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第十一章 勘違い 1

 話を促された天音は一度大きく深呼吸をする。

 今から語るのは理想だ。

 酷い現実だ。

 特に死神にとってみれば、酷い話に聞こえるだろう。


「いろいろ話しながら、いろいろ考えて到達したもう一つの可能性。死神が過去に干渉せずそのまま世界の呪いで死んでいく未来。死神が過去に干渉した結果、本来の未来よりも早くにその命を落とす未来。今まではこの二つのどちらかで考えていたし、実際私もそうに違いないと踏んでいた。だけどさっき気がついた。可能性はそれだけじゃないって」


 これはほとんどトリックのようなものだと思う。

 人間、提示された条件下で物事を考えて判断しようとしてしまう。

 それを鵜呑みにしてしまう。

 信じてしまう。

 そしてそれは実際に未来を見てきた死神にも当てはまる。

 死神は自分が実際に見た分、その罠に陥りやすい。


「そして私が見つけたもう一つの可能性、もう一つの未来。希望的観測も含めながらも、現実的にあり得ない話ではない未来。それはね……」


 天音はここで一瞬止まる。

 目を見開いて、一度だけ俺を見た。


 俺は無言のまま首を縦に振る。

 死神には申し訳ないが、この未来しかない。


「それは……死神が未来で見た衰弱している真希人が勘違いだったという未来」


「……か、勘違い?」


 流石に死神も狼狽える。

 自分の両手を見つめたまま声を震わせ、やがて口を開く。


「勘違いも何も、どっからどう見たって真希人は……」


「違うわ! そうじゃないの」


 死神の言葉を天音が遮る。


「貴女が見たベッドの上で横たわっている真希人は正しい。それ自体は何も間違っていないと思うし、実際に世界の呪いにかかっていたからこそ、死神である貴女が派遣されたのだろうからそこは正しい。だけど……」


 死神は説明を続ける天音を見つめる。

 何を言われるのか、皆目見当もつかない様子だ。


「だけど、貴女が弱っている真希人を見た未来が問題なの」


「未来が問題?」


 死神は意味が分からないと、首を何度も横に振る。


「ここで問題なのは、貴女が観測した真希人が一体どの未来の真希人なのかってこと」


 いよいよ天音の言いたいことが見えてくる。

 そうなのだ。

 死神は何も間違っていない。

 世界の呪いは発動していたし、その結果死神が呼ばれて俺と彼女は対面している。

 その未来は正しくてどこも間違っていない。

 だけど問題は、その未来がどの未来なのかということだけだ。


「私たちは思い込んでたの。貴女が見た未来の真希人の話が、貴女という死神が過去に干渉しなかった未来の結果だと、無意識にそう思いこんでいた」


 死神の言い分では、未来で死ぬ運命にある俺を見て、その運命を変えようと過去にやって来た。

 そして俺から音楽の才能を奪い、俺自身の生き方を変化させようとした。

 未来を変えようとした。

 しかし今朝夢の中で懺悔していたように、実際は上手くいかなかった。

 俺から音楽の才能を奪ったせいで、俺はより孤独を強め、死神が干渉する前の俺よりも早くに死を迎えるかもしれない。

 そう言っていた。


 確かに死神から見たらそう見えるのだろうし、そう考えるしかないのも分かる。


 だけどもしその前提が間違っていたとしたら?


 もしもその考え自体が、見たものの解釈が、すべて勘違いだったとしたら?


「つまり貴女が最初に見た真希人の姿が、すでに”死神が過去に干渉した結果”なのだとしたら?」


 天音が口にする第三の可能性。

 起きている状況自体は正しい。

 何も間違っていない。

 しかし、その見ている状態が一体どの結果の未来なのかは誰にも分からない。

 知りようがない。

 だからこれはあくまで可能性の話。

 俺と天音からしたら、未来に対して前向きになれる話だが、死神からしたら残酷な話だ。


 なにせ死神が、彼女が、何もしなければ”菅原真希人は死ぬことは無かった”のだから。

 これはそういう話だ。


「……う、嘘。そんなの信じられるわけ」


 死神は取り乱す。

 両手で頭を抱え、その美しい顔を歪ませる。


「だって私が見た未来が違ったら、そんな、でも……」


 死神はなんとか否定の材料を探すが、何も見つからないので焦る。

 だってこれはあくまで仮定の話。

 否定の材料なんて転がっているはずがない。


「だからあまり貴女の前では言いたくなかった。貴女の行動がまるっきり無駄なことだったなんて言いたくなかった。実際にそうかは分からない。確証はない。未来のことなんて誰にも分かりはしないから」


 天音は、狼狽える死神に言葉を投げかける。

 死神はそのまま床に突っ伏して涙を流す。


「それじゃあ、私のしたことって……。というよりも、私が真希人を殺したことになる。音楽の才能を奪うというもっとも残酷な殺し方。かつて好きだった人を死に追いやった。追いやってしまった……」


 彼女は大粒の涙を流しながら悲痛な胸の内を吐露したが、それ以上喋れなかった。

 言葉を失った。

 俺も天音も何も口に出さない。

 この場に響くのは死神の悲痛な号哭ごうこくだけ。


 俺はひたすら泣き叫び続ける死神の背中をさする。

 流石に可哀想に思えてくる。

 彼女は死に際の俺を見て、なんとかしようとした結果、いまこの場にいる。

 だけどそれ自体が間違いだった可能性が見つかってしまった。

 それも確率の高い可能性だ。


「……私が、真希人を……こ、ころし……」


「え?」


 掠れそうな死神の声に俺は聞き返す。

 しかし返事の代わりに、死神は自責の呪いを発し始めた……。


「私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が真希人を殺した……私が……」


 死神は壊れたカセットのように、同じ言葉を繰り返す。

 一言ごとに床を叩き、自分を傷つける。


「ごめんなさい」


 壊れたように繰り返す死神の言葉を遮ったのは、天音だった。

 天音も目尻に涙を浮かべながら、そっと死神を抱きしめる。


 ただそれだけ。

 天音は万感ばんかんの思いを込めて、ただその一言だけを、死神に手向たむけた。

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