震える声が漏れた。その瞬間、車の運転手が慌てて降りてくる。
通行人たちも駆け寄り、誰かが救急車を呼ぶ声が遠くで聞こえた。
鈴はただ蘭の手を握った。
その小さな指先は、恐ろしいほど冷たかった。
「蘭、目を開けて……」
返事はない。
後悔は、鈴の心を無限の闇へと引きずり込んだ。
「私が……私があんなこと言わなければ——」
世界は残酷なほど静かで、病院のサイレンだけが虚しく響いていた。
病院の白い部屋
蘭は動かない。ベッドの上で静かに横たわり、息をしているのかどうかすらわからないほど弱々しい。心電図のリズミカルな音だけが、この部屋に生の証を刻んでいた。
鈴は蘭の手を握った。あの日、何気なく放った言葉——「あなたなんて、いなくなればいいのに」——。
まさか、こんな結果を招くとは思ってもみなかった。
後悔は、心を焼き尽くす炎のように広がり、鈴を蝕んでいった。
「蘭、お願いだから、目を覚まして…」
声は震えていた。どれほど謝っても、どれほど後悔しても、時間を巻き戻すことはできない。蘭の小さな手は、鈴の手の中でひどく冷たかった。
「蘭、聞こえてる?」
まるで返事を期待するかのように話しかける。しかし、蘭は答えない。ただ静かに眠るだけ。
ドアが開き、母が入ってきた。
彼女の目は真っ赤に腫れ、泣きすぎたせいで声すら出せない様子だった。
鈴の心臓が強く締めつけられた。
「鈴……」
母の声は震えていた。その瞬間、鈴は感じた——自分は家族を傷つけた。
蘭だけじゃない、母も、父も、みんなを……。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
鈴の頬に熱い涙がこぼれた。
「前にも一度申し上げましたが、
蘭さんはここ数日のうちに意識を取り戻すでしょう」
それは蘭の担当医の言葉だった。
母は震える声で問いただした。
「先生……蘭の記憶は……戻るんでしょうか?」
「残念ですが……蘭さんの記憶はもう……」
鈴は息を呑んだ。部屋の空気が凍りついたように感じられた。
担当医は苦しそうに眉を寄せ、慎重に言葉を選んで答えた。
「事故の衝撃による脳へのダメージが確認されていました。そこでご両親に同意頂き私が記憶交換施術を行いました。
蘭さんの意識は戻るかもしれませんが……今までの記憶が残っている可能性と、回復する可能性は、どちらも……ありません」
鈴の世界が、音を立てて崩れ落ちた。
「そんな……!」
心臓が痛いほど締めつけられた。
鈴は蘭の手を必死に握りしめたが、その小さな指先はまるで過去から切り離された存在のように、冷たかった。
「思い出せないってこと……?」
鈴の声は震えていた。後悔の炎が一層強く燃え上がる。
あんなひどい言葉を投げつけてしまったことも、蘭が涙を浮かべながら家を飛び出したことも——すべてなかったことになってしまうのか。
それが救いなのか、それともさらなる罰なのか——鈴には分からなかった。
病室の白い天井が、異常なほど遠くに感じられる。
蘭が——微かに、指を動かした。
その目が開かれた瞬間、鈴は蘭の瞳の中に何も映っていないことに気付いた。
「……誰?」
蘭の乾いた唇が動いた。その言葉は、鈴の胸を一瞬で切り裂いた。
蘭は、鈴を覚えていなかった——。
〔古代のアイテム〜砕かれた希望/振返り〕
蘭は記憶交換の施術を受けたことで、まるで別人のようになってしまった。
その変化に鈴は心を痛める。しかし、妹の体に妹の記憶を取り戻す手がかりとなるかもしれない古代のアイテムの存在を耳にする。
そのアイテムは、生体内の微弱な磁場や電気信号に干渉し、脳内のシナプスに作用することで、鈴たちの未来世界においても実現不可能だった——器となる脳自体の疾患に左右されることなく、人物の記憶の転送を可能にするとされていた。
鈴の胸に、一瞬の希望が灯る。
さらに調査を進めると、そのアイテムが「創造主」によって作り出されたアーティファクトのひとつであることが判明する。
鈴は蘭を連れ、タイムマシンで三畳紀へと向かう。しかし、創造主が生み出した「希望」にまつわるアーティファクトはすでに砕け、壊れていた。
満身創痍の鈴は絶望する。そして、気づく——蘭がいないことを……。