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第74話 羽毛恐竜と川の向こう〔陽翔視点〕①

〔陽翔の回想〕


実はボク竜崎陽翔は、この古石町にもっと幼い頃にも一度、父の長期出張に着いて来たことがあった。


そして……、あれは確か父の休みの日のことだったと思う。

ボクは父とはぐれてしまい、この町の奥にある深い森に迷い込んだ。


森の空気は湿っていて、ボクのTシャツにじっとりまとわりつく。

鳥の声も、虫の羽音も、なぜか遠くに感じた。


(あれ?……さっき通ったはずの道、どこ?)


リュックを前に抱えるようにして、背中の汗をぬぐった。

当てもなく歩き回っているうちに、気づけば景色はまるで違っていた。


枝葉が生い茂り、陽の光もほとんど届かない。


森の奥、ひとりきり。


不安が背筋を這い上がってくる。

心臓の鼓動ばかりが、やけに大きく響いていた。


「ねえ……だ、誰か……いないの……!?」


声を張り上げると、返ってきたのはボク自身の声の反響だけ。


ひとつ、大きく息を吸い込んで、歩き出そうとした、そのとき――

足元がぬかるみに取られて、思わず転んだ。


「わっ、ぐっ……!」


膝から地面に崩れ落ちて、泥が顔や腕にべったりつく。

膝に走ったジンとした痛みに顔をしかめて見下ろすと、薄皮が剥けて、血がにじんでいた。


(……最悪だ)


目尻に溜まりかけた涙をぬぐおうとしたとき、背後の茂みがふいにカサリと揺れた。


ボクはそれにびくりと体を強張らせる。


(まさか、肉食……?)


ボクは息を殺してそっと振り返る。

すると、そこにいたのは、ボクの想像を裏切るような姿だった。


体長は犬くらいだろうか?

ふさふさとした淡い青みがかった羽毛に覆われていて、くるくると動く瞳がまっすぐボクを見つめていた。


(……恐竜?でも、小さい。子ども……?)


ボクが恐る恐る立ち上がろうとした瞬間、

その小さな恐竜は一歩だけ前に出てきた。


「え……あ、こんにちは」


他は思わず声をかける。

すると、恐竜は片足を上げて、小さく首を傾げた。

その仕草はまるで犬か猫みたいで、ボクは少しだけ緊張がほぐれた。


「まさか、ボクに道案内とか……してくれたりは……しないよね?

まさかね……ごめん」


ボクがそう言うと、恐竜はくるりと背を向けて、しっぽをふわりと揺らしながら森の奥へ進んでいった。


「あ……ちょ、ちょっと待ってよ!」


ボクは慌てて立ち上がり、恐竜のあとを追い始めた。


そのまま森を進んでいくと、ボク達は小川にたどり着いた。

水は冷たそうで透明だったけど、胸元くらいの深さがありそうで、渡るのは危険だった。


「これ、どうすれば……」


ボクが唇を噛んで先の一歩を踏み出せないでいると、その恐竜――ボクは勝手に"もふ助"と心の中で呼ぶことにした――が周囲をきょろきょろと見回し、川の上流へと走っていった。


ボクがその後を追いかけると、そこには川をまたぐように倒れた太い倒木があって、もふ助がそのそばで短く鳴いた。


(え、倒木これを橋にしてボクに川を渡れって……、そういうこと?)


すると……。

「ピィー!」

もふ助はもう一度短く鳴いた。


倒木の足場はかなり滑りやすくて、バランスを崩しそうになりながらも、もふ助の動きを真似てなんとか川を渡りきった。


着地の瞬間、思わず叫んだ。


「よっしゃあ……! やった!」


もふ助が「ピッー!!」と鳴いて、しっぽを一振りする。

その仕草が"頑張ったね"って言ってくれてるようで、ボクは少し照れながら笑った。



ボク達がそのまましばらく進んでいくと、赤くて小さな木の実がたくさんなっている場所に出た。


もふ助が木の実を一粒くわえて食べたあと、まるで{うまいぞ}とでも言いたげにボクの方に差し出してくる。


「ん? これ、ボクが食べても大丈夫なの?」


ボクはもふ助に促されるままに、

おそるおそる一粒つまんで口に入れる。


「……すっぱ! けど、なんか元気出る味だな」


ふたりで腰を下ろして、ぽつぽつと実を食べる時間がしばらく続いた。

昼間の暑さや、緊張と不安で疲れ切っていた身体に、甘酸っぱさがじんわりと染みていく。


「……ありがとう、もふ助」


そうつぶやいたら、もふ助はコテンとボクの膝に頭を預けてきた。


(こんなに近くで、恐竜と……)


"恐竜=怖い"っていうイメージが、少しずつ溶けていくのを感じた。


この小さな冒険が、ボクの世界の見え方を変える一歩になるなんて、このときはまだ、思ってもいなかった。



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