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第79話 夜の縁側と金平糖

静まり返った町の夜。

軒下の風鈴が、かすかに揺れた。


もふ助の母親から自分の父に連絡をとってもらった陽翔は、蓮姫と共に彼の家に一泊泊めて貰えることになった。


しかし、陽翔は寝つけないまま、ひんやりとした夜の空気を求めて、もふ助の家を抜け出していた。

自販機に行くつもりだったのに、気づけば足は自宅へ向かっていた。


そっと門をくぐり、縁側の先にふと視線を向ける。


そこにいたのは――月明かりに照らされた蓮姫。


長く柔らかな紅髪が、さらさらと夜風に揺れ、その横顔には、どこか物思いにふけったような静けさがあった。


「眠れないのか?」


彼女は、こちらを見ずにぽつりと呟いた。


陽翔は驚きながらも、縁側に腰を下ろす。


「うん……お姉ちゃんこそ、何してるの?」


「空を見ていた……」


それだけのそっけない返事。

しかし、その瞳はどこか寂しげで、人知れず何か――“異質さ”を宿していた。


――けれど。


蓮姫はふと、小さな紙包みから何かを取り出した。淡い色をした小さな粒、金平糖だった。


「これ……なんだ?」


「金平糖だね。それ、甘いよね」


蓮姫が差し出すと、陽翔はそれをひとつ、ゆっくりと口に運ぶ。

そして、小さなカリリという音が夜の静寂を破った。


「……これ、悪くないね」


その一言。そして――小さく、でも陽翔は確かに、いま笑った。


その笑みは、不意に胸を締めつけるほどやわらかくて、蓮姫は一瞬、息をのんだ。


(……いまのお姉ちゃんの顔、じゃない。

あ、でもこれ言うとお姉ちゃん絶対怒りそう)


その一瞬、陽翔の中で"蓮姫"という存在が、ただの異界の客人ではなくなった。


「なんか、こうしてると……本当に、ふつうの夏の夜って感じがするね」


「そうか?」


「うん。ボクさ……こんなふうに、誰かと並んで夜空見るの、初めてな気がするんだ」


蓮姫は少しだけ首を傾げた。


「私はずっと、空の向こうばかり見ていたんだ。

帰るべき場所のことばかり。でも……いまは」


彼女は小さく、もう一粒、金平糖を口に入れる。


「……この時間も、悪くない」


夜の風が、ふたりの間をやさしくなぞっていく。



そして蓮姫は、この静かなひとときが、もうすぐ終わりを迎えることを知っていた。


(きっと――この大切な記憶ごと、なくなってしまうのかもしれない)


だからせめて今夜だけは。


「お姉ちゃん、……ありがとね」


月明かりが照らすふたりの影が、ゆっくりと寄り添っていった。




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