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戦の前には絆あり6

徐庶じょしょ様、大変お世話になりました」


孔明の屋敷、客間にて、月英は無事に帰宅できたと頭を下げた。


それを見て、孔明も、慌て友へ頭を下げる。


「いやいや、奥方、何も、そこまで……」


恐縮する徐庶へ、


「こうしないと、旦那様は、いつ、頭を下げるのかが、わかりませんのでね、手本です」


と、月英が言い切る。その様に、ははは、と、徐庶は笑った。


「違いない、孔明には、見せなきゃ、わからん、ですものな!」


「あら、孔明って?」


「あっ!黄夫人、今日から、私は、孔明なのです。と、いうことになったようでして」


モゴモゴ言う孔明に代わり、事情を徐庶が、手短に語った。


「あらー、やだ、まだ、野人がのさばってるってこと?!徐庶様?他に文官たる方々は?」


あー、まあー、いるには、いますが、やはり……と、問われた徐庶の口ぶりは重い。


「うーん、とにかく、うちの、孔明の、立場をハッキリさせなきゃいけないわけね。野人って、なかなか、手強いですわねー」


「はあ、奥方、何しろ、劉備様と、義兄弟だと、鼻高々、そこへ、孔明が、あらわれたのですから……」


「じゃー、私も、義兄弟ということなのかい?」


と、孔明が、言う。


「これは、明後日の方角から、なのか、それとも、冗談なのか?奥方、どちらで?」


「さあ、知りませんよ、そんなこと。言ってみただけでしょう。それよりも」と、月英は、やおら、孔明の懐に手を突っ込んだ。


「や、や、や、ちょっ、黄夫人、そ、そのようなことは、寝室で……」


頬を赤らめ、孔明は、身を揺らす。


「まったく、何、言ってんですか、明後日出直して来なさいな」


夫婦のやり取りに、ぶっと、徐庶は、噴き出した。


「もう、遅いですから、お泊まりくださいと、言うべきでしょうが、徐庶様は、母上様がお待ちですから、お帰りになるでしょう?ですから、こちらを。今日のお礼です」


孔明の懐から、抜き出した巾着を、月英が差し出した。


「あー、私の、金子がっ!」


孔明が、小遣いがなくなったと、大騒ぎする横で、


「少ないですが、これで、母上様に、何か、美味しい物を。今、お包みできれば良いのですが、うちの侍女達も、休んでいることでしょうし。もう!本当に、街の子は、使い勝手が悪すぎてっ!」


銭の入った巾着を、徐庶に握らせながら、月英も、どこか、自分達の居場所がないと、愚痴った。


「うむ、どちらも、困ったことで、しかし!」


握らされた巾着は、結構な重みがあった。


「奥方、これは、いけません!」


「いいんですよ、どうせ、諸葛家の資産なんですから」


へっ?!


諸葛家の?!


屋敷に、使用人に、あらゆる物を、一式ぼんと、くれてやるとばかりに用意した、黄家の財産の端くれではないのかと、徐庶は、唖然とした。孔明の財産ならば、なおのこと、受けとることは出来ない。


あの、小さな庵のような家で、畑を耕して作ったものを料理していた、質素な暮らしぶりが、徐庶の脳裏に浮かんでいた。


「あー、諸葛家も、戦火で一家離散がなければ、元いた土地では、かなりの名士の家。贅沢さえしなければ、遊んで暮らせる立場なのです。ご兄弟は、他国に仕官され、上位の位についておられますし、妹様は、有力名士の家へ嫁がれておられますし……」


じゃあ、孔明の、この、性格は、いわゆる、お坊ちゃん気質というやつで、晴耕雨読の生活は、単に、金持ちの道楽だった訳なのか?!


思えば、友と言いながら、お互いのことは、何も知らなかった。


月英の告白に、徐庶は、弟と手を取りあって、地味に暮らしていた、あれは、なんだったのかと、叫びそうになっている。


「あら、徐庶様、御存じなかったのですか?名士界では、基本のき、ですよ?」


んなもん、知るかっ、こっちは、後ろ指を指される、単家の出。勢力がない貧しい家の出身が、そんな、基本に、触れることなどありえぬわっ!!


ふふふ、と、月英は笑っていた。


あー、こちらの胸の内は、お見通しか、と、徐庶は、すぐに割りきった。


「なるほど、孔明の銭なら、遠慮なく頂いておきましょう。まあー、どれだけ、人に迷惑をかけたことやら」


「ええ、そうでしょうねぇ、これからも、遠慮なくどうぞ」


月英は言うが、ちょっ、ちょっと、と、孔明は、少ない財産なんですよーと、涙目になっていた。


「しかし!旦那様!いざという時に助けてくれる、友が、一番の財産でしょう!多少の出費は、覚悟なさいませ!無くなれば、黄家が、動きます!」


「ですね、友は、大切です。でも、銭も大切ですけど、黄夫人が、そうおっしゃるなら」


うん、と、孔明は、納得している。


しかしだぞ。


と、徐庶は、思う。


結局、孔明は、奥方経由で黄家に頼るつもりではないか。


こりゃー、甘えた考えに、渇を入れてやらねばならん。こいつとは、一生の付き合いになりそうだ。


まったくもって、と、思いつつも、その将来が、徐庶には、楽しみに思えたのだった。


しかし、まさか、敵味方の仲になる運命が待ち受けているとは、この時は、誰も予想できなかった。

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