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第160話 半透明に揺らめいて

 青白く光るカーテンの向こう側は、少しざわざわしていた。

 食道通路の、たぶん終点と思われるところで波打っているカーテン。

 カーテンの向こうには、胃袋があるはずで。

 胃袋、ということは、胃液の海が広がっちゃったりしているのだろうか?

 んん、でも。さすがに、カーテン一つで、ちゃっぷちゃぷの胃液が流れ込んでくるのを抑えられるとは思えないから、胃液のプールとかがあるくらいかな?

 カーテンの向こうから聞こえてくるざわめきは、胃液のプールに集まってにぎわう妖魔たちの声だったりするんだろうか。

 一体全体、どんな妖魔さんたちが?

 ちょっと、緊張。

 ゴクリ。

 しゃがみ込んだ月下げっかさんが、カーテンの裾をちょっとだけ持ち上げた。みんなで顔を寄せ合うようにして、隙間から中の様子を覗き見る。

 んー。んー……?


 砂浜。

 そして、青白く波打つ、カーテンの海。

 カーテンの海?

 ……………………。

 いや、うん。

 カーテン……だよね?

 波みたいにうねってはいたけど、お水じゃなくて、カーテンだよね、あれ。

 どーゆうこと?


 月下さんが、入り口のカーテンをパサリと落とした。

 こめかみに人差し指を押し付けて、ぐりぐりしている。


「胃酸の海じゃなくて、カーテンの海とはね……」

「奥の方に、小さい妖魔みたいなのが、結構たくさんいるのが見えたけど?」

「え? ホントに!? あたしのところからは、見えなかったー! ちょっと、もう一回めくってもいい?」

「いいえ。この際、もう、行っちゃいましょう」


 ため息月下さんと、報告ベリー。見逃し星空ほしぞらが、もう一度カーテンの向こうを覗こうとしたら、月下さんが最後に威勢よく号令をかけるなり立ち上がって、入り口のカーテンをバサアってした。

 え? いや!?

 げ、月下さんって、時に大胆ですよね?

 ん、でも、まあ。開けちゃったものは仕方がないわけで、これはこれで、堂々と真正面から鑑賞できる、と鼻息を荒くしたあたしなのですが。

 あれ? 月下さん?

 てっきり、そのままカーテンの海が広がる広場に突っ込んでいくのかと思った月下さんは、カーテンを広げたまま、両手をこう、真横に開いたままのポーズで固まっている。固まって、フルフル小刻みに震えている。

 どうしたんだろう?

 あ、よく見えるようにカーテンは全開にしたけれど、勇んでそのまま突入しちゃわないように通せんぼしてるのかな。でも、なんで、フルフルしているの?

 よく分からないけれど、さっきよりは視界が広くなったことは確かなので、あたしとベリーは、中腰で左右にずれて脇の下の空間から広間の様子を見てみる。月華つきはなは立ち上がって、月下さんの肩越しに広場を見てるようです。


 で、そこに見えたものとは!

 とは!


 うぐっ。くふっ。

 固まっちゃった月下さんの気持ちが分かった。

 こ、殺されるっ!

 可愛さに、殺される!

 心臓が止まりそうに可愛い!

 このまま膝から崩れ落ちて悶え転がり回りたい気持ちと、全力ダッシュで駆け寄ってハグハグしたい気持ちがせめぎ合って、結果的に固まらざるを得ないというか! フルフルしちゃわざるを得ないというか!!

 こんなん、もう! フルかたしちゃうよ! 誰だって!


 ああああ。

 それにしても、まさか、まさか!

 巨大オマツリチョウチンアンコウの体の中に、ちっこくて可愛いペンギン妖魔のパラダイスが隠されていようとは!

 広間の大きさは、体育館くらいかなー。

 半分よりも奥の方は、カーテンの海でね。その波打ち際で、ペンギンさんたちが何やら集まって騒いでいるのだ。話に夢中で、こっちには、気が付いていないみたいだね。

 何を話しているんだろう? 可愛い。

 なんかね、本物のペンギンっていうよりは、ぬいぐるみっぽい感じの丸みのあるフォルムでね。とにかく、可愛いの。羽をバサバサしながら、一生懸命お口をパクパクしているのが、すっごく可愛いの。

 あーうー。

 あたしも、ここに住みたいよー!

