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第十章 この先 3

「天音!」


 俺は息も絶え絶えに、勢いよく病室の扉を開ける。


「真希人!」


 帰ってきた返事は天音の声。

 しかし視界には二人いる。

 人が二人。

 俺も含めれば三人か。


 俺と天音と……死神?


「なんでここに……」


 俺は呼吸を整えながら尋ねた。

 今朝夢で会ったばかりだ。

 間違いない。

 いまここにいる死神は、俺を救おうとした死神。

 天音の未来。

 変えて消さなくてはならない未来。


「ここは夢の中。私の最後の我儘で二人にはこっちに来てもらったの」


 死神はそう微笑んだ。

 確かに寒くも暑くもない。

 俺が走れるということはそういうこと。


 ここが夢の中だからだろうか?

 さっきまでは無かった椅子が増えていて、そこに死神が座り、やや怯えた様子の天音がベッドに座っている。

 俺はトボトボと天音の横に座る。


「いま現実の俺と天音はどうしてる?」


 夢の中に引きずられたとはいっても、それは精神だけだろう。


「大丈夫よ。君たち二人はいま同じベッドで一緒に眠っているわ」


 死神は安心させるように教えてくれたが、全然大丈夫ではない。

 もしも途中で誰か来たらどうしてくれる。

 病院で盛り上がっていると思われるではないか。


「ま、まあ良いか。それより天音に何もしてないだろうな?」


 俺は一応警戒する。

 今朝の様子だと天音に危害を加えるとは思えないが、一応だ。


「やっぱりこの人だよ。私が演奏会で見た死神は」


 天音はそこまで驚きもせずに指摘する。

 彼女は一度本物を見ているだけあって、すんなり受け入れている。


「それにしても本当に桜の香りがするんだね」


 天音が呑気にそんな感想を述べる。

 確かにいまも桜の香りが漂っている。


「ええ、この香りは君たちの家の間に生えている桜の香りよ。きっとうつってしまったんだね」


 死神が答える。

 ちょっと説明になっていない気がするが。


「分かりにくかった? これは未来の真希人のベッド脇にずっと活けられていたんだ」


 そう言う彼女の顔は愛おしそうに微笑んでいた。

 今も俺の病室のベッドの横には、桜の木の枝が活けられている。

 この頃からずっとなんだな。

 あんまり桜の木の枝をお見舞いで持ってくる人はいないと思うが、これが天音のセンスだろう。


「でもそのお陰で、俺は君が天音だと気がついたんだ」


 俺と天音の家のあいだにそびえ立つ桜の木。

 種類はヤマザクラ……。


「ヤマザクラだよね」


 天音も俺と同じことを考えていたらしい。


「ヤマザクラの花言葉は”あなたに微笑む”。実に二人にお似合いの花言葉ね」


 死神はクスクスと笑う。

 反面、天音は顔を真っ赤にして俯いている。

 初めて死神が笑っているのを見た。

 過去の自分をからかうという遊びを覚えたらしい。


 しかしそうか。

 花言葉なんて気にもしていなかった。

 天音が照れているところを見ると、花言葉を知ってて持ってきていたようだ。


「良いから! 本題に入ろうよ!」


 天音は顔を真っ赤にしながら話題を変える。

 今の本題は確実に花言葉だったのだが、ここは大人しく従っておこう。


「それで、なんでまたこっちに引っ張りこんだんだ?」


 単純に疑問だ。

 今朝話したばっかりだというのに、一体何なのだろう。


「ちょっと我儘かなと思ったんだけど、最後にもう一度だけ会っておきたかったんだよね」


 死神は不穏な言葉を口にする。

 最後と言ったか?

 つまり死神はもう影の中にすらいられなくなってきたと?


「真希人の予想通りだよ。私はもうじき消える。その前にもう一度二人の顔を見ておきたかった。まあ天音の方は知っている顔だけどね」


 死神は最後とは思えない雰囲気で陽気に喋りだす。

 まるで失っていた時間を取り戻すかのようだった。


「そういえばここに引きずられる前に話していたことがあるじゃない?」


 天音が切り出す。

 そうだ未来の話。

 この先どうなるのかの仮定の話。

 この死神がこないルートを進んだ場合の未来。


「それもあって二人には来てもらったの。話はなんとなく聞いていたから、しっかりと自分の耳で聞きたいの」


 死神は覚悟の決まった顔で天音を見る。


「じゃあ私の考えというか想像なんだけど、貴女には耳の痛い話になるかもしれないけどそれでも聞く?」


 天音はそう前置きする。

 死神は黙ってうなずき、話の続きを促した。


「私の考えだと、貴女の勘違いなんじゃないかって思うの。というよりそういう可能性が無ければ、未来が絶望的なのよね」


 つまり今から天音が話す内容は、可能性の一つであると同時に希望的観測であり、それが死神にとってはあまり好ましくない話であるという。

 一体何だろうか?


「事実かもしれないけれど、実際は分からない話ってことか」


「そうよ」


 天音が答える。

 でもそれで良いと思う。

 どうせ未来のことなんて分かりやしないのだ。

 唯一知っているのはこの死神だけ。


 そこまで考えて思い当たった。

 天音が語ろうとしているもう一つの可能性。

 AルートでもBルートでもない、三番目のルート。

 このルートを進むことができれば、全てが丸く収まる。


 なるほどこれは希望的観測をだいぶ含んでいるうえに、死神にはあまり聞かせたくない話ではある。


「じゃあ教えてくれ天音」


 俺はそれらもろもろを覚悟のうえで、話を進めた。

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