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第九章 生きろ 3

「君のお父さん、菅原琴雅。若いころから並々ならぬ音楽の才能に溢れ、それでいて努力を怠らなかった天才。稀代のピアニスト、世界的音楽家……僕は常にそれを横で見ていた。そして彼の周囲に、どんどんと人が増えていく。著名な音楽家や富豪、芸能関係等々、実に多彩な人脈が構築されていった。彼の周りにはいつも人が溢れ輝いていた」


 清水先生の語る親父はまさに俺が追いかけていた存在そのもので、懐かしさすらある。

 こうなりたくて、俺はピアノを始めたのだ。


「だがそれと同時に、周囲の人間が増えるのと反比例するように、彼が心から信頼できる人間はいなくなっていった。おかしな話だ。集まってきた人の数だけ、彼は孤独になっていった。その理由は、僕より君の方が詳しいだろう?」


 先生は悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を見る。


 先生の言う通り、俺には容易に想像できる。

 誰もかれもが利害で寄ってくる。

 弱みを見せればそのまま食われるようなヒリついたような感覚。

 表舞台特有のあれだ。


 そして近しい者たちとの別れだ。

 一般人である友人たちとは物の価値観や話が噛み合わなくなり、時間もないせいでどんどん疎遠になっていく。

 まさしく今の俺そのもの。


「僕は言ったよね? 君のお父さんの死因が分かると。君のお父さんの病気は医者では分からない。仕方ないと思う、琴雅が死の間際口走っていたのを聞いていなければ、誰だって分かりやしないんだ」


 親父が死ぬ間際に口走っていたこと……?

 俺はその時ちょうど学校に行ってて知らない。

 その場にいなかった。

 親父の訃報で、俺は病院に駆けつけたのだ。


「親父は、なんて言ってたのですか?」


 俺は尋ねる。

 聞くのが怖い気持ちもあったが、ここは逃げるべきではないと思った。

 なぜなら、今の俺の現状を打破してくれそうだったから……。


「死神が見える。俺の死因は孤独死だ。孤独な人間には死神がやって来るのかって。そう言って息を引き取った」


 俺は絶句する。

 親父の死因はつまり未来の俺と同じ。

 世界の呪い、言うなれば孤独死。


 まさか親子二代にわたってそんな死に方とは……。

 母さんも大変だなと、他人事のように思ってしまった。


「琴雅は意識があった。そして言っていた、体の力が入らないと。そして最後の最後、琴雅は僕に伝えるためにわざと口にしていたと思う」


 当時を思い出したのか、清水先生の目元は潤んでいた。

 夕焼けが差し込む病室で、俺と先生は黙ってしまった。

 お互いに言葉が見つからないのかも知れない。

 なんて言ったらいいのか、言葉を探しているような、そんな時間……。


「そうか……親父はそうやって死んだのか」


 暫くののち、俺はポツリと呟く。

 ギリギリ先生に聞こえる程度の声量で口にした。

 確かめるように、噛みしめるように。


「真希人君……」


「ありがとうございました、先生。ちょうど迷っていたんです。どうしようかって。今の俺と天音の状態をどうしようかって……」


 俺は正直に話した。

 今朝からのこの話は、俺の頭に混乱をもたらしつつも、覚悟を決めさせた。


 どっちみち逃げられないのだ。

 あの親父でさえ世界の呪いからは逃れられなかった。

 人からは逃れられない。

 他人からは逃れられない。

 人は独りでは生きていけない。


「君が入院した時、もしやとは思った。だけどまさかとも思った。しかし今日早坂さんまでもが倒れてしまった時、僕は確信した。琴雅と同じ症状に違いないって。だから今日君にこの話をした」


 先生は一度考え込み、やがて再び口を開く。


「もしかしたら琴雅の死に際の言葉は、僕を通して君に語っていたのではないかと思うんだ」


「どういうことですか?」


 俺は先生に聞く。

 親父の遺言のようなことだろうか?


「たぶん琴雅は危惧したんだと思う。自分と同じ道を歩むであろう真希人君が、同じ結末を迎えないように警告したかったんじゃないかな。なのに僕はついさっきまで、彼の考えに気付かなかった……もっと真剣に考えるべきだった」


 清水先生は重苦しい空気を纏い、後悔を述べる。


 だけど俺は、先生は悪くないと思う。

 実際に体験しないと、先生から伝えられていたとしても信じていなかっただろう。

 相手にしていなかっただろう。

 下手したら真っ先に関係を切っていたかもしれない。


「先生……。話してくれてありがとうございました。親父の遺言を五年越しに聞けました。それに今の俺と天音の状況を理解してくれる人が、一人でもいるだけで本当に心強いです。俺と天音しか理解できないと、俺たちの方から周囲に壁を張っていたので、先生が知ってくれているというのが分かっただけでも、気持ちが楽になりました」


 俺は安堵から泣きそうになる。

 だけど泣いている場合じゃない。

 俺は天音を救い、俺自身を救わなければならない。


「先生、天音の部屋は分かりますか?」


「ああ、隣りだよ。病院側が早坂さんを憶えていたらしくて、隣りにしてくれた」


 それを聞いてちょっと笑ってしまった。

 なんだまたお隣さんか。

 どんだけ一緒にいたいんだ俺たちは……。


「行くのかい?」


 立ち上がろうとする俺を見て、先生は尋ねる。


「ええ、ちょっと様子を見に行きます。先生はどうしますか?」


「僕は遠慮しようかな。君に任せる。学校の方は、僕に任せなさい」


 そう言って清水先生は席を立つ。


「本当にありがとうございました」


 俺は病室を出ていく先生に頭を下げる。

 本当に助かった。

 救われた気持ちだ。

 天音をここまで連れてきてくれたのもそうだし、なにより俺たちの事情を察して行動してくれた。

 それが今の俺たちにとってなによりの助けとなる。


「じゃあ俺は俺のやるべきことをするか」


 俺はまだふらつく足元に喝を入れ、ゆっくりと歩き出す。

 向かうはまたもお隣さんになった天音の元へ。


 行って今朝のことと親父のことを説明しなくちゃ……。

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