「待って!
「いや! 来ないで! どっか行って!! 妖魔退散!! 悪霊退散――!!!」
プシューッと。
アジトの中に、妖魔を撃退する効果がある『スターダスト☆スプレー』がまき散らされる。
白い煙に交じって、赤・青・黄色といろんな色の小さな星も飛んでいた。
あたしが作ったスプレー缶は、黄色い星しか出ないはずだから、たぶんこれは、夜咲花が改良したスプレーなんだろう。
プシュー。プシュー。
と、何度も何度も噴射しているので、アジトの中は煙で真っ白だ。飛び交う星粒しか見えない。
あと、煙い。滅茶苦茶煙い。
あんなに女の子らしくお淑やかに帰還したというのに、想定外に修羅場発生!
夜咲花さん、ご乱心!!
ま、まあ。あたしが、悪いんだけど。
うっかりしていた、あたしが悪いんだけど。
うう。煙い。
妖魔を撃退するスプレーなので、魔法少女であるあたしには何の効果もないはずなんだけど、それはそれとして。
煙い……。
手で煙をパタパタしていると、背中の方でカラカラと引き戸を開ける音がした。
「
「はーい…………」
ひょいッと顔を出した
おっしゃる通りだとあたしも思ったので、腕の中にココを抱いたまま、月見サンと入れ替わるようにアジトの外へ出る。
てゆーか、月見サン。スプレー発射と同時にあたしを中に残したまま、戸を閉めて避難していたんですね?
いや、まあ、いいんですけど。
カラカラと引き戸が閉まる音を聞きながら、あたしはしょんぼりと肩を落とした。
騒乱から解放されると、罪悪感が押し寄せてくる。
夜咲花にもココにも、悪いことをしてしまった。
夜咲花のことを忘れていたわけじゃない。ただ、あたしにとっては、ココはもう仲間だし。だから、うっかりしていたんだ。って、こんなの言い訳だよね。あたしの、えーと、配慮が足りない……っていうの? うん。そういうことだったんだと思う。
ココは変身できるんだから、出会った時みたいな女の子の姿になってもらって、少し仲良くなってから、実は……ってやればよかったんだよね。そうしたら、きっと、夜咲花も……。
なのに、夜咲花の悲鳴を聞いてから、思い出すなんて……。
「星空さん、星空さん!」
自分のダメさ加減にため息をついていたら、名前を呼ばれた。
顔を上げると、アジトの庭のような場所にいつの間にか用意されたキノコの応接セット?――に座った心春が、ちょいちょいとあたしを手招いている。
オレンジに発光している平べったいキノコのテーブルに、同じタイプのキノコ椅子が二つ。その椅子の一つに腰掛けて、心春があたしを呼んでいるのだ。
え? 何? 何事? いつの間に?
さっそく、キノコ汚染が?
どこまでもキノコ愛を貫く心春に恐れおののきながらも、空いている方の椅子に座る。
「それで、星空さん! 今の修羅場は、一体どういうことなんですか!? あの女の子と星空さんはどういう関係なんですか!? 三角関係ですか!? 女の子同士の痴情の縺れですか!? 月見さんは、星空さんを完全に自分のものにするために、あの子と話をつけに行ったんですか!?」
座ったとたんに、鼻息も荒く口撃が来たよ。
そう来たか! って。まあ、そうだよね。心春だもんね!
でも、違うから! 全然、そういうんじゃなから!
あたしは誤解を正すべく、ピッと背筋を伸ばし、キリリと顔を引き締める。
そう。これは、まじめな話なんだから。
「心春。よく聞いて」
「はい!」
「さっきの子、夜咲花はね、妖魔が怖いの」
「はい?」
「闇底に来てすぐに妖魔に襲われて、食べられそうになったの。ていうか、食べられかけてた?――んー、でも、完全に食べられちゃう前に、月華が来てくれて魔法少女にしてもらえたから、助かったんだよ」
「そ、そんなことが!?」
「うん。それでね、夜咲花は、そのことがトラウマで、妖魔が怖くてアジトから出られないんだよ。それくらい、妖魔を怖がっているのに、あたしが、あたしがうっかりココを子ギツネの姿のままアジトの中に連れて行っちゃったから……」
ここまで話して、声を詰まらせて項垂れる。
でも、心春は賢い子だから、あたしの言いたいことを分かってくれたみたいだった。
「あ! 夜咲花さんは、ココのことを妖魔と勘違いして、あのように錯乱してしまったと!」
「うん。そういうこと。女の子の姿に変身してもらっておけばよかったのに」
「すみません……」
「う、ううん! ココは悪くないよ!」
「そういうことだったんですね。まあ、でも。私たちにとっては、ココは妖魔ではなくて元・神の使いという認識でしたし。愛らしいモフモフですからね。ひとまず、ここは月見サンに任せましょう」
「うん……」
ココをナデナデしながら、歯切れ悪く答えたところで、アジトの引き戸が開いて月見サンが顔を出した。
「二人ともー。一応、ココちゃんが妖魔じゃないってことは、分かってもらえたからー! ゆっくり入って来てー!」
…………!
