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第95話 その時。

 その時が。

 ついに、その時が来た。


 え?

 どの時かって?


 うん、もぅー!

 決まってるじゃーん!!


 夜咲花よるさくはなだよ!

 夜咲花だよ!!

 夜咲花なんだよ―――!!!


 あの引きこもり錬金魔法少女の夜咲花が、ついに!

 ついに、ついに―――!!!!


 いや、あのね?

 心春ここはるが作ったキノコ温泉を堪能した後、夜咲花に冷たい牛乳作ってーってお願いしたらね?

 ちょー羨ましがられてね?

 あんまり羨ましがるもんだから、月華つきはなが温泉初体験で超かわいかったって報告したら、あたしの首を絞める勢いで本当に羨ましがってね? まあ、勢いでって言うか、ホントに軽く絞められたんだけど。まあ、それは置いておいてね?


「月華の初めてとか、どうしてあたしはそこにいなかったの!? 初めてに感動する月華、あたしも見たかったー!!」

「じゃあさ。お風呂上がりの火照った体で飲む瓶牛乳の会に、今度は夜咲花も参加してみない? もちろん、お風呂込みで」

「え?」


 悔しがってあたしを羽交い絞めにしてくる夜咲花に、あたしはそっと囁きかけた。これは、悪魔じゃなくて、天使の囁きだよね?

 夜咲花は、あたしに絡みついたままでピタッと動きを止め、目を真ん丸にしてあたしを見つめる。

 遠くで心春の雄叫びが聞こえたけれど、そっちは放っておくことにする。


「で、ででで、でも。あたしは……」

「キノコ温泉、アジトのすぐ隣だしさ。それに、アジトの周りの草原は、月下げっかさんが結界? とかで安全にしてくれてるらしいしさ。月華も一緒だし、ね?」

「それは、そうかもだけど、でも……」


 夜咲花の瞳がゆらゆらと揺れている。

 ホントは行きたい。でも、やっぱり怖い。

 二つの気持ちの間で、揺らいでいる。

 もう一押し!


「怖いなら、月華に手をつないでもらえば?」

「え!?」


 行きたい期待成分が不安を上回っている!

 いける!

 あと、少し!


「月華! 夜咲花が、月華が手をつないでくれるなら、一緒に温泉に行けるって! 繋いであげて!」

「ちょっと、星空、何言ってるの! そんなの、月華に迷惑だし!」

「ん? 私なら、別に構わないが。これでいいのか?」


 夜咲花は真っ赤になって慌て始める。

 月華はと言えば、いつものクールな感じでこっちに近づいて来ると、あたしにしがみついている夜咲花の手を外して、握りしめる。

 いや、今じゃなくてもいいんだけど。月華って、クールに天然だよね?

 でも、いい仕事してくれました! さすが、月華!

 夜咲花は赤絵具でも飲み込んだみたいに真っ赤になって、ぼひゅうと蒸気を吹き出しながら頷いている。

 たぶん、オッケーってことだと思う。


 そんなわけで!


 あの夜咲花が、ついにアジトの外へと第一歩を踏み出したんですよ!!

 まあね、そうは言っても、アジトのすぐ隣のキノコ温泉までだけどね。それに、月華に手をつないでもらってようやく、だったけどね。

 でも、それでも。

 小さいけれど、大きな一歩!



 温泉と風呂上がりの瓶牛乳の会。

 せっかくだから、ルナと紅桃べにももが帰って来るのを待って、みんなで行こうってことになった。

 なったけど。

 結局、そうはならなかった。



「行くー! ルナもみんなでお風呂入って、牛乳飲むー!」

「あ? いや、行くわけないだろ。おまえらだけで行って来いよ。俺はアジトで留守番しててやるよ」

「え? なんで?」

「なんでって、行くわけねーだろ! アホか!」

「あ! そういや、そうだった!?」


 見回りに出かけていた紅桃とルナが帰ってきたところで、さっそく誘ってみたところ、ルナは大喜びだったけれど、紅桃にはあっさり断られたのだ。

 なんで断られたのか分からなくて、素で理由を聞いたのもばっさりやられて、それでようやく思い出した。


 そうだった。そうでした。

 紅桃ってば、こんなに可憐で妖精のように可愛いのに、実は男の子だったんでした。

 危ない! 普通に誘ってた!

 夜咲花のお外デビューが嬉しくて嬉しすぎて普通に忘れてた!


「え? 何が、そうなんですか?」


 あたしと紅桃のやり取りに、そういやそうだったね的な空気が流れる中、不思議そうに首を傾げる人たちがいた。

 紅桃が男の子だってことを知らない、心春と月華だ。

 やっぱり、知らないはずのフラワーは、紅桃のことはどうでもいいみたいで、月華の顔しか見ていない。

 えーと、どうしよう?

