お豆腐劇場終幕後は、食後の飲み物が運ばれてきた。
といっても、終幕を見計らってのことではなく、最後まで居残りをしていたカザンがニャポリタンを食べ終えたからだ。
飲み物のメニューは豊富なのだが、今回は予めオレンジジュースを注文済みだった。子ネコーの好みを考慮して、マグじーじが長老と相談して選んだのだ。事後承諾の人もいたが、すべてマグじーじの奢りとのことだったので、誰からも不満の声は上がらなかった。
居眠り中だった長老も、鼻ちょうちんの前にグラスを置かれると同時に、ばっちりパチリと目を覚ました。
「な? 起こさなんでも、勝手に目を覚ましたじゃろう?」
「うふふ、本当ね!」
「みょー……。ちょーろーはぁー。はじゅかしぃ…………」
「ふわわわぁ……。む、食後のドリンクか。ふむ? みんなの分も、届いとるようじゃの。では、いただくとしようかの」
こうなることを予想していたマグじーじが得意そうに笑うと、キララは感心してお手々を叩き、にゃんごろーはお顔をしかめた。
話題の長老は、起きてもマイペースだった。大あくびを一つかますと、さっそくオレンジジュースに手を伸ばし、お先に楽しみ始める。
「うぅん。長老さんも、なかなかに腕白なお豆腐ぶりですねぇ」
「みょ、みょー! なにいっちぇるにょ、ミフネェしゃん! にゃんごろーは、おとーふにゃこネコーらけろ、ちょーろーは、ただのくいしんぼーだから! いっしょにしちゃら、めっ!」
「ああ、そうでしたねぇ。すみません、うっかりしました。さて、それでは。折角ですから、僕たちもいただきましょうか」
ニャポリタンのケチャップで、お顔や胸周りを夕日色に染めた長老が、勢いよくオレンジジュースを吸い上げていく様をニコニコと見つめながらミフネが素直な感想をもらすと、にゃんごろーがすかさず反論をしてきた。テーブルを両方のお手々でパンパンしながらの厳重抗議だ。
ミフネは、これまた素直に謝罪して、卒なく回避した。
客観的に見て、にゃんごろーも長老も揃って食いしん坊である。そして、ミフネは食いしん坊という意味合いで“お豆腐”という言葉を使ったので、何も間違ってはいない。けれど、にゃんごろー本ネコーは、自分が食いしん坊であることを認めていないし、にゃんごろーにとっての“お豆腐”とは、好奇心が旺盛という意味なのだ。ミフネの謝罪は、このことを“うっかり”忘れて発言をしてしまったことに対するものだった。
謝罪と同時に、届いたばかりのオレンジジュースに気を逸らすと、子ネコーはあっさり食いついて、お怒り回避は大成功した。
「はっ! しょ、しょーらね! もちゃもちゃしちぇちゃら、しゃきに、のみおわっちゃ、ちょーろーに、ちょられちゃうかみょ、しれにゃいもんね! しょれれは、しゃっしょきゅ、にゃんごろーも、いちゃらきみゃっしゅ!」
にゃんごろーが、いそいそとグラスにお手々を伸ばすと、残りの面々も釣られたようにグラスに手を出した。
ネコーのお口は猫そっくりなので、本来ならばストローでうまく飲み物を吸い上げることは難しい。けれど、見た目は猫そっくりでも、ネコーは魔法生物なのだ。魔法を使えば、ストローでジュースを飲むことだってお手の物だ。
幸いにも、にゃんごろーはストロー魔法を習得済みだ。
「にゃんごろー、ストローの魔法は使えるの?」
「うん! らいりょーるぅ! このまえ、ちょーろーに、おしょわっちゃから、ちゃんちょ、ちゅかえりゅよ!」
「あら、それなら、安心ね」
「うん!」
