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第十章 この先 1

 ふらふらと歩く俺はようやく隣りの病室までやって来ると、ノックをした。

 もう間もなく夜を迎える時間帯、面会時間も過ぎ去ろうとしているせいか、廊下は恐ろしいほどに静かで閑散としていた。


「はーい」


 天音の思いのほか元気そうな声が返ってきて、俺は内心安堵しつつ扉を開ける。


「大丈夫か?」


「うん! 真希人こそ大丈夫?」


 俺と目が合った天音は目を輝かせ、案の定自分のことよりも俺の心配をする。


「平気だよ。もう歩けるし」


 そう言ってゆっくりと天音が寝ているベッドに歩いて行き、近くの椅子に腰を下ろす。


「こっちに来てよ!」


 天音はどこか甘えたような声色でベッドを叩く。


「しょうがないお隣さんだな」


「こっちでもお隣さんとはね」


 渋々彼女のベッドの空いたスペースに移動した俺を、天音はニヤニヤしながら眺めている。


「なんだよ」


「なんでもないよ」


 そう言って天音は起き上がって勢いよく抱きついてきた。


「お、おい……」


「いいから。お願いだからこのまま……ね?」


 さっきまでのふざけた雰囲気はどこへやら、急にトーンダウンした掠れそうな声を発し、天音は腕の力を強める。


 心地いい。

 素直にそう思った。

 当然同年代の女子に抱かれているのだからドキドキもあるのだが、他人の体温というのはここまで人を安心させるものなのかと実感する。

 いつもの天音の匂いと桜の匂い。

 今朝の夢の中で抱かれた死神から香った匂いと同じ。


「やっぱりあれは天音か……」


 俺はあらためて確信を持った。

 女子の匂いで完全に判別するというのは、他人から見たら相当気持ちが悪いのだが事実なのだから仕方がない。


「他の女の匂いがする……」


 俺の独り言の直後、天音が恐ろしいことを口にする。


「マジ?」


「マジよ?」


 どうやらマジらしい。

 俺を抱いた女の子なんて、天音か死神ぐらいのものなのだが……。


「俺を抱いたことがあるのは天音だけだぞ」


 嘘は言っていない。

 だって死神は天音の未来の姿なのだから。


「へ~」


 天音の声が心なしか冷たい。

 俺が匂いで確信したように、天音も匂いで他の女の存在を察知したらしい。

 なんて恐ろしい能力なんだ……。


「わ、分かった。お話します」


「最初からそうしてよね」


 天音は悪戯っぽく笑うと、俺の背中に腕を回したまま寝転がり、俺ごとベッドに倒れこむ。


「ちょっと天音!?」


「いいから黙って」


 天音は俺を抱きしめたままベッドの上、俺の唇を奪う。


 俺は何の抵抗もせずにされるがまま。


 こういうのって普通は男からするもんじゃないのか?

 そんな疑問が一瞬巡るが、すぐに天音の匂いと感触に支配され、ぼんやりとし始めた。


 前はこんなに積極的じゃなかった気がする。

 どちらかと言えば俺の方が依存気味で、天音の方は見かけ上は俺にべったりだが、精神的には自立していた。

 何故なら天音には俺以外の人間関係もあったし、学校というコミュニティーもあったから。


 だけど今の天音はどうだろう?


 俺から唇を離し、ベッドで俺を締め上げる天音を見て思う。

 きっと学校でまた揉めたのだろうか?

 先生の話が本当だったとするならば、天音はもしかしたら誰かと心の距離が離れすぎて倒れたのではないだろうか?


 だから妙にここ最近スキンシップが激しい。

 俺に依存してしまっている証拠だ。


「それで、他の女の匂いがするのはなんでかな?」


 散々俺をベッドの上で締め上げた後、満足そうに俺を手放した天音が問いただす。

 俺は彼女の隣で正座中である。


「夢の中の話なんだけど……」


「ほぉ……そういう逃れ方をしてくるんだ」


 天音の表情がこわばった気がして、俺は焦って訂正する。


「違うから。最後まで話を聞いてくれ!」


 違うからと言いつつ、何も違わない。

 何故なら本当に夢の中で抱かれただけなのだから。

 でも抱いたのは未来の君だけどね?


「わかったわかった。話してよ」


 天音は今度こそ話を聞く姿勢になった。


「夢の中で例の死神に会ったよ」


 俺がそう切り出すと、天音は目を大きく見開いた。


「それってどんな格好だった?」


 天音が答え合わせをするように尋ねてくる。

 俺は見たまんま。

 ありのままの死神の姿を伝えた。


「……全く同じだ。記憶の中の死神と同じ。三か月前に演奏会で見た時と同じ」


 天音は腕を組んでブツブツと独り言のように繰り返す。


 しかしこれで確実になった。

 あの死神は天音が見た死神と同じ存在だ。


「死神といろいろ話したよ。彼女は後悔していた」


 俺はそのまま今朝の話を全て伝えた。

 死神が後悔していることも。

 未来の世界で俺が孤独になって死んでしまうことも。

 世界の呪いのこと。

 死神が俺から音楽の才能を奪ったせいで、その死が、世界の呪いがより早く発現してしまったことも。


「それじゃあ死神は真希人を助けようとして、結果的に悪化しちゃったってこと?」


 静かに聞いていた天音は、ただそう結論付ける。

 確かに客観的に聞いていればそうなる。

 いわゆる善意のお節介。

 死神が行動を起そうが、そのまま未来で俺の命を刈り取っていようが、結局俺が死ぬ未来は変わらない。

 現状のままではそうだろう。


 だけど俺は死神に、未来の天音に約束してしまった。

 絶対にこの俺、菅原真希人と早坂天音を救うと。

 どちらかしか生かせない選択はしないと。

 未来を変える。

 そう約束したのだ。


「まとめてしまうとそうなるな。だけどここでもう一つ最大級の秘密がある」


 俺は一度深呼吸をする。

 俺の様子を見て、天音は真剣な表情を浮かべる。


「演奏会の時、お前だけが死神を見ただろう?」


「うん……他の人に見えてたなら騒ぎになっているからね」


 天音は思い返すように答える。


「そう。答えから言うとさ、あの死神は未来の天音なんだ」


 俺の答えを聞いて天音は硬直する。

 固まってしまう。

 そりゃそうだ。

 まさか自分が未来で死神になっているなんて、信じたくもないし信じられない。


「死神の言い方的に、おそらく死神を見ることができるのは、その死神と深い関係にある人間だけなんじゃないかな? だから天音は演奏会の時に見ることができた」


 天音は半分思考停止してしまったのか、ゆっくりと頷く。


 数分間待ってから、俺は一度に説明をし始めた。

 その死神と接触した際に桜の香りがしたこと。

 その匂いと感触で天音かと問いかけたら、姿が変わり、やや大人びた天音が出てきたこと。


「そしてこのままだと天音も死んでしまう。今日倒れたのだってそれだ」


 俺は天音にもっとも言いたくないことを宣言する。

 半分死刑宣告のようなものだ。

 貴女は近い将来人間ではなくなる。

 記憶も自我もなく、ただただ命を奪う装置として生まれ変わる。

 そんな残酷な宣言をしなければならなかった。


 これからのために。

 そんな未来を回避するために。

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