「………………ん? んん?」
子ネコーのお口から、想定を大幅に外れるセリフが聞こえて来て、クロウは目を瞬かせた。頭を撫でてやろうと伸ばした手を、にゃんごろーの頭上で待機させたままで。
『お肉は、美味しい。にゃんごろーも、大好き』
子ネコーは、確かにそう言った。
そう、聞こえた。
クロウは再度目を瞬き、それから首を傾げた。
しんみりとした空気に飲まれて、遠くへ旅立っていたクロウの“戸惑い”が「ただいま」を告げた。“戸惑い”は、お友達の“混乱”を引き連れてきた。突然の帰宅&来訪に、クロウはどう対処していいか分からず、目を泳がせる。
子ネコーが言っていることは、分かる。
同意も、出来る。
確かにお肉は美味しい。クロウだって、お肉は大好きだ。その点については、頷ける。何ら、異論はない。
異論は、ない。ないのだが。
話の流れ的に、何かがおかしい。
それは、はたして。
今、このタイミングで言うべきセリフなのだろうか?
不幸にも、森の獣に食べられてしまった兄弟ネコーを悼み、偲び、涙を流したその後に、口にするセリフなのだろうか?
“戸惑い”と“混乱”は、しばらくクロウの中に居座ることを決めたようだ。もてなすべきか追い払うべきか決めかねたまま、クロウは真意を探るべく子ネコーを見つめる。
子ネコーは、濡れた瞳を真っすぐクロウに向けている。“純真”もしくは“純粋”とタイトルをつけたくなるくらいに、澄んだお目目だった。
子ネコーのお目目を濡らす涙に、嘘はない。
その涙は、つぶらなお目目を押さえていたお手々を濡らし、そのお手々を通じて、今まさにクロウの膝頭をじっとりさせている。
もしかしたら、場の雰囲気をしんみりさせてしまったことや、みんなの前で泣いてしまったことを誤魔化すために、わざと茶化しているのでは?――――とも考えたが、そういう感じではない。
にゃんごろーは、真摯にクロウを見上げている。
子ネコー劇場的なアレではない。本気で本当のアレだ。
子ネコーからは、これから、とても大切な話をするのだという強い意思が感じられる。
“戸惑い”と“混乱”の導き手であるにゃんごろーは、あくまで真剣に、しんみり路線から外れた方向へと進んで行った。
「にゃんごろーも、クリョーも、おにくでしょ?」
「…………まあ、そう、だな?」
“戸惑い”にお茶を振舞いながら、クロウは曖昧に頷いた。
子ネコーの言うことは、一つ一つは間違いではないのだ。ただ、話の流れに引っかかりを覚えるだけで。子ネコーと同列のお肉扱いには、話の流れ意外にも引っかかるところはあるが、間違いというわけではなかった。
路線は完全に“しんみり”から外れたように思えるのに、にゃんごろー自身は“しんみり”路線真っ盛りの頃の調子を貫いていた。
にゃんごろーは、あくまで、真剣だった。あくまで、天使的に、真剣だった。
クロウを真っすぐに見つめ、あくまで天使的かつ真剣に、子ネコー的結論を述べる。
「だから、おいしくたべられちゃり、しにゃいように、しんちょうに、いきにゃいちょ、いけにゃいにょ。クリョー、わかっちゃ?」
……………………話は、繋がった。一応。
にゃんごろーが何を伝えようとしていたのか、クロウはようやく理解した。
こうして、最後まで聞いてみると、話の流れ的にも、それなりに繋がっている。一抹の微妙さが漂うとはいえ、まあ理解はできる。
クロウの助手煮込み話から、クロウとにゃんごろーはお肉であると改めて認識し、そこから獣に食べられてしまった兄弟たちのことを思い出し、悼み、同じ轍を踏まないように、お肉として美味しくいただかれたりしないように気をつけて生きようと決意を新たにした。そして、助手であるクロウにもそれを喚起する。
ふざけているのでもなく。茶化しているのでもなく。
にゃんごろーは、本気で、真剣に忠告してくれたのだ。
先生として、助手に。
お肉として、お肉に。
森の獣に美味しく食べられたりしないように、慎重に生きねばなるまい、と。
心の底から大真面目に、本気かつ真剣に忠告してくれているのだ。
本気でクロウにお肉として生きていく上での注意を呼び掛けているのだ。本気で純粋にクロウのことを心配して、先生として助手に注意喚起をしてくれたのだ。
それは、分かる。それは、分かった。
だが、「にゃんごろー先生、ありがとう」とは思わなかった。思えなかった。
むしろ、腑に落ちない。
なんだかいい話風に締めくくられているところも含めて、腑に落ちない。
なぜ、空猫クルーである自分が、こんな年端もいかない子ネコーに、お肉として心配されているのだろうか――――?
クロウは、無言のまま、にゃんごろーを見下ろした。
見上げてくるにゃんごろーからは、慎重に生きねばという決意と共に、先生としてクロウを案じているらしきことが感じられる。
カザンとマグじーじは、クロウの身をお肉的に案じるにゃんごろーに、純真さと天使みを感じ、感動すら覚えているようだ。
だが、クロウは違う。
感動に震えるどころか、体内を流れるすべてが凪いだ。液体的なものや、時間的なもの、流れを司るすべてが凪いだ。そして、心は萎えた。
クロウは、子ネコーの頭上で待機させていた手を、ぽすんと着地させた。無言のまま、指を動かす。明るい茶色のもふもふ頭を、指の先でぐしゃぐしゃと乱暴に優しくかき混ぜる。
「…………………………」
「にゃ!? みゃ!? ちょっとぉ~!? にゃにしゅるにょ~!? みょー! にゃんごろーのおはにゃし、ちゃんと、わかっちゃにょ!? クリョ~!?」
にゃんごろーは悲鳴を上げたが、クロウは構わず指を動かし続けた。
子ネコーの決意を否定するつもりはない。
話が、子ネコーの決意だけで終わったならば、一抹の微妙さを感じつつも、素直に応援しただろう。
だが――――。
半人前の子ネコーに、上から目線でお肉として心配される謂われはないのだ。
ひとりで森に入ることを許されていないような子ネコーと同列のお肉扱いは、空猫クルーとして承服しかねる。
「ちびネコーよ。おまえ、それは、俺が空猫クルーだって分かっていて言っているのか?」
「………………みゃ?」
振り払おうともがく子ネコーの反抗を難なくかわしながら「頭わちゃわちゃの刑」を敢行していたクロウが、手を止めて、子ネコーを軽くねめつけ、尋ねた。
もしも、子ネコーが「クロウが空猫クルー」であると分かっていて、それを軽んじるような発言をしたのならば、全力でもって抗議するつもりだった。
子ネコーの返答次第によっては、「全身わちゃわちゃの刑」を執行するつもりで、両手を構えるクロウ。
「頭わちゃわちゃの刑」から解放された子ネコーは、逆立つ毛並みをテシテシと撫でつけながら、分かっていなさそうなお顔でクロウを見上げた。