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第56話 転生勇者の堕落

 養田 羽斗。

 およそ10年前に女神である私が異世界ゼーレに転生させた勇者だ。

 前世のヨウダは16歳の高校生であり、友人達の悪ふざけで川に突き落とされたという不遇の事故死だった。

 厨二病もあってラノベに精通し、適応能力が高かった筈だ。


 私も導きの女神として最初の頃であり、人格の備考欄を確認せず才覚だけでヨウダを選抜し異世界ゼーレに導いてしまった。

 けど、その頃のヨウダは素直さと純粋さはあったと思う。

 事故を招いた友人達に恨むことなく、寧ろ「ラノベ通りでわくわくすっぞ!」と魔王討伐に躍起になっていた。


 それが勇者の使命を果たさないどころか、人身売買組織『黒き自主独立団ブラック・フリーダム』に属しているなんて……。


「ユリ! 下がっていろ!」


 アスムが私の前に立ち、出刃包丁を振るって何かを弾いた。

 床に突き刺さるそれは棒状の六角手裏剣だ。


「武器を変えても同じだぞ、エルミア! お前の投撃技術は全て見極めている!」


 アスムは固有スキル〈調理材料の慧眼イングレディエント・キーンアイ〉で、暗殺者アサシンエルフの攻撃を封じている。

 だが決して「超よゆー」とかではなく、相応のダメージを受けた上での成果だ。

 現に彼の顔から上半身にかけて、ケバブのことを考えながら斬られた裂傷が幾つもある。


 しかしアスムも見極めたと言う割には反撃に転じようとしない。

 何か考えがあるのだろうか?


「エルミア! 早く奴らを殺せぇぇぇ! これは『命令』だぞぉぉぉ!!!」


 ヨウダは離れた場所で殺意を込めて指示する。

 すると、エルミアは左胸を押えて屈み出した。


「う、ぐぅ……わ、わかりました、ご主人様!」


 頭巾を被っているのでわかりにくいが、何か苦しそうだ。

それでもエルミアは忍者刀を掲げて床を蹴り突撃する。


「――そういうことか、下衆め!」


 アスムは何かに気づくも迎撃体勢で出刃包丁を構えた。

 加速するエルミアは懐に手を忍ばせる。


「勇者殿ッ、全ての投撃を見極められたと申しましたなぁ! ならばこれを防げますか!?」


 それは指先の遠心力で高速に回転する鋼鉄の円盤。

 掌サイズで外側に刃が取り付けられた円月輪チャクラムだ。

 さらに円盤の上に疾風を纏う半透明の小さな妖精が現れる。


「風の精霊ウェンティか!?」


「左様、これまでとは異なる攻撃! 絶対に躱せません――!」


 エルミアが指先から円月輪チャクラムを放った。

円弧を描くそれは独特の軌道を見せてアスムへと迫っていく。


「厄介だが見えるぞ!」


 アスムは既に見切っている。

 円盤の攻撃を包丁の刃で見事に弾き飛ばした。


 が、その瞬間、私は自分の目を疑う。

 なんと円月輪チャクラムに宿る『風の精霊ウェンティ』が疾風の力で進路を変え、物理的にあり得ない方向へと飛燕したのだ。


「――うぐぅ!」


 アスムの背中から鮮血が吹き出した。

 円月輪チャクラムが深々と突き刺さっている。

 この暗殺者アサシンエルフ、引き出しが多いと自負するだけあって強いわ!


「ア、アスム!」


「近づくな、ユリ!」


 アスムは力強く言い放ち、間合いに入ったエルミアと激しく打ち合った。

 しかし力を込める度に背中の傷から出血が溢れ出ている。

 は、早く止血しないと傷が広がってしまうわ!

 そう判断し、私は一歩踏み出そうとする。


「来るなと言っている! 俺は大丈夫だ!」


「で、でも!」


「急所は外してある……それにもう見極めた。二度、俺に同じ攻撃は通じない」


「その傷で、まだほざきますか!? もう同じ攻撃はいたしませんよ! 次こそ本当の終わりです!」


 エルミアは忍者刀を押し込み、その勢いを利用して後方へと飛び距離を置いた。


 一方のアスムは体勢を崩してしまい、片膝を床につけている。

 さっきまで剣圧で勝っていたのに、背中に深手を負ったことで力負けしているの?