ばね人形のような勢いで立ち上がり、ゆっくりと言われたにも関わらず、アジトに駆け込もうとしたあたしを、心春が止めた。
「待ってください。星空さん」
「え?」
「ここは、私に先に行かせてください。月の殲滅騎士として、妖魔におびえるあの子を、私が安心させてあげますから。星空さんは、その後で、ココと一緒に入ってきてください」
自信に満ち溢れた笑顔で胸をドンと叩くと、心春は軽やかな足取りでアジトへと向かっていった。
心春…………。頼もしい………いや? 頼もしい……か?
あと、月の殲滅騎士って、何?
微妙に不安になって来て、あたしも慌てて心春の後を追う。
なんとか、心春が中に入る前に追いついた。
心春が先に中に入り、あたしはココの姿が中から見えないように隠しながら、顔だけ突き出して入り口から中を覗き込む。
入り口を入ってすぐのところで突っ立ったままの心春の背中越がちょっと邪魔だけど、隙間からちょっとだけ見えた。夜咲花は部屋の一番奥で膝を抱えて座り込んでいるみたいだ。
だ、大丈夫かなー。
心配しているあたしの目の前で、心春はドドーンと仁王立ちになって、思い切り胸を反らして、そのどちらかと言えば控えめな胸を叩いた。
「安心してください! 夜咲花さん! これからは、
「え? ホ、ホントに……?」
「はい! お任せください!」
わきの隙間からちょっとだけ夜咲花の顔が見えた。
ちょっと、夜咲花?
なんで、そんな今にも恋に落ちそうな目で心春を見てるのさ!
きゅんって音が、聞こえてきそうなんですけど!?
あたしのことは、追い出したくせにー!
いや、それは、あたしが悪いんだけども。悪いんだけども。
でも、でも!
夜咲花は自他ともに認める月華大好きっ子でしょ! 浮気はいけませんよ! 浮気は!!
腕の中のココをぎゅっとしようとしたら、ココはするりとあたしの腕から抜けて出した。そのまま、トトトと、仁王立ちの心春の足元へと駆け寄り、ちょこんと座る。
「驚かせてごめんなさい。ボクは、神様のお使いをしていたキツネの一族で、妖魔じゃありません。人間を食べたりしませんから、安心してください。食べるなら、油揚げがいいです」
ぺこりと頭を下げた時の、その背中のまろいフォルム!
くっ。可愛い。
しかも、ごめんなさいをしつつも、ちゃっかりおねだりまでしちゃうとは。
心春のことはすっかり忘れて、あたしは夜咲花の反応をソワソワしながら伺う。こんなに可愛いんだもん。大丈夫だよね? おあげ! おあげ、作ってあげて! 夜咲花の錬金魔法で、作ってあげて。あ、お稲荷さんとかも、いいよね? あたしも食べたい!
夜咲花は、一瞬びくりと身を縮めたけれど、そろりと顔を上げて、恐る恐るココを見つめる。
「子ギツネ……モフモフ……。可愛い……けど……。ホ、ホントに、人間は食べないの?」
「はい。食べません」
「………………」
ココを見つめている夜咲花の瞳が揺れている。両のこぶしは、ぎゅっと握りこまれている。
もふりたい。でも、やっぱり怖い。
二つの気持ちが、揺らぎ合っているのだ。
頑張れ、夜咲花。
行け! そこだ! それは、安全なもふもふだ!
