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第170話 サムライ騒動

 二の腕にチクリとした痛みを感じて、窒息寸前だったクロウは、ほんの少しだけ笑気を払い正気を取り戻した。キララの声に切羽詰まった響きを感じたせいもあった。

 テーブルに肘をつき、組み合わせた手の甲に額を押し当てるポーズで俯いていたせいで、サムライが土下座を始めてしまったことには気づいていない。サムライが一連の行動を音もなく行ったせいもある。


 そういえば、最後に聞こえたカザンの声は、低い位置から聞こえてきたな?


 ――――そう思いながら、組んだ手の甲から顔を上げると、正面に座っているはずのカザンが姿を消していた。代わりに、カザンの背後のテーブル客たちが、揃って床の上に視線を注いでいる姿が見えた。クロウたちのテーブルの端、カザンが座っていたイスの隣辺りだ。

 それで、すべてを察した。クロウは、一度天井を見上げてから、テーブルの下を覗き込んだ。すると、そこには、想像した通りの光景が公開されていた。想像した通りの演目が、というべきかもしれない。


「…………ぶっはっ!」


 不可解な事象に追い払われていた笑気の大群が、猛烈な急襲を仕掛けてきた。クロウは、あっさりと陥落し、盛大に吹き出しながら身を起こした。

 自席の脇に、まるでシリアスな劇の一幕であるかのように美しすぎる土下座を披露しているサムライの姿はクロウのツボに刺さりに刺さった。午前中の見学で披露されたネコー劇場による、にゃんごろーの“ちんまりふにゃっ”とした土下座との対比がまた可笑しみを誘った。


「ひっ……ひっひっひっ…………」


 テーブルに指を立て、しがみつく様にしながら全身を震わせるクロウ。目尻からは、ついに涙が伝い落ちていった。

 キララが、その腕を掴んで揺すった。笑気に襲われ元々震えているクロウの腕を、さらに激しく揺さぶった。体を完全にクロウに向けて、二つのお手々でクロウの腕をがっしり握って揺さぶった。軽くお爪も立てながら、ユサンユサンに揺さぶった。刺激を与えるために、右と左で交互にお爪を立てながら、必死で揺さぶった。

 周囲のテーブル客たちが、床の上のカザンからクロウへと視線を移した。傍からは、子ネコーにじゃれつかれているようにしか見えないクロウを、羨ましそうに見つめている。

 注目を浴びていることに気づかないまま、キララはクロウにお爪攻撃を仕掛けながら、諸々の立場としての役目を果たすように要請した。


「副会長、待って! 笑笑人間になるのは、アレを何とかしてからにして! せめて椅子に座らせてよ! 同じクルーとして責任取って――――!」

「わ、わかっ……、わかった、からっ! う、うでっ、はなしてっ…………! うっく、は、はー、はー……!」


 キララからのチクンチクン攻撃に「待った」をかけつつも、クロウはキララのお手々を振り払ったりはしなかった。うっかり笑ってしまったものの、店内土下座は流石にないだろうと思っていた。サムライの、方向性と加減のおかしいネコー愛を見誤って窮地に追い込まれたキラキラ子ネコーを気の毒に思ってもいた。

 だから、キララの望みを叶えるべく、クロウは息を整えようと、深い呼吸を繰り返した。少しはマシになったところで、クロウは両手をクロスさせて腹を抑え、両手の指先に力を込めて脇腹に痛みを与えつつカザンに話しかけた。キララのお爪のおかげで、笑い発作には痛みが効果的であると学んだのかもしれなかった。


「カザン、とりあえず椅子に座れよ。青猫カフェの店内で青猫クルーを土下座させたなんてことが噂になったら、キララだって困るだろう。キララは許すと言っているんだ。本当にキララのことを思っているなら、今すぐ土下座を止めるべきだ。おまえのウダウダは、おまえが自分の腹の内だけでどうにかしろよ。これ以上、キララに気まずい思いをさせるなよ?」

「……………………!」


 痛みで刺激作戦が功を奏したのか、笑発作に邪魔されることなく、比較的真面目な調子で言い切ることが出来た。脇腹の方は赤くなっているかもしれないが、その甲斐あって、美しい土下座姿勢の見本人形のようにピクリともしなかったサムライが、弾かれたように顔を上げ、流れるような所作で立ち上がった。足に痺れもないようで、ふらつく様子は少しも見られない。

 立ち上がったカザンは、やはりお手本のような素晴らしい角度でキララに対して頭を下げた。腰は曲がっているが、背中は曲がっていない。素晴らしく誠意が感じられる謝罪だ。


「キララ殿の寛大なお心に、感謝致す…………!」

「ひ、ひぇえ…………」


 決して大声というわけではないのだが、店内のみんなに聞こえるようなよく通る声で、カザンは謝罪を述べた。

 店内にいる全員に、すべての非は自分にあるとアピールするつもりだったのかもしれないが、注目を浴びる羽目になったキララは目を白黒させた。それでも、看板娘ネコーとしての矜持からか、辛うじて愛想笑いを浮かべ、注目に答えていた。

 クロウの説得が心に響いたのか、今度はカザンも速やかに頭を上げて、無駄のない動きで着席をした。

 何事もなかったかのような涼しげな顔で席に戻ったカザンに、キラキラとした眼差しとポムポムとした肉球拍手が贈られた。

 にゃんごろーお豆腐会長からである。


「ニャニャンしゃん、いみゃの、しゅごかっちゃぁ! ちょっても、きれいにゃ、どげじゃらっちゃよ! こんど、にゃんごろーにも、おしえちぇ! にゃんごろー、ニャニャンしゃんの、どげじゃの、でしににゃるぅ!」

「な、なんと!? にゃんごろーが、私の、土下座の弟子に…………?」


 カザンの涼しい仮面に、わずかにヒビが入った。仮面のヒビはわずかだが、その仮面の下では、新たなる葛藤が激しく渦巻いている。

 にゃんごろーと師弟関係を結べるのは、とてつもなく嬉しい。だが、教える内容が美しい土下座の仕方とは如何なものなのか? それに、にゃんごろーの土下座には、にゃんごろーだからこその素晴らしさがある。自分が土下座を教えることで、あの“ほにゃらら”とした“まろみ”が失われてしまうのは、よくない事なのではないか?

 ――――そんな、割としょうもない葛藤がグルグルゴォッと渦を巻いていた。


 食べかけのニャポリタンもそのままに、密かに葛藤するカザンだったが、にゃんごろーの方は既に了承してもらったつもりでぽやぽやと脳内にお花を咲かせていた。

 伝授された美しい土下座を華麗に披露して、長老を唸らせているシーンを想像しているのだ。ひとりで楽しそうに「くふくふ」と笑っている。


 大変に微笑ましい光景で、サムライ騒動はひとまず幕を降ろすのであった。

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