準備は整った。
いよいよ、にゃんごろーが『雲がずももも』魔法を披露する時がやって来た。
はたして、にゃんごろーは一度で魔法を成功させることが出来るのか?
みなの関心が、にゃんごろーに集まる。…………訂正しよう。屍長老を除くみなの関心が、にゃんごろーに集まった。
当のにゃんごろーは、みんなの視線を集めていることに気づかないまま、マイペースを貫いていた。
「まじゅは、あちゃまのにゃかれ、やっちぇみりゅ。ちゃんと、れんしゅー、しにゃいちょね。れんしゅーは、らいじらからね。うん」
もふっと腕組みをして「うん、うん」と頷くと、にゃんごろーはお目目を瞑った。言葉通りに、本番前に頭の中で練習をしてみるためだ。
ドライヤー魔法の失敗と、卵船のお部屋での失敗を、にゃんごろーは忘れていなかった。初めて使う魔法は、元気が良すぎる結果になりがちだということを、ちゃんと学習していたのだ。雲が勢いよく成長しすぎて、天井に頭がごっつんこ、なんてごめんだ。
調子にのっていきなり魔法を披露したりせず、慎重な子ネコーぶりを見せるにゃんごろー。
外野からの関心は、感心に変わった。
キラキラ組は、意外な慎重さをみせるにゃんごろーに、素直に感心していた。
卵船での失敗を知っている青猫組は、子ネコーの成長に目を見張った。
「にょし! にゃれりゅ!」
カッとにゃんごろーがお目目を見開いた。キリキリと引き締まった声でビシッと言いきったが、やる気が滾るあまり発声の方は「ほにゃほにゃ」だった。おそらく、「よし! やれる!」と言いたかったのだろう。
「ふん!」と鼻から息を吐き出すと、にゃんごろーは、さっきキララがやったように、片方のお手々をサッと横に出した。そのままのポーズで静止する。
自分の中のタイミングを計っているのだ。
力み過ぎないようにと、深呼吸を繰り返すにゃんごろー。呼吸を繰り返すごとに、もふっと小さい体から、力が抜けていく。
心と体が、緩すぎず固すぎない、ちょうどいい案配に達した時。
深呼吸が、止まった。
「ほっ」
小さな掛け声と共に、にゃんごろーは雲クッションの脇を肉級のお手々で優しく叩いた。
ずももももーん。
にゃんごろーを乗せて、白い雲はお空へ向かって伸びていく。
ゆっくり、ゆっくりと伸びていく。
魔法が成功したのだ。
にゃんごろーの心にサッと喜びが走る。
けれど、子ネコーは気を抜いたりはしなかった。
喜びの泉で心を満たして、その泉で泳いだり溺れたりなんて、しなかった。
そうならないように、喜びの蛇口をキュキュッと締めて閉める。
まだ、その時ではない。
まだ、魔法は途中なのだ。
テーブルの上で待っているお料理たちと、ちょうどいい高さで「こんにちは」が出来るまで、魔法は完成していないのだ。
ここで気を緩めて、大成功を逃してはならない。
雲クッションはゆっくりと成長を続けているけれど、にゃんごろーは今日の見学会で急速に成長したようだ。出来る子ネコーになる日も、近いのかもしれなかった。
慌てず焦らず、雲を成長させていくにゃんごろー。
白雲テーブルから、明るい茶色のお耳が、にょっこりと姿を現した。続いて、喜びを奥底に湛えつつもキリリと引き締められたお目目。それから、ひよひよと揺れるおひげ。キュッと閉じられた、可愛いへの字口。くすぐりたくなる、もふもふと小さな顎。
にゃんごろーのお顔が全部、白雲テーブルの上に現れた。
にゃんごろーは、雲のクッションに乗って、雲上の楽園へと辿り着いたのだ。
楽園の入り口で、スープとサラダがにゃんごろーを待っていた。大変美味しそうなお出迎えだ。逸りそうになる気持ちを宥め、にゃんごろーは冷静に、雲クッションの脇でお手々をスタンバイさせた。
ここからが、大事なところなのだ。
慎重に、お料理との距離を測り、最適なタイミングを計るにゃんごろー。
「ここりゃっ!」
鋭く叫んで、にゃんごろーは雲クッションを叩いた。
ピタリと動きを止める雲のクッション椅子。
ベストでジャストなタイミングだった。
かろうじてキリリを保ったまま、にゃんごろーは両方のお手々をもふっと雲テーブルの上に置いた。
ちょうどいい位置だ。
これなら、楽園のお料理たちとも仲良くなれそうだ。
子ネコーの魔法は、大成功だった。
心の奥底から、嬉しい気持ちが、サァアアっと湧き上がってくる。ついに、喜びの蛇口を全開にするときがやって来たのだ。
喜びのシャワーを浴びながら、にゃんごろーはまず、お出迎えをしてくれたスープとサラダに微笑みかけた。それから、目線を上げて、向かいの席に座っているキララにも笑顔で喜びを伝える。
そこで一度、にゃんごろーはキュッと脇を閉めながら、ギュッとお目目を閉じた。小さく丸まって毛先を震わせながら、ひとり喜びを噛みしめているのだ。ググっと丸まって子ネコーボールになっていたにゃんごろーは、隣に座っている長老に向かって、ぱあっと両手を広げながら、お顔を弾けさせた。満開・全開・花吹雪の笑顔だ。
「ちょーろー! みちゃ!? にゃんごろー、いちろれ、りょーるにれきちゃよ!」
魔法の大成功を長老に褒めてもらおうと、全身のもふもふ毛先から喜びと嬉しさを巻き散らしながら、長老に期待の眼差しを送るにゃんごろー。
今回、魔法のお手本を見せてくれたのはキララだったけれど、まだまだ子ネコーのにゃんごろーが真っ先に褒めてもらいたいのは、やっぱり長老なのだ。
きっと、長老も褒めてくれる!――――と、信じて疑わなかった。
お褒めの言葉だけでなく、頭ポンポンだって、してもらえるはずだと、にゃんごろーは期待していた。確信していた。
けれど、その期待は裏切られた。
長老は、屍のままだったのだ。