にゃんごろーは、しげしげと壁から「もにょん」と押し出されたクロウの手を見つめていた。押し出されたばかりのクロウの手は、五本の指の先だけで、壁を押さえている。
クロウは、人差し指の爪先で、壁を叩いてみた。
コツン、と硬質な音が響いた。
さっきまでクロウの手を飲み込んでいた壁は、今は素知らぬ顔でクロウを拒絶し、壁としての役割を果たしている。
「えー? しゅごーい! ろーにゃっちぇっるにょー? コチュンって、いっちゃよ? かたくにゃっちぇるよ? にゃんごろーのおてちぇは、こんにゃに、にゃんにもにゃいかんじれ、うごいちぇるにょに!」
興奮して、少し上ずった声で子ネコーが言った。子ネコーのお目目は、キラキラ大バーゲン絶賛開催中だ。そのキラキラは、壁に埋まっている自分のお手々と、壁を触っているクロウの手を忙しそうにいったり来たりしている。
「ろーゆう、かんじらっちゃの?」
「んー、うーん。なんか、それまで何にもなかったのに、急に壁の中の手全体がクッションみたいな…………こねている途中のパン生地…………よりも柔らかい、ちょっと粘度のある何かに包まれて、そのまま押し出された…………みたいな?」
「ほぅほぅ、ほほぅ。にゃるほろぉ…………」
「ちびネコー。ちょっと、もう一回、やってみてくれ」
「うみゅ! まかされちゃ!」
すっかりと探求心が芽生えてしまったクロウは、壁に片手を押し当てて、にゃんごろーに要請した。クロウに頼まれて、にゃんごろーは張り切った。クロウが積極的に参加してくれたことが嬉しくて、大いに張り切った。俄然、共同調査めいてきたからだ。にゃんごろーは、ひとり遊びの上手な子ネコーだったが、たまには誰かと一緒に遊びたいのだ。兄弟ネコーのにゃしろーが魔女に預けられてから、ひとり遊びばかりだったにゃんごろーは、クロウの積極参加を大いに歓迎した。
ごっこ遊びの相手が出来て嬉しくて仕方がないにゃんごろーは、「むふん」と大きく胸を張ってクロウからのお願い事を請け負うと、壁からお手々を引き抜いて、早速タシッとクロウの手の上に重ねる。
壁で待ち構えていたクロウの手の甲に、ひんやりぷにっとした感触が伝わってきた。
「しょれじゃあ、いくよ! じゅんびはいいかね? クリョーきゅん!」
「おう! やってれくれ! ちびネコー!」
「うみゅ! ではれは、いじゃ! ちょーしゃ、はじめ! うにゃっ!」
ウキウキでノリノリな子ネコーに釣られて、クロウが子供の頃のごっこ遊びのテンションで答えると、にゃんごろーは可愛らしくも威勢のいい掛け声と共に、肉球に力を込めた。
ぷにっとしたものに押されて、クロウの手は壁の中にトップリと埋め込まれていく。
「おー…………。さっきは、動揺していて気づかなかったけど、こっちの方が、空気が冷たいな。指の先が、ひんやりしている。だけど、感触的にはどこから壁の中なのか、さっぱり分かんねー。埋まってる手首を見てなけりゃ、壁に空いた穴の中に手を突っ込んでるだけみたいな感覚だな」
「ほぅほぅ、にゃるほろー」
クロウの調査分析風感想を聞いたにゃんごろーは、もっともらしいお顔でクロウの手をゆっくりと押したり引いたりした。にゃんごろーのお手々の動きに合わせて、クロウの手は壁の中に出たり入ったりを繰り返す。
「んー。やっぱり、空気の温度が違うだけだなー。指先も自由に動くし。なあ、ちびネコー、少し奥まで入れてから、手を離してみてくれ」
「りょーきゃい! しょれ! にゃっ!」
クロウの要請に応じて、にゃんごろーはクロウの手を奥まで突っ込んだ。クロウの反対の手で胸を押さえられているので、奥と言っても高が知れているのだが、それでも。短い手が許す最大限可能な限り、奥まで突っ込んだ。クロウの手が、手首のもう少し先くらいまで青い空間に沈んだところで、鳴き声のような掛け声と共にお手々を離す。すると。
もにょん。
お手々を離した途端に、クロウの手が青いところから押し戻されてきた。にゃんごろーのお手々は、青さの中に沈んだままなのに、クロウの手だけが『もにょん』と押し戻されてきた。
「おー……。やっぱり、ちびネコーの手が触れていないとダメみたいだな。ネコーと人間だからか? それとも、魔法が使えるかどうかが問題なのか?」
「種族の問題というよりも、ここの魔法との相性の問題じゃのー」
壁から手を『もにゅん』と手を押し戻されたクロウが考察めいたことを呟いていると、後ろから、魔法の専門家であるマグじーじの声が聞こえてきた。
どうやら、そういう事のようである。
相性についての詳しいことは、聞いてもどうせ理解できなさそうなので、余計な質問をするのは止めておいた。
すると、にゃんごろーがしたり顔で頷きながら、こんなことを言い出した。
「にゃるほろ、にゃるほろ。ふぅむ。クリョーきゅんは、なかにゃか……なかにゃきゃ…………。んーちょ?…………な、なかにゃきゃにゃ、にゃかにゃきゃらね!」
「そうじゃのぅ。なかなかな、なかなかじゃったのぅ」
「ふむ。クロウは、なかなかの『なかなか』なようだな」
「うむん。なかなかなぁ、かなかなかなぁー」
語彙が微妙な子ネコーは、「なかなか」の後に続ける丁度いい言葉が思いつかなかったようで、「なかなか」尽くしで強引に締めくくった。マグじーじとカザンが、嬉しそうな顔でそれに追従する。長老は、なぜか謎の呪文を唱え始めた。
「ふふ。うふふふ。クリョーは、なきゃにゃきゃの、かなかにゃきゃにゃ!」
「うむ。クロウは、なかなかの“かなかな”だな」
「うむ、うむ。なかなかの“かなかな”ぶりじゃな」
「クロウはぁー、なかなかのぉー、かなかなかなぁ~」
「なんだよ。なかなかのかなかなって…………。そういう微妙な称号、もういらないんだけど……」
子ネコーは、長老の謎呪文が気に入ったようだ。
にゃんごろーが楽しそうに、長老の呪文を微妙な発音で復唱すると、カザンとマグじーじがまたしても追従した。長老は、今度は歌い出した。
にゃんごろーと長老の連係プレイにより、クロウには新たな称号が授けられたようだ。
いらない称号を無理やり授与させられたクロウは、ガクリと肩を落としてぼやいたが、慰めの声はどこからもかからない。
代わり、と言っては何だが、ネコーたちがそろって仲良く歌い出した。
――――そして。
「なかにゃかにゃきゃぁ~♪」
「かなかなかな~♪」
通路には、ネコーたちの「なかなかなかなかな」が、どこかずれた輪唱を繰り返すのだった。