 理由を教えることが出来れば、それであっさり解決する問題なんだけど。そうはいかないのが、問題なのだ。

 二人とも、男は嫌いだって言ってるからなー。

 嫌いなだけならいいんだけど、心春とかは殲滅するとか言い出しかねないし、実行しかねないし。

 月華は、そこまではしないような気はするけど、気がするだけで実際どうなるかは分からないし、何より紅桃が知られたくないみたいだし。

 えー、えーと。


「その、ね? 紅桃は、こう見えて……いや、ある意味見た目通りなんだけど、その、ね? は、恥ずかしがり屋さんなんだよ!」


 精一杯のフォローをしてみると、紅桃はその通りだというように、必死に首をコクコク縦に振っている。


「そうなんですか? あ、でも、大丈夫ですよ! 恥ずかしかったら、タオルを巻いたまま入っても構いません! 想像主である私が許可しますから! もしくは、水着着用でもいいですよ! ここは闇底なんですから、地上のルールとか気にする必要、ありませんし!」


 だが、心春は手強かった。

 善意で言ってくれてるんだろうけれど、手強かった。

 紅桃のことを女の子だって信じているから、善意で言ってくれてるんだろうけれど、手強かった。

 これで、紅桃が男の子だってばれたら、どんな恐ろしいことが起こるんだろう?

 し、知りたくない!

 知りたくないから、なんとしても、紅桃が男子だとばれることなくこの場を乗り切らなくては!

 でも、どうしたら!

 紅桃が、助けを求めるようにこっちを見てくるけど、どうしたら!

 その顔、超絶可愛いんですけど、どうしたら!?


「あ! もしかして、お胸が小さいことを気にしてるんですか? だったら、気にすることないですよ! お胸の小ささなら、私だって負けてませんから!」


 こ、心春がドーンと胸を叩きながら、紅桃にぐいぐい迫っていく。

 しかも、なんか悲しいことを言いながら!

 いや、お胸の小ささで、男の子の紅桃に負けたらダメでしょ!?

 紅桃は真っ赤になって固まっちゃってるし。

 ああ、なんか可憐な美少女がキノコに襲われているようにしか見えないんだけど。

 とはいえ、どうしていいか分からなくてオロオロしていたら、物憂げな美女のため息が聞こえてきた。

 月下さんだ。


「心春、無理強いは良くないわよ? 紅桃は、私と一緒にここでお留守番をしているから、温泉にはみんなで行ってらっしゃい」

「え? 月下美人さんも行かないんですか?」


 救いの手!

 と思ったけれど。え? 月下さんも行かないんですか?


「ええ。私はいいから。みんなで楽しんできて」

「ええ!? でも!」

「私はいいの。でも、みんなは、楽しんできてちょうだい」


 穏やかに微笑んでいるけれど、これはダメなやつだなってことが、あたしにもよく分かった。

 透明な高鉄のカーテンをジャッって降ろされた感じ。

 何を言っても、跳ね返されちゃそう。

 その理由が、紅桃のためだけじゃないような気がして、ちょっと気になったけれど。

 でも、とりあえず今は。

 心春がこれで納得してくれるなら、それでいいかな、と思うんだけど。心春さん的には、どんな感じでしょうか?

 板の間の奥に座っている月下さんから、割と手前にいる心春に視線を移し、後悔した。

 見るんじゃなかった。


 キノコは、いつの間にか紅桃の手を握りしめていて、それでもってフルフルと震えていた。

 怪しげなオーラがキノコの全身から噴き出している。

 キノコは叫んだ。


「なるほど! お二人がそういう関係だったとは!? お互いの肌は、お互い意外には見せたくない! たとえ女の子同士であっても! 分かります! 大変、尊いと思います! そういうことでしたら、お二人の邪魔は致しません! お風呂は、後でお二人だけでじっくりと堪能してください! では、私たちだけで行くとしましょう! 行きますよ、みなさん! 早く、お二人を二人きりにして差し上げなければ!」


 叫んで、紅桃の手を離すと、アジトの外へと走り出す。


「みなさんも、お早く!」


 入り口で止まって、あたしたちを振り返ってそれだけ言い残すと、キノコ温泉に向かって再びダッシュしたようだ。

 うん。いろいろと違うと思う。

 違うと思うけど、まあいいや。

 結果オーライってことで。


「えーっと。それじゃ、あたしたちも、行こっかー」


 気を取り直したように、月見サンがパンと手を叩くと、月華が無言で頷いて、夜咲花とつないだ手をクイっと引っ張る。


「行くぞ」


 月華にクールに言われて、夜咲花は真っ赤になって頷いた。そして、あたしの手を掴んだ。月華に捕まれている方とは反対の手で、あたしの手を握りしめてきた。

 え?

 ちょ、も、もう。しょうがないなぁ。

 頼られたみたいで嬉しくて、あたしはにやけながら夜咲花の手を握り返す。

 先頭に立つ月華に手を引かれて、あたしたちは数珠繋ぎでアジトの外に出た。

 最初の一歩を踏み出す時には、緊張で体をこわばらせて立ち止まってしまった夜咲花だったけれど。


「大丈夫だ」


 そう月華に言われて、決心がついたんだろう。

 自分を奮い立たせるように、ぎゅっとつないで手に力を込めると、無理やり引っ張り出されるんじゃなくて、ちゃんと、自分の足で、その一歩を踏み出したのだ。

 踏み出した後は、目をぎゅっと閉じちゃって、月華とあたしに誘導されるままだったけどね!