 あの可愛い話し合いに混ぜてほしいよー。

 いや、見ているだけでいい。

 この星空のお膝を、ぜひともクッションとしてお使いください!

 そして、なでなでさせてください!

 なんでも、しますから!


「ねえ? なんか、透けているみたいだけど、あれって幽霊ってこと?」

「な、なななな、何を言っているの!?」


 あたしが感動にフルフルしつつも固まっていたら、ベリーが怪訝そうだけど冷静に言った。ベリーさん。あなたは、目の前にあんなに可愛らしい子たちがひしめき合っているというのに、どうしてそんなに冷静でいられるんですか?

 月下さんは、声まで震わせて感動に打ち震えているというのに。

 それに、幽霊って、何のこと?

 どこに、そんなものが…………。あ、いた。

 本当だ。透けてる。


 ペンギンさんの群れの真ん中に、透けている感じの浴衣の女の子がいる。

 白地に紫のアジサイ柄。髪もアップにしてる。ゆるっとまとめて、お花の飾りもついている。

 可愛いけど、普通に可愛い。

 安心できる可愛さ。体つきも、余計な自己主張のない控えめな感じで、浴衣がよく似合っている。ストレートな感じの体格。親近感わいちゃう。

 いいな、あの子。

 いや、だってさ。

 闇底魔法少女のみんなってば、美少女ばっかりなんだもん。

 ああいう、平均的な可愛さって、親しみが持てるよね。クラスの男子全員が一度は好きになっちゃう系じゃなくってさ。そういうんじゃないけど、でも、クラスで一人だけ、本気で好きになってくれる男子がいそうな、そんなタイプ。

 彼氏が出来て幸せになれるのは、きっとこういうタイプなんじゃない?

 そういうのは、そういうので羨ましい。

 …………まあ、今は透けている系の女の子になっちゃっているんだけど。申し訳ないけれど、そこはあんまり羨ましくない。


「いい、ベリー? この世に幽霊なんていないのよ」

「そうなの? じゃあ、アレは何?」

「幽霊を模した妖魔よ!」

「………………意外ね。月下美人げっかびじんが幽霊を怖がるなんて」

「こ、ここここ、怖がってなんかいません! だって、幽霊なんて存在しないもの! 存在しないものを怖がる必要が、どこにあるのかしら!?」


 そして、月下さん。そうなんですね。幽霊、怖いんですね。

 本当に意外です。

 そっか。幽霊、怖いんだ。

 フルフルしてたのも、もしかして、そのせい?

 語尾は強めだけど、ちゃんと声を潜めているのは、幽霊さんに気づかれないようにしてるのかな。

 みんな、ペンギンさんたちよりも、幽霊に釘付けですね。

 ペンギンラブは少数派なのか……。

 それとも。どんなに可愛くても、妖魔は所詮妖魔派なのかな。

 この悶えのたうち回りたくなるような感動を分かち合える相手がいないなんて、寂しい。


「妖魔は平気なのに、幽霊は怖いっていうのも、よく分からないけれど」

「妖魔と幽霊は違います! 妖魔は実在しているけれど、幽霊は実在していません! 全然、違います!」

「月下美人の家って、こういうのを退治する仕事をしていたのよね? 月下美人も、手伝っていたのよね? そんなんで、ちゃんと仕事出来ていたの?」


 ベリー、今日はいやにぶっこんでくるなぁ。

 まあ、あたしも興味あるけど。


「うちは、妖魔退治専門の由緒正しい退魔師の家柄よ! 幽霊退治なんてする、インチキ霊媒師と一緒にしないでちょうだい!?」

「………………悪かったわ。もう、聞かないから」


 あ、あっさり、折れた。

 まあ、あたしも、ちょっとかわいそうになってきてはいる。お仕事、どうしていたのかは気になるけど。そういう類のは、他の人に変わってもらっていたのかな。それとも、幽霊じゃなくて妖魔の仕業だからって、自分に言い聞かせながら頑張ってお仕事してたのかな。あ、でも、月下さんのお家は本当に妖魔退治専門っていう可能性もあるよね?

