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第171話 サムライのお豆腐チャレンジ

 サムライが新たな葛藤に心を乱し、お豆腐子ネコーがぽやぽやと夢を見ている間に、店内のテーブル席は次々と空っぽになっていった。

 そろそろ、お昼休みも終わるのだ。

 キララは少しばかり疲れたお顔で、白が混じった明るい茶色の子ネコーと、傍目には瞑想しているようにしか見えないサムライを、ぼんやりと見つめていた。視界の端には、すっかり冷え切ったニャポリタンが半分ほど残ったお皿が映っている。お皿の空いたスペースには、粉チーズを程よくまぶしたニャポリタンを巻き巻きしたフォークが、だらしなく横たわっていた。

 放置されたままの食べかけニャポリタンの行末が気になってはいたが、口に出したりはしなかった。

 藪の中の蛇を突いて、新たなるサムライ一人劇場の幕が上がっても困るからだ。先ほどのクロウとカザンのやり取りで、何となくコツを掴んだ気もするが、出来れば第三者の目のないところで試してみたい――――などとプチ長老めいたことを考えてもいた。お疲れの割には、完全に懲りていないようだ。今日のところは引き下がるが、いずれリベンジを――――といったところなのだろう。

 幕が下りて、空気が緩んだテーブルの上に、「ふー」と深く大きく息を吐き出す音が通り抜けていった。

 笑いの世界へと旅立っていたクロウが、戻ってきたのだ。

 目尻に溜まった涙を拭き終わったクロウが最初に目にしたのは、食べかけニャポリタンの巻き巻きフォーク添えだった。

 キララが飲み込んだ言葉を、クロウはサラッと口にした。


「ん? カザン、まだ食い終わってねーの? どうするんだ、ソレ?」

「ほにゃ? あ! ほんちょら! ニャニャンしゃん、もしかしちぇ、おにゃかがいちゃいの? しょれにゃら、むりしにゃいれ、おのこし、しちゃほーが……」

「いや、違うんだ! お腹が痛いわけではないし、もちろんお残しなど絶対にしない! これは、その、そう! 難関に挑む前に心を整えていたのだ。いざ、参るとしよう」


 クロウの問いに、まずはにゃんごろーが反応した。にゃんごろーは、ニャポリタンを味わうことに夢中で、お豆腐ミッションの概要をほぼ理解していない。なので、食べかけで放置されたニャポリタンを見て、カザンはお腹が痛くて食べられないのではと誤解をしたようだ。

 クロウの問いかけにはピクリと小さく肩を揺らしただけだったカザンだが、にゃんごろーの気遣いには直ちに答えた。にゃんごろーを心配させてはならないと速やかに誤解を解き、粉チーズチャレンジの再開を宣言して、巻き巻きフォークを取り上げる。

 すでに何度目か分からないチャレンジ宣言だが、今度こそ果たすことが出来るのだろうか?

 もはやどうでもいいような、それでもやっぱり気になるような、曖昧なムードが一部に漂う。キララ会員と、クロウ副会長よりも早くに笑いから回復していたミフネ会員だ。クロウ副会長は、割としょうもないことで真剣に苦悩しているサムライ観賞そのものを楽しんでいるので、曖昧な“一部”には該当しない。

 一部の方の観客たちがしらけだしていることに構わず、カザンは巻き巻きを口元まで運んだ。とはいえ、気づいていないわけではない。キラキラ会員の片割れ、キララ会員の反応だけは、非常に気にしていた。けれど、呆れられても仕方がないという自覚があった。信頼を取り戻すためには、己が一歩を踏み出さねばならないのだと分かっていた。だから――――。


 為すべきことを、為すだけだ。


 自らを鼓舞するために、カザンは――――。

 親愛を誓った子ネコーであり、お豆腐会長でもあるにゃんごろーに、最終宣告をした。往生際が悪いだけのように思えるが、本人には必要なことなのだろう。


「にゃんごろー。私も、にゃんごろーを見習って、苦手に思っていた粉チーズと正面から向き合い、親睦を深め、味覚の幅を広げていきたいと思っているのだ。だから、どうか、見守っていて欲しい」

「ん? ほにゃ? ニャニャンしゃん、こにゃチーリュちょ、こんにちは、しゅるこちょにしちゃの?」

「うむ。新しい美味しさと出会えることを願って、“こんにちは”に挑もうと思う」

「ほぅほぅ。ムリンムリンじゃないにゃら、おいしいが、いっぱいににゃるのは、とっちぇも、しあわしぇーにゃこちょだとおみょう!」


 誰かにムリンムリンに強制されたのではなく、カザンが自ら粉チーズとの仲を深めようとしているのだとようやく分かって、にゃんごろーは両方のお手々をもふっと上げて、カザンにお豆腐心溢れる言葉をかけた。


「見ていてくれ、にゃんごろー」

「ん! わかっちゃ! ニャニャンしゃんが、こにゃチーリュに“ごあいしゃちゅ”しゅるちょころ、ちゃんと、みちぇるね!」

「ありがとう、にゃんごろー。…………いざ、参る」


 にゃんごろーのお豆腐エールに背中を押され、サムライはついに最後の一歩を踏み出した。

 口元前オブジェになりかけていた巻き巻きを、自分の中へと招き入れたのだ。

 キララが「おー」と感嘆の声をもらしながら肉球拍手を贈った。ミフネも、手を叩いてカザンの健闘を称えている。クロウは頬杖をついて面白そうに成り行きを見守っていた。長老は鼻ちょうちんをパチンと弾けさせ、マグじーじは、キラキラお目目でカザンを見上げるにゃんごろーに釘付けだった。

 カザンは、黙々と咀嚼を続けた。

 その表情に変化の兆しは見えないが、いつも通りと言えばいつも通りだった。未知なる美味しさを発見することが出来たのか、美味しくはないが意外と平気だと思っているのか、苦手な味と戦っているのか、表情からは何一つ分からない。

 やがてサムライは咀嚼し終えたニャポリタンを飲み下し、フォークを皿の上に置いた。

 やはり、表情に変化はない。

 にゃんごろーがゴクリと唾を飲み込んで、恐る恐る尋ねた。


「ろ、ろーらっちゃ?」

「……………………………………私は、未熟だ。己がこんなにも、臆病者だったとは」


 カザンは目を閉じて項垂れた。日頃クールなサムライには珍しく、目に見えて分かりやすく落ち込みを露わにした。そして、味の感想ではなく、己への後ろ向きな感想を口にした。これもまた、普段のサムライを知る者からは、大変に珍しいことだった。

 だが、まあとにかく。こうも落ち込むということは、粉チーズとはまったく仲良くなれなかったのだろう。にゃんごろーは素直にそう考えた。

 けれど、副会長とキラキラ組は、「はて?」と首を捻った。

 美味しさを見つけられなかった自分を「未熟」だと言うのは分かる。でも、「臆病者」とは一体どういうことなのだろうか?

 にゃんごろーの声援が功を奏して、結果はどうあれ“チャレンジをする”こと自体はうまくいったのではないのだろうか?


 一体全体、サムライは何をそんなに落ち込んでいるのだろう?


 三にんは仲良く顔を見合わせ、もう一度首を捻った。



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