「全ての穴を完全にふさぐことは、難しいだろうな」
月下さんの、ひどく思いつめたような視線の先で、魔女さんは口元にうっすらとした笑みを浮かべたまま、淡々と答えた。
「…………でしょうね。特に、私や月華のような術者の家に生まれたものが墜とされるのに使われている穴は…………。何度か使われたことにより、穴として、というより、こちらとあちらを繋ぐ通路として、定着してしまっている。こちら側に塞ぐ意思があっても、あちら側……“地上側”にその意思がなければ、たとえ一時的に塞いだとしても、いつかまたこじ開けられてしまうかもしれない……」
がーん!
そんなぁ……。
じゃ、じゃあ。月下さんが、これから旅に出てやろうとしていることは、無駄かもしれないってこと!?
あたしは、魔女さんと月下さんのやり取りにショックを受けたけれど、でも。
当の本人の月下さんは、思ったよりもがっかりしていないっていうか、むしろ。
あれ?
瞳の奥に、やる気の炎が灯っているような?
さっきの、思いつめたような、わずかな不安と緊張が、なんか消えているような?
「でも。星空たちのように、神隠し的な何かにあって“闇底”へと迷い込んできた子たちが通ってきた穴…………いいえ、そちらは恐らく、ちゃんと穴として安定していないのではないかしら? ほんの少しのひび割れ、隙間のようなものがあるだけなのでは? そう、とても不安定で、何かの加減で二つの世界が繋がってしまうことがある。そして、運悪くその場に居合わせたものが“闇底”へと彷徨い込むことになる、そんな…………」
形の良い顎の下に人差し指をあてて、一人喋り続ける月下さん。その目はもう、魔女さんを見てはいない。喋りながら、考えをまとめているみたいだった。
「だとしたら、その不安定なひび割れは、カケラを種として蒔いて“闇底世界”へと還すことで、安定するのではないかしら?」
宙を睨みつけながら、そう考えをまとめた月下さんは、一呼吸おいてから、もう一度魔女さんへと視線を投げる。
「そのように願いを込めてカケラを蒔けば、そうなる可能性は十分あるだろう。試してみるがいい」
「…………そうするわ」
魔女さんは、口元に薄い笑みを浮かべたまま、目はやっぱり伏せたままで、一度も
でも、月下さんは、全然気にしていないようだった。
満足そうに笑うと、
夜咲花は、月下さんとは反対側のテーブルに座っていた。
月下さんから見て、斜め右。あたしと月華の間。
夜咲花は、ビクッと身を竦めた。
「というわけで、夜咲花。私は、
「…………ずるいよ、
夜咲花はポロポロと涙を零しながらも、月下さんを引き留めようとはしなかった。
アジトでのんきに暮らしていても、ふと頭をよぎることがある。
あたしたちは、運悪く“闇底”へと彷徨い込む羽目になって、運悪く妖魔に襲われちゃったけど。でも、それでも。運よく、月華に助けてもらえた。
だけど。だけど…………。
きっと、最後まで運悪く…………。
月華に助けられることなく、妖魔に食べられちゃった子だっているかもしれないのだ。
そんな子たちを、減らせるかもしれない、となったら…………。
自分が怖いからって、だからって。
他の“運悪い子”たちを見捨てることなんて、出来ないもんね。
夜咲花。えらい! がんばった!
好き!
いや、一部のキノコが大変なことになるから、言わないけどね。
「まあ、そうは言ってもね。華月の事件の時に、アジトの場所を宣伝してまわったから、仲間を求めて他の魔法少女が尋ねてくるかもしれないし、そちらの対応要員として月見がアジトに残ってくれるから。ま、少しは頼りになるでしょ」
「え?」
「おう! お姉さんに、任せてー!」
夜咲花の目が少し輝いた。
元々、月見サンはあちこちを放浪していた旅人系魔法少女だったからね。きっと、あたしたちが旅立ったら、一緒の旅じゃないとしても、月見サンは月見サンでどこかへ旅立つつもりなんだと思っていたんだろうな。
対妖魔的には、月下さんの方が頼りになるイメージはあるけれど、そうは言っても、それとは別に、年上のお姉さんがいてくれる安心感というものがあるからね。
それにまあ、月見サンだって、ずっと一人で危険な闇底を旅してまわっていたわけだしね。
うん。頼りにしていいと思いますよ?