にゃんごろーが嬉しそうにストローを咥えようとお口を開くと、キララが尋ねてきた。にゃんごろーがストロー魔法を使えるのか、心配してくれたようだ。この分だと、キララの方もストロー魔法を習得済みのようだ。森に住んでいるにゃんごろーは、お船で初めてストローを使ったけれど、お街に住んでいるキララはストローを使う機会も多いのかもしれない。
はっきりと言葉にはならなかったものの、にゃんごろーは、ぼんやりとそんなようなことを感じながら、自信たっぷりの笑顔でキララに答えた。
それから、改めてオレンジジュースに向き直り、パァッとお顔を輝かせ、お口をパクリと開く。
パクリ、パクンとした後は、一転して神妙なお顔つきになった。
習得済みとはいえ、この魔法を使うのは、これが二回目だ。
ここは、一度の成功を過信せず、慎重にいかねばならない。調子にのって、せっかくのオレンジジュースを一滴たりとも無駄にしてはならない。勢いよく吸い上げすぎて「ごふぁっ」とお口から溢れさせるようなことが、あってはならないのだ。
成功した時の感覚を思い返しながら、にゃんごろーは慎重に魔法を使った。
これからオレンジユースを飲む予定の子ネコーとは思えない、とても真剣なお顔だ。
満開に笑み崩れたり、キリリとお顔を引き締めたりと忙しい子ネコーに、長老を除くみんなの視線が集まった。子ネコー親衛隊の二人は固唾を呑んで、それ以外の面々は、ジュースを飲みながら何とはなしに、にゃんごろーを見つめている。
みんなの視線の先で、透明な筒の中を、濃いオレンジ色の液体が駆け上っていった。子ネコーは神妙なお顔のまま、「んく、んく」と二口ほどを喉の奥へ送り込んだ。その後、一拍置いて、ストローが透明に戻っていく。
「ふわぁあああ! おいしぃいいいいい!」
ストローからお口を離したにゃんごろーが、両方のお手々でほっぺを押さえ、もふっとした体を左右に揺らしながら叫んだ。
おとなっぽさのカケラもない。実に子ネコーっぽい振舞だが、“おとなの誓い”は甘く緩んだ頭の中から完全に吹っ飛んでしまっているようだ。
「はぅううううん。あみゃくちぇ、しゅっぱくちぇ、しゃわやきゃぁああああ! こころに、はねがはえちぇ、ちょおいちょころまで、あしょびにいっちゃっちゃみちゃいぃいいいい♪ はわわぁ♪ しあわしぇの、お・あ・じ♪」
「大げさだなぁ」
「あら、いいじゃない! きっと、オレンジジュースを飲んだの、初めてなんじゃない? 初めてって、特別なものよ! それに、ここのオレンジジュース、味が濃くて特別に美味しいもの! これが、初体験なら、お空にも昇っちゃうわよねぇ!」
「青猫号に来たばかりの頃のクロウも、割とあんな感じではなかったか?」
「………………………………」
心も頭も吹っ飛ばしまくりの子ネコーをクロウが揶揄うと、キララが初体験子ネコーの擁護に回り、カザンはさくっと言葉のナイフをクロウに刺した。実際のところ、カザンには釘を刺したつもりも止めを刺したつもりはなく、ふと心に浮かんだ感想を素直に口に出しただけだったのだが、その言葉はクロウに刺さりに刺さった。
クロウはすべてを拒絶する顔になると、無言でジュースを啜りだす。
ちなみに、オレンジジュースとの対話に夢中なにゃんごろーには、外野のざわめきなんて一切聞こえていなかった。
その後もにゃんごろーは、外野の存在を完全に忘れ去り、何口か飲んではストローからお口を離し、心を遠くへ飛び立たせ、ゆっくりじっくりオレンジタイムを楽しみまくった。
そうして、ついに最後の一口まで飲み干すと、にゃんごろーは名残を惜しみつつ、うっとりしんみりと呟いた。
「おいしいみょのは、きょきょろを、じゆーに、しちぇくれりゅ…………」
(訳:美味しいものは、心を自由にしてくれる)
また一つ、お豆腐名言が生まれてしまったようだ。