長老は子ネコーと向き合おうと、クルッと体を半回転させ…………ようとしたが、自前の尻尾とにゃんごろーに邪魔されてそれが叶わず、四分の一回転でストップした。にゃんごろーが、尻尾の端の方を掴んでいたのなら、尻尾を巻きつける形で向き合えたのだが、端ではなく真ん中辺りを掴まれていたため果たせなかったのだ。
にゃんごろーに対して体は横向きになってしまったけれど、上半身を捻ることで長老は無事、お顔だけは子ネコーと真っすぐ向き合うことに成功した。お年よりとはいえ、長老はネコーだ。ネコーは猫のように体が柔らかいため、これくらいは朝飯前なのだ。
長老は、白くて“もふぁもふぁ”なお手々を伸ばして、にゃんごろーの頭、三角お耳とお耳の間にポフッとのせた。軽くお爪を立てて、わしゃわしゃとかき混ぜる。
痛くもなければくすぐったくもない、絶妙な力加減。
絶妙な刺激が大変に心地よい。
にゃんごろーは、うっとりとお目目を細めた。
長老もまた、お目目を細めて子ネコーを見下ろしている。お顔には、慈愛の微笑みが浮かんでいた。
観客たちもグッと身を乗り出した。これから、いいシーンが始まるのだ。
長老は、わしゃわしゃを続けながらお口を開いた。
長いおひげが、“ふよん”と揺れる。
「にゃんごろーの気持ちは、分かった。じゃがの、にゃんごろーよ。一ネコー前の子ネコーを目指すなら、いつまでも長老を頼りにしておってはいかん」
にゃんごろーが「ほぇ?」とお目目を瞬かせた。
観客たちも「ん?」と首を傾げる。
雰囲気だけは、いい感じなのに、何かが可笑しい。
優しく語りかける声の調子とセリフの内容が、合っていない気がする。
長老は、みんなの困惑には構わず、そのままの調子で話を続けた。
ちなみに、「一ネコー前」とは、人間でいうところの「一人前」のことである。
「ここは、安全なお船の中で、今回はお友達の子ネコーも一緒じゃ。それに、長老がいなくても、頼りになる大人が一緒におる。じゃから、立派な子ネコーになるために、少しは長老離れの練習をするべきじゃ」
にゃんごろーが、「ほわっ!」とお目目を見開いた。
観客たちは、「え?」という眼差しをにゃんごろーに送った。
にゃんごろーは分かっていなさそうだが、観客たちは全員ちゃんと察したのだ。
長老の中の、“食い意地”と“子ネコーからのお願い”の天秤は、“食い意地”側に傾いたのだと。
観客たちは、ハラハラとにゃんごろーを見つめる。
まさかの展開だった。
長老が長老だったのは、こうなってみては「やっぱり長老は、長老なんだな」で済む問題だった。長老初心者のキラリも、キララからレクチャーを受けていたのか、他の観客たちから少し遅れて「あ、これが、長老さんの長老さん、なんだ」という気づきを得た。
最初は、それすらも“まさか”だったけれど、最終的には「長老だから仕方がない」で納得した。
意外なのは、にゃんごろーの反応だった。
キラリだって気づいた長老の企みに気づかないまま、こうもあっさり術中に嵌るとは思わなかったのだ。
それは、つまり、それだけ。
長老は、にゃんごろーのことを知り尽くしている…………ということでもあった。
そして、長老はおとなげなく、巧みににゃんごろーの弱点を突いてきたのだ。
『一ネコー前の子ネコー』
『立派な子ネコー』
それは、にゃんごろーが目指しているもの。
にゃんごろーの、憧れの子ネコー像だった。
その二つの言葉は、にゃんごろーの子ネコー心を大いに擽った。
にゃんごろーのお目目が、グラングランに揺れている。
長老と一緒に見学、か。
一ネコー前の立派な子ネコー、か。
両者の間で、子ネコーの心の天秤は揺れに揺れていた。
あと、もう一押しなのは、にゃんごろー以外の誰の目にも明らかだった。
にゃんごろーのピンチに、観客たちは手に汗を握って、声にならないエールを送る。観客が板につきすぎて、誰の頭にも仲裁しようという考えは浮かばなかった。
長老が、“もう一押し”の一手を放った。
「そんな風に、いつまでも長老にべったりでは、赤ちゃんネコーと一緒じゃぞ?」
「む!」
これまでの優しく諭すような口調とは打って変わって、長老は突き放すように挑発してきた。
聞き捨てならないセリフに、にゃんごろーは、お耳の毛を「ももっ」と逆立て、眉間に「きゅっ」と力を込め、睨むように長老を見上げた。
にゃんごろーは、一ネコー前の立派な子ネコーを目指しているのだ。
なのに、「赤ちゃんネコーと一緒」などと言われては、黙っていられない。
黙っていなんか、いられないのだ。
もはや、『いいシーン』の要素はどこにもない。
けれど、これからが『いいところ』なのは、間違いなかった。
いよいよクライマックス!――――とばかりに、観客たちは固唾を飲んで成り行きを見守った。