長老は、にゃんごろーのことを知り尽くしていた。
長老は子ネコー心をくすぐる言葉を巧みに操り、にゃんごろーを肉球の上でコロンコロンに転がしていった。
にゃんごろーは「むむむ」と長老を見上げている。
「一ネコー前の立派な子ネコー」に憧れるにゃんごろーにとって、「赤ちゃんネコー」は、間違いなくダメ押しワードだった。
『にゃんごろーは、あかちゃんネコーらにゃいみょん! ちょーろらいにゃくちぇも、ひとりれ、けんらく、れきるみょん!』
――――と言い出すまで、秒読み開始状態だった
だから、あとはただ、子ネコーの心の天秤が、ガッターンと傾くのを、ただ待っていればよかったのだ。
待っていれば、よかったのに。
逸る食い意地を抑えきれず、ここで長老は失態を演じた。
「それにな、にゃんごろーよ。みんなで一緒にお昼を食べるのは、確かに素敵なことじゃ。じゃがな、にゃんごろー。盗み食いには、盗み食いの、盗み食いでしか得られない素晴らしさがあるのじゃ! 今度、にゃんごろーにも盗み食いの極意を教えて…………」
「ふんっ!」
長老が最後まで言い終える前に、にゃんごろーは武力行使により、その言葉を遮った。
頭の上で“わしゃわしゃ”を続けている長老のお手々を、パシリと乱暴に渾身の力で振り払ったのだ。
そのまま、ギロリと長老を睨み上げる。
それまでの、子ネコーらしい“あれやこれや”は、綺麗に消し飛んでいた。純粋な願いも、可愛い憧れと、それが故の反発心も、すべてが綺麗に吹き飛んで、速やかに完全なるお怒りモードに移行していた。
子ネコーは今。
長老は、どこまでも長老なのだということを思い出したのだ。
そして、それを見守る観客たちはというと、二度目の『まさかの展開』に呆気に取られていた。長老と付き合いの長いマグじーじだけは、「フッ」と悟ったような笑みを浮かべていたが、他の面々は目を丸くして息を詰めている。
だが、本当に驚かされるのは、これからだった。
これからが、まさに長老の真骨頂だった。
「ど、どうしたのじゃ? にゃんごろーよ?」
長老は、お目目をパチクリしながら、振り払われた白いお手々とにゃんごろーを交互に見比べている。
誰がどう聞いても、疑いようもない大失言だった。
子ネコーも我に返るほどの大失態だった。
なのに、その大失態をかました当の本ネコーである長老は、子ネコーに怒られて本気で困惑していた。
大失態を誤魔化すための演技ではない。
『作戦は成功したのに、にゃんごろーは何を怒っているのだろう?』
――――と、はっきりと分かりやすい字で長老のお顔に書いてあった。
マグじーじを除く観客たちは、揃って首を傾げる。
最後に演じた大失態のせいで、作戦が失敗に終わったことは子ネコーの目にも明らかだ。キララとキラリだって、「はて? 長老さんは、一体何を言っているのだろう?」というお顔で、可愛く可憐にお首を傾げている。
困惑している長老に、観客たち(マグじーじを除く)の方が大困惑だ。
劇場内に、大小さまざまなハテナマークが飛び交う。
ちなみにマグじーじは、森のネコー劇場観賞からにゃんごろー単体観賞へと移行し、「にゃんごろーは怒った顔も可愛いのう」などとデレデレしながら呟いていた。
その視線の先で、にゃんごろーが「ふもっ」と両方のお手々を振り上げた。
「ろーしたのじゃ、じゃありましぇん! にゅしゅみるいは、ゆるしましぇん! ちゃんちょ、けんらくきゃいに、さんかしゅるよーに! にゃんごろーら、ちょーろーのこちょを、みはっちぇましゅ! しょれに、しぇっきゃく、おかーにゃんらちゅくっちぇくれちゃおべんちょーを、ぬしゅみるいにゃんちぇ、しゃれちゃら、キララとキラリだって、プンプンらよ! おひるのごしょーちゃいらっちぇ、ナシにゃんらからね!」
「にゃんごろーよ、安心するがよい。盗み食いした分は、食堂から代わりのおかずをくすねて…………いやいや、貰ってきて、代わりに詰めておいてやるからの。それなら、問題ないじゃろう?」
にゃんごろーのごもっともなお説教が始まった。
だが、長老は自分が説教をされているとは微塵も思っていないようで、子ネコーの我儘を宥めるかのようなお顔と口調で見当はずれが過ぎる説得を試みる。
にゃんごろーは、お手々を振り上げたまま、その場でタムタムと飛び跳ねた。
「しょーゆーもんらいりゃ、ありましぇん! しょれに、しょくろーのごはんらっちぇ、にゅしゅんらら、らめれしょ! みょー! ちょーろは、ほんちょーに、ちょーろーにゃんらから!」
「にゃ、にゃんじゃと!? それは、どいう言う意味じゃい!? まったく、にゃんごろーの分からず屋め! わがままも、大概にせい!」
「にゃー!? にゃにゃにゃにゃにゃー!?」
売り言葉に買い言葉。
興奮したふたりは、お口だけでなくお手々まで繰り出し始める。
長老は、短い指を駆使してにゃんごろーのお耳を巧みに掴んで、クイクイククイと引っ張り回した。にゃんごろーは、長老の尻尾からお手々を離し、長老の貫禄のある“もっふぁり腹”に向かって「ていてい、ててい!」と子ネコーパンチを繰り出し続ける。
ついに、本格的な喧嘩が始まった。
「うーむ、もふもふ相撲が始まってしまったようじゃのー。これは、なかなか、見ごたえがあるのわい。よーし、そこじゃ! にゃんごろー! 頑張れー!」
「いや、もふもふ相撲って…………。止めてくださいよ」
「いけー! そこじゃー!」
「……………………」
本来ならば、仲裁役を買って出なければならない見学会主催者のマグじーじは、役目を忘れてにゃんごろーの応援役に回ってしまった。同じく主催者側であるクロウは、乾いた笑みと共に、ケンカを止めるように促したが、マグじーじは聞いていない。
乾いた笑みが、疲れた笑みに変わる。
ため息を一つ零すと、クロウは主催責任者に見切りをつけて、女神様の救いを求めることにした。
「キララ、頼む」
「はーい!」
キラキラの女神様は快く求めに応じた。
もふもふ相撲の観戦も悪くはないが、それよりも今日は見学会の方を優先したかったからだ。
キラキラの女神様は、明るい口調で軽やかに伝家の宝刀「ランチ会へのご招待」を解き放った。
その威力は絶大で、森の食いしん坊ネコーたちは、仲良くそろって女神様の前にひれ伏すのだった。