 けどアスムは取り乱すことなく至極冷静だった。


「……エルミア。お前は俺を殺すつもりはない。いや最初から誰一人殺すつもりはなかったのだろ?」


「な、何だと!? 何を言っているのです!」


「だから役人達も重傷のみであり、決して命を奪うことはなかった……そうだろ?」


「……時間稼ぎですか? その手には乗りませんよ」


「俺にはわかる。お前はヨウダに無理矢理に従わされているのだと――」


 瞬間、アスムの姿が消えた。

 気がつくとエルミアの背後に立っている。


「なっ、速い!?」


「とりあえず眠ってくれ」


 アスムはこめかみに向けて強烈な掌打を浴びせた。

 激しく脳を揺らされ白目を向く、エルミア。

 そのまま両膝が崩れ倒れ込み意識を失う。


「エ、エルミア! バカな!?」


「軽い脳震盪だ。それより『養田 羽斗』と言ったな? お前、彼女に何をした?」


「くっ! テメェ、勝った気になってんじゃねーぞ!」


 ヨウダは形相を歪め、再び指をパチンと鳴らした。


 刹那


 ドゴォォォォ――!


 激流の如き破壊エネルギーが押し寄せ、壁や窓ガラスごと粉砕する。

 攻撃の射線上にはアスムと意識を失ったエルミアがいた。


「仲間もろともか!?」


 アスムは瞬時に気を失ったエルミアを抱きかかえて、バックステップで回避した。

 気づけばヨウダの姿が消えている。


「――そいつはもう不要だ! 好きにしろ!」


 陥没した外側から、ヨウダの声が聞こえた。


 目を向けると奴は浮遊する魔法術士ソーサラーらしい少女に抱きついている。

 紫色の長い髪を靡かせ、まだ幼さを残した綺麗な顔立ちをした美少女だ。

 ゆったりとした魔道服を纏い、手には魔杖を掲げて先端部をこちらに向けている。

 今の攻撃は、この少女から放たれたようだ。


「勝手にしろとはどういう意味だ?」


 アスムの問いに、ヨウダはニヤリとほくそ笑む。


「どうせ目が覚めたら死ぬ。あばよ!」


 ヨウダと魔法術士ソーサラーの少女は夜陰に溶け込み消えてしまった。


「フン、逃がすわけないだろ! ニャンキー、何処にいる!?」


「ここにいるニャア!」


 ふと声がしたかと思ったら、反対側のカーテンの中に隠れていた。

 どうりで戦闘が始まった途端、ずっと姿を見せなかったと思ったら……この猫、自分だけ避難していたのね。

 そういえば憶病者キャラだってことすっかり忘れていたわ。


「お前の〈偽装誘引フォルス〉で、しばらく逃げたヨウダと少女を撹乱してくれ!」


「わかったニャア――〈偽装誘引フォルス〉!」


 ニャンキーは固有スキルを発動する。

 すると全身の体毛から複数のゼンマイ仕掛けの鼠が出現し、一斉に瓦礫を伝って外へと飛び出して行った。


「対象者は一時間ほどあの鼠を追うことなるニャア!」


 それが強制的に対象者を誘導させる〈偽装誘引フォルス〉の能力だ。

 話には聞いていたけど初めて見たわ……臆病だからこそ備わった万能スキルね。

 アスムが強引に勇者パーティを解散させても、ニャンキーだけは必要とした理由が頷ける。


「イルグ班長、部下達と共にあの鼠を追ってくれ。その先にヨウダがいる」


「わ、わかった……(す、凄すぎて何が起きたのか、さっぱり理解できん)」


「だが奴らを追い詰めても極力戦闘は避けてくれ。奴らに勝てるのは同じ勇者である俺だけだ。こちらも野暮用を終わらせてから、すぐに駆けつける」


「お、おう、任せておけ……」


 イルグは状況が飲み込めないまま、合流した二班の部下と冒険者達に子供達の保護及び負傷した者と捕えたモートス達の搬送を指示する。

 結果、追跡できる人数がイルグを含めてわずか5名程度となった。


「追い込むには数が少ない……念のためニャンキーとラティは、イルグ班長と行動を共にしてくれ。可能な限り戦闘は控えるようにしろよ」


「わかったニャア」


「うむ。妾に任せろ、アスムよ」


 ニャンキーとラティの二人はイルグ達と共に宴会場を出て行った。


「これで時間が稼げる。あとは、このエルミアのことだが……」


「それよりアスム、すぐに傷の手当をするわ」


「いやユリ、俺はまだいい。それより頼みがある」


「なぁに?」


「――彼女がヨウダに掛けられた『何か』を調べてほしい」


 思わぬアスムのお願いに、私は「え!?」と驚く。


「……それってエルミアがヨウダに操られていたってこと?」


「ああ、だが自分の意志はあった……でなければ、俺を含め今頃は死者が大勢いた筈だ。きっと呪術のような力で従わせられたのだろう。おそらくヨウダの固有スキルだと思う」


 どうやらアスムは戦闘しながら〈調理材料の慧眼イングレディエント・キーンアイ〉で、そう見極めていたようだ。

 だからずっと反撃せず防御に撤していたのね。


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