっふっふーん♪ ぐいーん、にょいーん、ぐっるぐっるぐぅーる♪」
「は!? ちょ、おま!? やめろ! 調査はおまえひとりで好きにやればいい! でも、俺の手を巻き込むな!」
にゃんごろーは、鼻歌交じりに、鼻歌通りにクロウの手を操りだした。つまり、押したり引いたりグルグル回したりし始めた。
クロウは堪らず抗議の声を上げたが、にゃんごろーはお構いなしで、鼻歌を歌い続けている。
クロウは、もう一度叫んだ。
子ネコーに操られて、壁の中を自分の手が泳いでいるという事態に全身総毛だっていた。せめて、壁が半透明で薄っすらとでも壁の向こうへ沈み込んだ手の先が見えていれば、まだ少しはマシだったかもしれない。一見透明なようでいて実は不透明な青い壁の向こうに飲み込まれた自分の手の先が、まるで見えないことが不安を煽った。実に落ち着かない。心もとない。
とにかく、何かを叫ばずにはいられなかった。
「てか、そもそも! これのどこが壁の調査なんだよ!? 遊んでるだけじゃねーか!?」
「えー? あしょんれにゃいよー。きょれはー、こねこーりゅうの、ちょーしゃにゃの!」
クロウの叫びは、子ネコー理論によって打ち返された。クロウの訴えももっともだが、子ネコー理論もまた、真理だった。
子ネコーにとって、遊ぶことは仕事である。つまり、子ネコーの調査とは、遊びの一環であるということなのだ。
反論したいが、反論するのも大人げない気がした。クロウは不承不承子ネコーの主張を受け入れたが、どうしても譲れない一点については、声高にしっかりと主張することにした。
「ぐっ、わ、分かった。これは、子ネコー流の調査だ。そこは、百歩譲ろう。だけど、なんで! その調査に俺の手まで巻き込むんだよ!?」
「ふぇ?…………んー……。しょこに、クリョーのおててが、あっちゃから?」
だが、にゃんごろーはまたしても、シレッと悪びれなく答えた。まるで理由になっていない。とても身勝手な子ネコー理論だ。何一つ、納得できない。納得できないが、身勝手すぎるが故に、反論が難しかった。反論したところで、同じような不毛なやり取りが続くだけのような気がするからだ。
クロウは、口をパクパクさせてから、色々とあきらめて、せめてもとばかりに絞り出すように言った。
子ネコーがあまりにもあっけらかんとしているので、得体の知れない不安は少し薄れてきていた。それに、本当に危険があるなら、さすがに長老とマグじーじが止めるだろうと遅ればせながら気がついたのだ。
「せめて、やってもいいかどうか、俺に聞いてからにしろよ……」
「……………………はっ!」
諦め交じりの力ない訴えは、今度はなぜかにゃんごろーの心に響いたようだ。にゃんごろーは、パカッとお目目を見開いてクロウを見つめた後、もふもふペコリと頭を下げた。
にゃんごろーは、それなりに礼儀を弁えた子ネコーなのだ。これも、長老の教育の賜物だった。
「しょ、しょーらよね! ごみぇんにぇ、クリョー。かっちぇに、クリョーのおててをうごかしゅのは、よくにゃきゃったよね。ごみぇんにゃしゃい!」
「お、おう……」
「…………しょれじゃあ、あらためちぇ! クリョー、いっしょに、かべのちょーしゃを、しよー!」
「お、おう……?」
てっきり今度も子ネコー理論で交わされると思っていたら、潔く謝罪されてしまって、クロウは戸惑った。戸惑いから立ち直れない内に、子ネコーはガバリと顔を上げ、輝く笑顔と共にお誘いをかけてきた。戸惑い中のクロウは、うっかりと肯定ともとれる返事を返してしまった。
「やっちゃー! ありあちょー! よーし、こりぇりぇ、もんらいにゃしらね!」
「え? そう…………なの、か?」
「しょーれしょ!」
にゃんごろーは、ニコニコのお顔をクロウに向けた。
いつの間にか、クロウの同意のもとに共同壁中調査を行うことが決定されてしまったようだ。
クロウは、チラリ、チラッと子ネコーの保護者と見学会の主催者の様子を窺ってみた。ひとりは、のほほんと笑っている。もう一人は、でれんとにやけている。
きっと、危険も問題もないのだろう。たぶん、おそらくは…………。
クロウは天を仰いで大きく息をつくと、腹を括った。
さしたる危険がないとなれば、不思議な魔法の壁への好奇心が頭をもたげてきた。
「しょうがねーなー……。付き合ってやるよ」
「うん! しょれりゃあ、はりきっちぇ、ちょーしゃ、しゃいきゃい!」
「おう…………あ?」
「うみゅ?」
仕方なく子ネコーに付き合ってやる体を装いながらも、内心では壁中調査への興味が湧いて来ていたクロウだったが、クロウの壁中調査は始まる前にあっさりと終了した。
クロウの言葉を受けて、壁中調査再開を宣言したにゃんごろーが、「ならば、次は自分で自由に調査してみろ」とばかりにクロウの手からお手々を離した途端に、クロウの手はもにょんと壁から押し出されてしまったのだ。
クロウが自分で手を引き抜いたのではなく、壁の方が押し出したのだということは傍目にも明らかだった。
それは、まさしく、“もにょん”だったのだ。