長老は、屍のままだった。
虚ろな瞳は、自分の分のスープとサラダに固定されたまま動かない。
雲テーブルの上には、涎の水たまりが出来ていた。
にゃんごろーが魔法を大成功させたことを褒めるどころか、魔法を使ったことにすら気づいていないのは、誰の目にも明らかだった。
褒めるとか褒めないとか以前の問題だ。
喜びに膨らんでいた子ネコーの体が、みるみる萎んでいった。
太陽にも匹敵するほどに輝いていたお目目が、翳っていく。
がっかりだった。
これならば、大成功のつもりだった魔法に「あそこをこうすれば、もっとよかったのぅ。まだまだじゃのぅ」だのなんだのとダメ出しをされる方がまだマシだった。
見てもらえてすら、いなかったのだ。
ショックだった。
これまでのにゃんごろーだったら、「ちょーろぉーの、ばきゃぁー! ろーしちぇ、みちぇなきゃっちゃのー!?」だなんて、泣き出していたかもしれない。
けれど、にゃんごろーは泣かなかった。
ここでも、成長を見せつけた。
小さく「ふっ」と息を吐き出すと、にゃんごろーは長老にあっさりと見切りをつけて、前に向き直った。
そして、先ほどよりも少し落ち着いた笑顔をキララに向けた。
「キラリャ、ありあちょうね。キラリャのおかげれ、りょーるにれきちゃ! おれいが、おしょくなっちぇ、ごめんにぇ」
「ううん! そんなの、気にしないで! それより、おめでとう! 本当に一度で成功させるなんて、わたしより小さいのに、すごいのね! わたしなんて、上手くできるようになるまで、何度も練習したのよ?」
「え? えへへ…………しょんにゃこちょ…………」
大成功の立役者であるキララは、お礼が遅れたことを怒ったりはせず、手放しでにゃんごろーを褒め称えた。長老にがっかりさせられたにゃんごろーを気遣ったわけではなく、本当に心から感心しているようだった。
照れたにゃんごろーは、お手々を胸の前で合わせて、恥ずかしそうにもじもじした。自分と同じ子ネコーに褒めてもらえるのは、長老に褒めてもらうのとは違う嬉しさがあった。なんだか、こそばゆい感じがするのだ。
再び始まった子ネコーたちの微笑ましいやり取りに頬を緩ませながら、マグじーじは長老の世話をやいていた。にゃんごろーの後ろでナデナデ待機をしていた手は、おしぼりで長老が作った涎の水たまりを拭くことに使われている。「今だ!」と待機していた手を伸ばしかけた時に、にゃんごろーが長老を呼んだ時には「しまった!」と心臓を凍りつかせたが、もう大丈夫そうだ。てっきり泣き出すのではないかと思ったが、子ネコーは思ったよりも成長していた。
女の子ネコーの前だから――――などという甘酸っぱい理由ではなさそうだが、キララのおかげであることは、間違いがないだろう。
心の中でキララへの感謝を述べながら、マグじーじは子ネコーたちの会話に耳を傾ける。
「それに、イメトレまでするなんて、すごいと思う!」
「いめちょれ?」
「イメトレ! イメージトレーニングのことよ! 頭の中で練習すること!」
「ほぅほぅ。イメチョレ…………イメチョレっちぇ、いうのきゃぁ」
キララに新しい言葉を教えてもらったにゃんごろーは、「ほぅほぅ」と頷きながら、覚えたばかりの単語を拙い発音で繰り返した。どうやら、気に入ったようである。
「ちゅぎは、にゃんごろーも、ちゅかっちぇみよー! うふふ! しょれにしちぇも、キララは、ものしりにゃんらねぇ。しょれに、おしゃれりのまひょーも、とっちぇも、おりょーじゅ!」
「ん? おしゃれの魔法……? あ、おしゃれり! おしゃべりの魔法ね! えへへー、ありがとー。ほかの魔法は、あんまり上手じゃないんだけれどね? これだけは、得意なの! 看板娘ネコーとしてがんばるために、がんばって覚えたんだー」
褒めてもらったお返し…………というわけではないのだろうが、今度はにゃんごろーがキララを褒めちぎりだした。看板娘ネコーとしての使命を全うするために頑張って覚えた得意魔法を褒められたことが嬉しかったようで、キララはお顔も心も綻ばせた。今、咲いたばかりの花のような、素晴らしい笑顔だった。にゃんごろーに答える声も、浮き立っている。
白い雲テーブルの上が、瑞々しく華やいだ。
なんだか、いい雰囲気である。
少なくとも、クロウとミフネの二人は、そう感じていた。
二人は、目配せを交わし合い、外野から勝手に色めき立った。
けれど、肝心の子ネコーの胸には、そういう意味では響かなかったようだ。
「しょーにゃんらぁ。えりゃいねぇ。しゅごいねぇ」
のん気で素直な称賛の声と共に、ポムポムと肉球を叩く音が聞こえてくる。
キララの笑顔に胸を打ち抜かれた――――というようなことは、一切なさそうだ。
無邪気な子ネコー顔で、さっき、ちょっとだけモヤモヤしてしまったことも忘れて、純粋にキララの頑張りを褒め称えている。
勝手に色めき立っていた二人は、「あー……」と苦笑いを浮かべつつ、顔を見合わせた。
ふたりの間に色めいたものは何も生まれなかった。
けれど、二人の間には、何某かの共感が生まれたようだった。