そろそろ、お別れの時間だった。
出会ったばかりのキララやミフネと、すっかり仲良しになったにゃんごろーたちだったけれど、ふたりはお昼を食べたら街に帰る予定なのだという。
それを聞かされたのは、みんなで「ごちそうさま」をして、お店の外へ向かってゾロリゾロリと歩いている最中のことだ。
にゃんごろーは、がっくりしょぼんと項垂れた。お昼の後は、キララと一緒にお船見学が出来ると思っていたからだ。
けれど、すぐに元気を取り戻した。
キララは肉球と肉球をポムと合わせて謝った後、にゃんごろーに素敵な提案をしてくれたのだ。
「ごめんね、にゃんごろー。今日は、キラリに頼まれて偵察に来ただけなのよ。ひとりで先に楽しみすぎちゃうと、あの子、すねちゃうから。でも、安心して! にゃんごろーとならキラリも仲良くなれそうだし、また今度、すぐに! キラリも連れて遊びに来るから! そうしたら、三にんでお船の見学をしましょ!」
にゃんごろーはお顔を上げて、キララを見た。
キララを見つめながら、お昼ご飯を食べ始める前に子ネコー同士のお話をした時のことを思い出していた。
キラリとは、キララの妹ネコーだ。恥ずかしがり屋の怖がり屋さんで、今回は姉ネコーのキララにお船の偵察を頼んで、自分はお家でお留守番をしているのだという。初めての場所へ行くときは、姉ネコーのキララに偵察を頼み、どんなところなのかを聞いてから赴くのがキラリの流儀なのだ。
今回は、偵察をお願いしただけのつもりだったのに、先にキララだけでお船見学をしてしまったら、キラリは拗ねて怒ってしまうかもしれない。怒って、「もうお船へは行かない!」などと言われては、一大事だ。
それに、きっと。ふたりより、三にんで見学した方が楽しいはずだ。
そして、キララは「今度、すぐに、キラリを連れてくる」と言ってくれた。
だったら、お名残り惜しくはあるけれど、今は我慢をしようとにゃんごろーは思った。今は我慢をする代わり、ちゃんと約束をしよう、と思った。
それで、にゃんごろーは笑顔を浮かべて、キララに肉球を差し出した。
「う、うん! しょれにゃら、にゃんごろー、まっちぇる! だから、やくしょくしちぇ! じぇったいに、キリャリをちゅれてくるっちぇ! にゃんごろー、ちゃのしみにまっちぇるから! やくしょくだよ、キラリャ!」
「もちろんよ! うふふふふ。子ネコー同士の約束ね!」
差し出された肉球に、キララは自前の肉球を伸ばした。
ふたりの子ネコーの、肉球と肉球が重なり合う。
子ネコー同士の約束の、成立だ。
子ネコーたちの笑い声に、ドアベルの軽やかな音色が重なった。
みんながお店から出たところで、マグじーじが発案した。
出会いの場所である青猫号後部デッキまで、ふたりをお見送りに行こうというものだ。
もちろん、みんな大賛成だった。
みんなは列になって、後部デッキを目指し、通路を進んだ。先頭はマグじーじとミフネ。その後に長老が続き、子ネコーたちは、その後だ。殿はカザンとクロウが務めた。
にゃんごろーとキララは、別れを惜しむよりも、これから訪れる楽しい未来へ思いを馳せて、賑やかにおしゃべりをしながら通路を進んで行く。
そうして、ちょこまかといくらか進んだところで――――。
事件は起きた。
突然、ハッとなにかに気づいたお顔になったにゃんごろーが、立ち止まって振り向いたのだ。背後を歩いていたカザンとクロウの隙間から、さっき出てきたばかりの青猫カフェのドアを見つめる。信じられないものを見た時のお顔で、青猫が描かれた白いドアを見つめる。
「はわわわぁああああああん!」
この世の終わりに直面したかのような子ネコーの悲鳴が通路に響いた。
驚いたみんなも足を止め、「なんだ、どうした?」と叫ぶにゃんごろーを見つめる。
にゃんごろーはガクリと床に膝をつき、お手々もついて四つん這いになった。まるで、本物の猫さんのように、四つん這いになって項垂れる。
ポツリ、ポツリ、と床に雫が落ちていった。
ギョッとしたお顔で、猫さんになってしまった子ネコーを見下ろす面々。
一体、子ネコーが何を嘆き悲しんでいるのか、誰にも分からなかった。
にゃんごろーのことなら何でもお見通しのはずの夕日に染まった長老にも。
直前まで、にゃんごろーと子ネコー同士のお話をしていたキララにも。
にゃんごろーの助手にしてお豆腐副会長のクロウにも。
今何が起きているのか、誰にも分からなかった。
深刻な疑問符が、重々しく通路に落ちていく。
そこに、子ネコーの悲痛な嘆きが加わった。
「にゃんごろーの……しゃかしゃま……おちょにゃ……ドアを…………ひぃっく。うぐっ……。ひっ…………。だいしっぴゃい……だいにゃしっ……ふぇえええん」
みんなが、ハッと閃いたお顔になった。
カフェに入店したばかりの時の、あの事件を思い出したのだ。
助手に抱っこされたまま居眠り入店してしまったために、おとなのお店への記念すべき第一歩を不意にしてしまった、あの大事件を。
あの時は、キラキラ救世主のおかげで、大参事を回避できた。
『お店から出る時に記念すべき第一歩を体験すればいい。その方が、逆さまで特別だ』
そんなキララの言葉に子ネコーが騙され…………否、あっさりコロッと丸め込まれて機嫌を治してくれたおかげで、事なきを得たのだ。
みんなは青褪めながら、その時のことを思い出していた。
誰か一人でも覚えていれば、ドアをくぐる前に子ネコーに一声かけてやることが出来たのに、誰もがあの事件を忘れ去っていたのだ。
お食事の最中に、お豆腐的事件が起こり過ぎて、入店したばかりの頃の事件のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。
最悪の事態だった。
床を濡らした涙の雫は、寄り添い合って水たまりを作ろうとしている。
子ネコーがしゃくりあげる声は、段々と間隔が短く、大きくなっていく。
子ネコーが大泣きするまで、秒読み開始待ったなし状態なのは、誰の目にも明らかだ。
重ねて言おう。
最悪の事態だった。
否――――。
最悪の事態が、“これから”起ころうとしていた。