目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第28話 ショックな知らせ

白い天井がゆっくりと視界に落ちてくる。


(ここは病院……?)


最後に見たのは、夕焼けに染まる商店街のアーケード。


「ハルちちゃんー!!」

遠くで親友アキの声がした気がした。

いつもの少し心配そうなトーンで。


直後、けたたましいクラクション、体が宙に浮いた感覚。


(ああ、事故に遭ったんだ)


"大丈夫ですか、ハルさん?"

優しい女性の声。看護師さんだ。心配そうな瞳がこちらを見つめている。

「どこか痛みますか?」


「いえ、大丈夫だと思います」

かすれた声は自分のものじゃないみたい。

体には不思議と痛みがない。奇跡的だと後で言われるかもしれない。


でも、看護師さんは少し眉をひそめた。

「何か……変な感じはしませんか?」


変な感じ?言われてみれば、頭の中がぼんやりと霧がかかったみたいだ。

事故のせいか、ただ眠いだけか、分からない。



数時間後、硬い表情の医者がMRIの画像を見せて告げた。

「原因不明の脳の病気です。ハルさんの場合、残念ですが、この数日以内に記憶を失ってしまう可能性が高いでしょう」


は?記憶を失う?

まるでSF映画だ。信じられない。昨日のことも、今日の朝ごはんも覚えているのに。


でも、医者の目は真剣だった。


冗談じゃない。大切な人たちの顔が次々と浮かぶ。


女手一つで育ててくれたお母さん。

喧嘩ばかりだけど、誰より心配してくれる。疲れて帰ると、温かい味噌汁が待っている。


生意気だけど優しい弟。

たまにあたしの好きな甘いものを買ってきてくれる。最近は頼りがいが出てきた。


親友アキ。

私の突飛な行動にハラハラしながらも、必ず味方でいてくれる。

「これ、ハルちゃんに似合いそう」

雑貨館で微笑んでくれる。


優しい笑顔の店長。

ドジなミスにも穏やかに

「次は気を付けてね」

忙しい時には、そっとお菓子をくれる。


子ども食堂のメメさん。

明るくパワフルで太陽みたい。美味しいご飯と笑顔の中心にいる。売れ残りのタオルを持っていくと、すごく喜んでくれる。

"ありがとう!"の声が元気の源だった。


そして……聡子主任。

思い出すと胸が痛む。厳しくて細かい注意ばかり。仕事の要領が悪い私にとって、天敵みたいな存在。

「ハル!また伝票の数字間違えてるじゃない!」

「いい加減にしてよね、本当に!」

主任の鋭い声が耳に残る。顔を合わせるたび、嫌味を言われた気がする。犬猿の仲だった。

でも一度だけ、私が大きなミスで落ち込んだ時、誰も見ていないところで、主任が温かい缶コーヒーを置いてくれた。

その時、厳しい顔の奥にある優しさに気づいた気がした。

もしかしたら、主任なりに心配してくれていたのかもしれない。不器用なだけ……。


これから、みんなの記憶を失ってしまうらしい。

全部、頭の中から消えてしまう。

まるで最初から存在しなかったみたいに。


そんなの、嫌だ!まだ、ちゃんと"ありがとう"を伝えられていない人がたくさんいるのに。


お母さんには、育ててくれた感謝を。

弟には、これからも頼りにしてるって。

アキには、いつも支えてくれてありがとうって。

店長には、もっと仕事ができるように頑張りますって。

メメさんには、いつまでも元気でいてくださいって。

そして……聡子主任には、あの時のお礼と、本当は感謝していたことを、ちゃんと伝えたい。


でも……、もう時間がないのかもしれない。明日、明後日には、みんなのことを忘れてしまうかもしれない。


病室の白い壁を見つめながら、押し寄せる悲しみに胸が締め付けられる。

大切な宝物を一つずつ、自分の手で手放していくような感覚。

どうか、せめてみんなの笑顔だけは、心の片隅に、ほんの少しだけでも残っていてほしい。


茜色の夕焼けが、もうすぐそこに迫っている気がした。

それは、あたしにとっての、記憶の終わりを告げる色なのかもしれない。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?