近づいてくる足音に、カムラはすっと身を起こした。手を軽く握ったまま、アミュリタの前に立つ。
「……誰か来る。隠れた方がいい」
「でも……」
「アミュリタ、ここはわたしに任せて」
その言葉にアミュリタは小さく頷き、石垣の陰に身を潜めた。
神殿の脇から現れたのは、アミュリタの父と見覚えのある数人の兵士達だった。
手には松明を持ち、鋭い眼差しで周囲を探っている。
「……娘は確かにこの辺に逃げたはずだ。
土人の小娘と共に」
その言葉に、アミュリタの心臓が跳ねる。
カムラの存在を知られてしまった……その事実が、全身を凍らせた。
「もう行け、アミュリタ」
声をひそめて、カムラが振り返る。
けれど、その顔はひどく穏やかだった。
「あたしが騒ぎを引きつける。アミュリタだけは、絶対に――」
「だめ……!」
衝動のまま、アミュリタは石垣から飛び出していた。
震える手でカムラの腕をつかみ、強く引き寄せる。
「私、カムラちゃん一人を犠牲にして逃げるなんて、できない……!」
カムラの瞳が見開かれる。けれどすぐに細められ、ふっと笑った。
「……まいったな。アミュリタにそんな顔されると、逃げらんないじゃんか」
そのとき、松明の灯りがこちらに向いた。怒号が飛び交う。
「アミュリタ様がいたぞ!」
「そこの土人、その穢らわしい手を離せ!」
バラモンたちが駆け寄ってくる。
足音が土を蹴り、夜を切り裂く。
カムラはアミュリタの手を取ったまま、静かに言った。
「アミュリタ。逃げるのは、お前だけでいい」
「……いいえ。私は、カムラちゃん、あなたと逃げる」
言い切ったその声は、小さくても確かだった。アミュリタの眼差しが、迷いも恐れも越えて、ただカムラを見ていた。
カムラが何か言いかけたとき、その手は無理やり引きはがされていた。
「おや?貴様は今朝の土人の小娘だな?
体に鞭の怖さを刻み込んでも懲りずに娘をたぶらかすとは、いい度胸だな」
「くっ、放せよっ!」
怒鳴るカムラの声。
混乱のなか、アミュリタは父の腕に捕らえられ、叫びを押し殺しながら振り返る。
カムラが遠ざかる。兵士に引きずられるように連行されていくその姿に、アミュリタはただ叫んだ。
「カムラちゃん……!」
その声は風に消えた。
彼女の想いが届いたのかどうか、それを知る術はなかった。
けれどその夜、誰にも聞こえないところで――
カムラはぽつりと呟いた。
「あたしだって、アミュリタが必要なんだよ……」