静まり返った町の夜。
軒下の風鈴が、かすかに揺れた。
もふ助の母親から自分の父に連絡をとってもらった陽翔は、蓮姫と共に彼の家に一泊泊めて貰えることになった。
しかし、陽翔は寝つけないまま、ひんやりとした夜の空気を求めて、もふ助の家を抜け出していた。
自販機に行くつもりだったのに、気づけば足は自宅へ向かっていた。
そっと門をくぐり、縁側の先にふと視線を向ける。
そこにいたのは――月明かりに照らされた蓮姫。
長く柔らかな紅髪が、さらさらと夜風に揺れ、その横顔には、どこか物思いにふけったような静けさがあった。
「眠れないのか?」
彼女は、こちらを見ずにぽつりと呟いた。
陽翔は驚きながらも、縁側に腰を下ろす。
「うん……お姉ちゃんこそ、何してるの?」
「空を見ていた……」
それだけのそっけない返事。
しかし、その瞳はどこか寂しげで、人知れず何か――“異質さ”を宿していた。
――けれど。
蓮姫はふと、小さな紙包みから何かを取り出した。淡い色をした小さな粒、金平糖だった。
「これ……なんだ?」
「金平糖だね。それ、甘いよね」
蓮姫が差し出すと、陽翔はそれをひとつ、ゆっくりと口に運ぶ。
そして、小さなカリリという音が夜の静寂を破った。
「……これ、悪くないね」
その一言。そして――小さく、でも陽翔は確かに、いま笑った。
その笑みは、不意に胸を締めつけるほどやわらかくて、蓮姫は一瞬、息をのんだ。
(……いまのお姉ちゃんの顔、
あ、でもこれ言うとお姉ちゃん絶対怒りそう)
その一瞬、陽翔の中で"蓮姫"という存在が、ただの異界の客人ではなくなった。
「なんか、こうしてると……本当に、ふつうの夏の夜って感じがするね」
「そうか?」
「うん。ボクさ……こんなふうに、誰かと並んで夜空見るの、初めてな気がするんだ」
蓮姫は少しだけ首を傾げた。
「私はずっと、空の向こうばかり見ていたんだ。
帰るべき場所のことばかり。でも……いまは」
彼女は小さく、もう一粒、金平糖を口に入れる。
「……この時間も、悪くない」
夜の風が、ふたりの間をやさしくなぞっていく。
そして蓮姫は、この静かなひとときが、もうすぐ終わりを迎えることを知っていた。
(きっと――この大切な記憶ごと、なくなってしまうのかもしれない)
だからせめて今夜だけは。
「お姉ちゃん、……ありがとね」
月明かりが照らすふたりの影が、ゆっくりと寄り添っていった。