「あとは、まあ。一応、アジト周りの妖魔避けは強化していくけれど、何かあったら、この魔女の部屋に避難すればいいわよ。しばらくは、このまま繋いでおくのでしょう?」
「ああ。そのつもりだ。好きに訪れてもらって構わない」
「ホ、ホント!?」
夜咲花の顔が、ぱあっと輝いた。
あー、そうかー。
その手があるのかー。
うん、魔女さんのお部屋は、なんか“闇底”で一番安全な場所のイメージがある。ラスボス感があるというか。絶対に、妖魔が入って来なさそう。
よかったね。夜咲花。
あたしも、これでホントに安心だよ。
「夜がアジトに残るなら、ルナもアジトで夜を守るよ!」
「ルナ!」
ルナが夜咲花ににぱって笑いかけて、夜咲花は感激の半泣き笑いになった。
だが、そんな微笑ましいやり取りを繰り広げる二人を、キノコ……心春が《ここはる》友情を超えた何かを見守る眼で見つめている。今にも、何かが爆発しそうだ。
そう言えば、心春は、どうするつもりなんだろう?
今までの、言動からすると、当然のようにあたしについてくるような?
あたしが、旅立ち組に囲まれて、充実した百合色ライフを送っているところを見守るために、とか言って。
いや、実際には、そんなことないよ?
ないけど、心春の脳内では、勝手にそんなのが繰り広げられるに決まっているからね。
なんとしても、阻止せねば!
「心春!」
「…………! は、はい!」
強めに声をかけると、何かを溢れかけさせていたキノコは、ビクンと体を震わせてから、あたしを見た。驚きが去った後の瞳には、期待…………が浮かんでいる。
いや、誘わないよ?
ふ、先手必勝さ!
「あたしたちがいない間、夜咲花のこと、頼んだからね」
「………………え? ………………は、はい! 分かりました! 必ずや、星空さんの期待に応えてみせます! お二人の愛のために! ふふ、みなさんの旅の様子は、心の目で見守ることにします!」
何やら、決意に燃え始めるキノコ。
作戦成功!
したのは、いいけど。
心の目で見守るって、要するに、一人で勝手に妄想してますってことだよね?
いや、まあ、いまさらか。うん。いまさらだね。
一緒にいて、妄想を垂れ流しにされるよりはマシか。うん。マシだな。
チラッと、夜咲花の反応を見ると、留守番仲間が増えて嬉しいような、でもやっぱりそうでもないような、複雑な顔をしていた。
うん。ごめん。
でも、あたしもたまには、百合色のキノコから離れたいんだよ。
後は、任せた。
「あー……。心春、残るのか…………。夜咲花、すまん。俺も、ちょっと出かけてくるわ。一度、闇鍋市場とかいうところに、行ってみたいと思ってたんだよな。お土産、持って帰るからよ。悪い、俺も行ってくるわ」
「え?
「まあ、月華たちみたいに、長く旅に出るわけじゃないし、ちょくちょくは戻ってくるって。今までだって、そうだったろ?」
「う……、うう…………分かった。紅桃、前から、行きたいって言ってたもんね……。お土産、忘れないでね?」
「おう、任せとけ!」
キノコ回避に成功して、一安心、と思っていたら。
あー。
そうだ、紅桃のこと、忘れていたよ。
紅桃は、見た目は超絶可憐な妖精風美少女だけど、実は男の子だからな。
男は全員殲滅!――――とか言っている心春には、当然、そのことは内緒なんだけど。
人数が少なくなってくると、うっかり男の子バレちゃう可能性が高くなりそうだからな。
しかも、アジトに残るメンバーが、夜咲花、ルナ、フラワー、月見サンでしょ?