「大丈夫ですよ、夜咲花さん。もしも、この子が人間を食べようとしようものなら、その前に私が一ミリの迷いもなく殲滅してみせますから! 安心して、思う存分もふって下さい! 心の赴くままに!」
さあ! と心春が促すと、夜咲花はようやく心を決めたようだ。
「……っ。うん、分かった。信じてる。え、と。ココ、だっけ? お、おいで! モフモフしてあげる」
「はい!」
あ、ああ!
夜咲花がついに!
ついに、握りしめていたこぶしを開いて、ココを腕の中に招き入れようとしている。
夜咲花の招きに応じて、ココが軽やかな足取りで夜咲花の腕の中へと駆けていく。
いつの間にか、三日月のように光り輝く細身の剣を手にした心春が、その後を追っているのを止めるべきか、どうするべきか。
一ミリも迷わずにって、あなた。
いやいや、えーと。夜咲花を安心させるためなんだよね?
そうなんだよね?
あと、夜咲花が信じてるって言ったのは、何に対してなんだろう?
ココが人間を食べたりしないってことを?
それとも、いざという時は心春が殲滅してくれるんだよね、信じてる!――って意味?
なんでだろう。
これから、微笑ましいシーンが始まるはずなのに。
この緊張感は一体?
心春の表情が見えないのが、また怖い。
心春って、悪い子じゃないんだけど、たまに(いや、割といつもか?)何するかわかんないところ、あるからな……。
手の中に嫌な汗を掻きながら見守っていると、ココは無事、夜咲花の腕の中に納まった。
「わぁ。すごい、モフモフ。気持ちいい。可愛い。欲しい」
夜咲花は、優しくココをもふったり、頬ずりしたりと忙しい。
うんうん。たんともふりなはれ。
孫を見守るおばあちゃんのような気持ちになってくるな。
ゆるふわショートな小柄美少女ともふもふの共演。
ええものじゃのう。
開け放したままの入り口にへばりつきながら、目に優しい光景に癒されていると、月見サンの呆れたような声が聞こえてきた。
「で。星空ちゃんは、いつまでそこでそうしているのかなー? 夜咲花ちゃんも、もう平気みたいだし、そろそろちゃんと中へ入ってきたら? なんか、不審者みたいだよ?」
ふ、不審者!?
そんな、人を変質者みたいに!?
あたしはただ、孫を見守るおばあちゃんの気持ちで……。で。
う。だが、まあ。いつまでもここでこうしていても、仕方ない。
「ただいま、再びー」
力なく呟きながら、あたしは引き戸を閉めて、今度こそ、ちゃんとアジトの中へと入る。
自業自得とはいえ。なんかもう、すっかり「ただいま」「おかえり」ムードじゃないけど。
あんなにパニくっていた夜咲花も、完全にココに夢中で、あたしのことなんて眼中にない感じだけど。
月見サンには、不審者とか言われるし。
心春とココのことを、みんなにちゃんと紹介しなくちゃ、とかも思っていたのに。
なんかもう、あたし、いなくてもいいみたいな感じだし。
せっかく、久しぶりに帰って来たのに。
みんなに会うの、ちょっと楽しみにしてたのに。
なんだろう。心がささくれる。
でも。
アジトの中にはまだ、女神が残されていた。
「ふふ。お帰りなさい、星空」
板の間に、綺麗に正座している長い髪の美しい女神。
淡い黄色のワンピースに身を包んだ月下さんが、優しくあたしに微笑みかけてくれたのだ。しかも、「おかえり」つきで!
うう。優しい!
名前を呼んでもらえたのが、また。また!
「はい! ただいま帰りました!」
嬉しくなったあたしは、元気にもう一度ただいまの挨拶をしながら、膝から板の間に滑り込む。
ちょっと、お行儀が悪いかな、と思ったけど。
月下さんは、落ち着いた、柔らかい笑顔を浮かべたまま。
そうそう。
月下さんって、自分はすごくお行儀がいいのに、人にはあれこれ言わないんだよね。
うん。思い出した。
そうそう。そうだった。
あー。
帰ってきた。
帰ってきたよー。
空の旅も楽しかったけど。
アジトはアジトで、やっぱりいいな。落ち着く。
闇底に来てから、まだそんなに経ったわけじゃないけれど。
ここは、もう。
すっかり、あたしの帰る場所なんだなー。
そう思って。
なんだか、じんわり嬉しくなるのでした。