ナシミは、まだ幼い華を背負い、戦火を掻き分けて都を目指していた。
華の正体が近隣の里の者たちに知られれば、危険な目に遭うかもしれない。
それを恐れたナシミは、彼女の名前を
そして、華が直ぐに十歳まで成長できるようにと妖術をかけた。
すると、華は大地を駆けるナシミの背中で、みるみるうちに成長していく。
そんな中、ナシミは、まるで天を駆けるかのように、軽やかに走り抜ける。
彼女のしなやかな体は、まるで風を切るかのように、滑らかに進んでいく。
戦の余韻が残る大地は、黒雲に覆われ、焦土と化していた。
しかし、そんな荒涼とした風景を抜けると、景色は一変する。
分厚い雲の隙間から、ところどころにキラキラと暖かな光の柱が差し込む。
まるで息を呑むような絶景がそこにはあった。
茜色の空からは神々の吐息のようなたなびく雲が浮かび、
それは深い霧となって常世の国へと続く道のように地上まで降り注ぐ。
翡翠色の山々が連なり、その間を清らかな流れが縫うように走る。
それはまるで、黄泉の国から現世へと続く命の循環を象徴しているかのように。
神聖な木々が鬱蒼と茂り、その葉が神々の囁きのように、そよ風に揺らめく。
鹿や猪などの動物たちは、神々の使いであるかのように、そこに静かに佇んでいた。
不思議なことにナシミの足音は、ほとんど聞こえなかった。
まるで、大地に吸い込まれるように、静かに、そして確実に、目的地へと向かって駆け抜けていく。
華は、ナシミの背中にしっかりとつかまり、この壮大な景色を目に焼き付ける。
彼女の小さな体は、ナシミの温もりに包まれ、恐怖心は薄れていく。
代わりに、この神秘的な光景への好奇心が、彼女の胸を満たしていく。
道は、どこまでも続いているように見える。
まるで、天に通じているかのように。
両側には、鬱蒼とした森が広が
り、所々で滝が流れ落ちている。
滝の水は、太陽の光を浴びて、きらきらと輝いている。
ナシミの背中で、華は、 そんな荘厳な大地の美しさに息を呑む。
幼い彼女の目に映る景色は、まるで絵巻物のようだった。
鳥のさえずり、川のせせらぎ、木々のざわめき。
様々な音が、華の耳に届いた。
自然の息吹が、彼女の心を癒していく。
時折、開けた場所に出ると、遠くまで景色を見渡せた。
山々が連なり、その間を縫うように、川が流れている。
田んぼや畑が広がり、人々が生活している様子も見られた。
華は、これらの美しい景色に、心を奪われる。
(世の中にはこんなに、広くて美しい場所も、あるんだ……)
彼女は、感動のあまり、言葉を失った。
ナシミは、そんな華の気持ちを察したのか、少しスピードを緩めると、華に話しかける。
「華、この景色はどう?」
「うん、すごく綺麗……」
華は、素直な気持ちを伝えた。
「でもね、いい、覚えていて?
この世界は、決して美しいだけではないの。厳しい自然の中で、動物や植物、人々が懸命に生きている証でもあるんだから」
ナシミは、静かに言った。
「そう……」
華は、ナシミの言葉に、深く頷いた。
彼女は、この旅を通して、様々なことを知った。
自然の美しさ、厳しさ、そして、人々の強さ。
それらは、華の心に、深く刻まれていく。
ナシミは、再び走り出した。
そんな彼女の背中は、力強く、そして、温かい。
華を優しく見守るナシミの存在は、彼女の心を優しく包み込んでいた。
二人は、言葉を超えた強い絆で結ばれ、
ナシミは、華を背に、未来への希望を抱く。
彼女の瞳には、まだ見ぬ世界への期待と、華を守り抜くという強い決意が宿っていた。
都に着くと、ナシミは華の母の遺言通り、役人の家を尋ねた。
「ふむふむ。そう言うことか。
よし、わかった」
ナシミは肩の力が抜け、安堵したかのような仕草をみせた。
しかし。
「お前達、この娘一人と猫一匹、檻にぶち込め」
「え、いいんですか?」
「いいから早くしろ!」
「は、はい。
こら、化け猫!お前も大人しく後を着いてこい!」
手紙を読んだ役人の答えは予想に反し、
華とナシミは檻へと監禁されてしまう。
「わぁぁああん、わぁぁああん!!」
「そこの小娘、さっきからうるせえぞ!」
「……グスン」
囚われた華は、育ての両親が亡くなったトラウマをその時になってじわじわと感じ初めていた。
そして、彼女はその時のショックから記憶喪失を患ってしまう。
「なあ、あの幼い娘、奴隷として売られるようだぜ?」
役人の使いの者達の世間話からその情報を察知したナシミは、
華に自分の妖力を使い、記憶を消し、深い眠りにつかせた。
そして、見張り役も眠りにつかせると、ナシミは再び華を背負い、華と出会った元の村へと戻っていく。
華と村に戻ったナシミ。
ナシミは人間の姿に変身し、華の姉として振る舞うことを選ぶ。
彼女は妖力を使って山の入口の洞穴を藁葺きの住居に見せかけ、そして、華と二人で静かに暮らすことにしたのだった。