 うー、うん。まあ、あれだね。どっちにしても、こういうのはあんまり追及したらダメだよね。

 ホラ、月下さんにも、お姉さんポジとして保ちたい威厳とか、そういうのがあるだろうし。

 こういう月下さんも可愛いなんて、思ってないよ? ホントだよ?

 いやー。今日は、可愛いものがたくさん見れるなぁ。

 まあ、月下さんのはペンギンさんとは違う種類の可愛さなんだけど。


「いいから、まずはあそこまで行って、話を聞いてみましょ」

「………………………………もちろんよ?」


 茶番には付き合っていられないわとばかりに調査続行を促してきたのは、月華と絶賛合体中の雪白ゆきしろだ。月下さんはというと、それに対してしばしの無言の後、大きく頷いた。いや、頷きはしたものの、入り口を通せんぼしたまま動かない。

 あ、あの。月下さん?


「怖いなら、あんたはここに残っていていいから。せめて、どいてくれない?」

「こ、ここここ、怖くなんてないって、言ってるでしょ!?」


 いや、月下さん?

 口ではそう言ってますけれどね?

 全身で「怖いから、行きたくない!」って、訴えているのが丸わかり過ぎなんですが?


「もう、突き飛ばしちゃう?」

「ええー? そんな、乱暴な。それは、最後の手段に取っておこうよ? そうだ、月下さん。幽霊……型妖魔さんとはあたしたちがお話してみますから、月下さんはペンギン妖魔さんたちと戯れていてください! 本当は、あたしがペンギンさん担当になりたいところですけど、特別に許可します! どうですか?」

「な、なるほど? 私は、ペンギン妖魔を薙ぎ払って、成敗すればいいのね?」

「ちょー! 何言ってるの!? 駄目! 絶対、駄目だから!! ペンギンさんは、成敗しちゃダメー!!!」

「ちょっと、星空。そんなに大声を上げたら……ほら、気づかれた」


 え?

 月下さんのご乱心を防ぐべく、黄色いバレリーナの胴体を両手でガシッと掴みながら、ちょっと大きく叫びすぎてしまったらしい。

 お話に夢中になっていたペンギンさんたちと幽霊さんが、一斉にこっちを見た。

 通り魔に遭遇した時みたいな、恐怖の眼差しで!!

 待って! 違う! 違うの!

 あたしは、この妖魔通り魔事件犯人の仲間じゃないから!

 あたしは、むしろ、みんなの味方だから!

 勘違いしないで!

 ペンギンさんたちに心の中で訴えかけながら、両手で掴んでいた月下さんの体をガシガシ揺すぶったら、超音波みたいな悲鳴が鳴り響いた。


「ひぃーーーーーーーーーーーーっ!!!!」


 あれ? これ、もしかして、あたしのせい?

 いや、きっと幽霊さんと目が合っちゃったんだよ。そういうことにしておこう。

 で、その月下さんの悲鳴を合図にして、真ん中あたりに固まって話し合っていたペンギンさんたちは、キャーっていう可愛い悲鳴とともに広間の中を散り散りに逃げ惑う。砂の中とか、カーテンの波の間に頭を突っ込んじゃっている子もいる。

 う、これはこれで、可哀そうだけど可愛い。

 でも、そんな中。

 幽霊のあの子だけが、カーテンの波打ち際に佇んだまま、揺れるような眼差しでこっちを見つめている。

 足はあるし、その足で、ちゃんと砂浜に立ってはいる。

 だけど、やっぱり。

 幽霊、なのかな?


 黙ってこっちを見つめる、浴衣姿のその子は。

 波打つカーテンの海の手前で、半透明に揺らめいていた。


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