何かあった時に、うまく誤魔化してくれたりできるのって、この中だと月見サンしかいない…………。そして、その月見サンも、たまに割と結構、うっかりさんだし。
夜咲花は、しばらく瞳を揺らせていたけれど、あたしと同じように、紅桃がキノコに殲滅されちゃう危険に気付いたのだろう。しぶしぶ、ではあったけど、頷いてくれた。
それだけじゃなくて、ずっと闇鍋市場に行ってみたいって言っていた紅桃が、なんだかんだアジトに残ってくれていたのは、自分のためだってことにも、気が付いちゃったからっていうのもあるんだろう。
成長したな。夜咲花。ああ、キノコを置いて、夜咲花を一緒に連れて行きたい! 無理だけど。
んー。でも、闇鍋かー。
紅桃、一人で大丈夫かな?
紅桃って、なんか、面倒見なきゃいけない子がいる時は、結構慎重だったりするんだけどさ。でも、自分一人だと、割とやんちゃなところもあるような?
粋がって、強い妖魔と喧嘩になって食べられちゃったり、しない?
あたしたちが闇鍋に行った時も、すっごく強い妖魔が現れたりしたし。まあ、月華の敵ではなかったわけだけど。
「んー、闇鍋かー。紅桃君は、初心者なんだよねー? あそこも、微妙に独自ルールがあるからなー。たまーに、めっぽう強い妖魔が交じっていたりもするし」
「ああ。なら、サトーと一緒に行けばいいわ。彼、あそこの常連のはずだし。式紙を使って連絡をつけるわ。返事の式紙が戻ってきたら、アジトの近くの“道”がある場所に行ってみなさい」
「サトーと一緒かよ、まあ、いいけど。その方が、面白い土産が手に入るかもしれないしな。じゃあ、頼むわ」
「では、ボクも一緒に行って、案内します」
「おー、そういや、ココは闇鍋にいたんだっけ? じゃ、頼むわ。サトーのおっさんと二人だけって言うのも、微妙だしな」
「任せてください!」
あ。お姉さん組も、同じ心配していた。
そして、ココももしかして、紅桃を心配してくれてる? それとも、そろそろ闇鍋が恋しくなっちゃったのかな?
まあ、でも。ココがいれば、紅桃もあんまり無茶しないだろうし。ちょうどよいかも。
それに、サトーさんも強くはないけど、大人だし。なんかあっても、 まあ、うまく立ち回って何とかしてくれるだろう。
微妙に独特な闇鍋の作法なんかも教えてくれるよね、きっと。
しかし、月下さん。まだ、サトーさんからオッケーされたわけじゃないのに、もう確定なんですね? サトーさんなら、絶対断らないって思ってるってことですよね?
んふふ。
いや、いいと思いますよ?
サトーさんも、月下さんには弱いみたいだし。
はっ! そうだ!
後で紅桃に、サトーさんになるべく月下さんの話を振るように言っておかなきゃ!
そして、その時のサトーさんの反応と言ってたことを、全部報告するように、よくいっておかなきゃ!
わ、わくわくしてきた!
のに。
「ちょっと、待ってください! こんなに可憐な紅桃さんと、あの男を二人で旅をさせるなんて、一体、何を考えているんですか!?」
キノコから、待ったがかかった。
ガターンと椅子を後ろに倒しながら、立ち上がるキノコ。
みんなが(魔女さんと月華とルナは除く)、キノコを見上げる。
ちょっと、めんどくさそうに。
紅桃は、激しくげんなりしながら。
いや、二人きりっていうか、ココもいるんだけど。
心春の中では、ココは頭数としてカウントされていないの?
「一緒にいるだけで、紅桃さんが穢れてしまいます! 今すぐ、あの男を殲滅しなければ! はっ! それとも、これは、つまり、罠!?」
は? 罠?
みんな、怪訝そうな顔をする。
「月下美人さんがいない間、アジトに残った可憐な花たちが狙われたりする心配がないように、紅桃さんという極上のエサで、あの男を呼び寄せ、殲滅する! つまりは、そういうことですね!? 分かりました! その役目、この心春に、お任せください! 塵も残さず、殲滅してやります!!」
ぐっと拳を握りしめ、一人いきり立つキノコ。
サ、サトーさん、逃げてー!!!
そして、それはそれとして、
べ、紅桃の。
紅桃の闇鍋初体験んは、一体、どうなっちゃうの!?