 でも、その一歩が大事なんだよ!

 もー、お赤飯炊きたい気分!


 こうして、紅桃と月下さんと、それから妖魔の雪白とココを除いた全員で、キノコ温泉へと向かうのだった。ココは出来れば連れて行って、一緒にお風呂に入りたかったけれど、あっさりお断りされてしまった。まあ、動物はお風呂苦手だったりするもんね。

 残念だけど、仕方がない。


 この後は。

 手をつないでキノコ温泉にやってきたあたしたち三人を見た心春が、大発狂したり。

 前回不参加のルナと夜咲花が久々のお風呂に大はしゃぎしたり。

 ルナのおっぱいがお湯に浮かんでいるという事実に、頭も心もがっつんがっつんの衝撃を受けたり。


 散々、お風呂を堪能してからの、風呂上がりの瓶牛乳ターイム!

 じゃっじゃーん!

 と、心春が張り切ってお披露目してくれたのは、前回はなかった自動販売機。

 今回、入り口すぐの休憩スペースには、自動販売機が設置されているのだ!

 いつの間に! なーんて。実は、ルナたちが帰って来る前に、すでに準備済みだったんだけどね。知ってたけどね。ルナ以外は。

牛乳は、夜咲花が作ってくれて。それを心春が、心春作の自販機に仕込んでくれてね!

 準備万端だったのだ!

 抜かりなし!

 お金を入れなくても、ボタンを押せばモノが出てくる親切設計。

 普通のとー、コーヒー牛乳とフルーツ牛乳の三種類。完璧!


 お風呂上がりのホカホカの体で、順番に自販機からお好みの瓶を取り出していく。

 えーとね。

 あたしとルナが普通の牛乳で。

 月見サンが、コーヒー牛乳。

 月華は夜咲花のお勧めでフルーツ牛乳を選んでいた。もちろん、夜咲花も同じヤツ!

 で、心春は…………キノコだった。キノコ型の瓶牛乳……いや、瓶って言うか、あれもうキノコだよね? カサの部分が蓋になっていて、パカって開けられるみたいだけど。中身は……まあ、別に何でもいいかな……。

 そっと視線を外して、自分の牛乳の蓋を開ける。

 いつの間にやらルナはもう自分の分を飲み干していて、二本目を求めて再び自販機と向かい合っていた。早いな。そして、マイペースだな。お次は、フルーツ牛乳か。


「いい? 月華、こう腰に反対の手を当てて、一気に飲み干すんだよ! こうゆーふうに!」

「こうか?」

「そう! じゃあ、いただきます!」

「……いただきます」


 さっそく、二本目に取り掛かるルナに気を取られていたら、後ろから微笑ましい会話が聞こえてきた。

 夜咲花と、月華だ。

 夜咲花が、初めての月華に、レクチャーしてあげているみたいだ。

 振り向くと、二人で同じポーズをして瓶牛乳をラッパ飲みしている姿が目に入った。

 なんか、見ているだけで胸の奥にじわじわと暖かいのもが広がっていく。

 ああん、もう。ナニコレ、微笑ましい!


「ああ! なんという美しくも尊い光景なのでしょうか! 胸の奥を鷲掴みにされたようなこの衝動! 私は一体、どうしたら!! 私は今、まさしく天国にいる! 百合神様、ありがとうございます!!」


 ……………………。

 ヤメロ! このキノコめ!

 微笑ましいものを汚すな!

 暖かいものが一気に冷めていく。

 それを誤魔化すように、あたしは良く冷えた牛乳を一気に飲み干した。



 そうして。

 おおむね満足して、ホクホクとアジトに戻ったあたしたちを出迎えたのは、お留守番組のピリリと緊張した面持ちだった。


「サトーから、連絡が来たわ」


 白い紙人形のようなものを人差し指と中指で挟んでヒラヒラさせながら、固い声で月下さんが告げる。

 あの紙人形は、サトーさんからのお手紙なのかな?


「華月に、アジトの情報が伝わったらしいわ。おそらく、近いうちに姿を現すはず」


 それを聞いて、怯えるように縋りついてきた夜咲花の頭を、月華が優しく撫でた。


「問題ない。奴は、私が必ず倒す」


 静かに、でも強い決意を滲ませて、宣言する。

 目に強い光を宿し、口元には不敵な笑み。

 太陽も月も星もないはずの闇底なのに、月華にだけ月光のスポットライトが当たっているかのようだった。


 ああ。

 ついに。

 ついに、その時が来たのだ。


 魔法少女を喰らう月華のコスプレをした妖魔、華月との決戦の時が。


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