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横浜馬車道銃撃事件

「姉を捜して欲しいのです」

 ここは横浜の馬車道にある古田探偵事務所である。この探偵事務所は古くからここにあるらしく、部屋は雑然としてどこかカビ臭く、装飾なのかただ錆びついているのか判然としないオブジェがあちらこちらにまるで正気を失った踊り子のように無造作に飾られていた。

 柱時計は創業以来の年代物らしいが、一応は正確な時間を刻んでいるように見受けられた。

 古田はこれまた西洋の魔女が愛用しているかのような古めかしい長椅子に腰掛けて、依頼人の岩崎園子いわさきそのこから今までの経緯の説明に耳を傾けていた。若いころはさぞかし美人だったのであろう。園子は年の頃なら三十路を遠に過ぎて今や円熟味を帯びた妙齢ななのであった。

「それで、ようするに今回のご依頼というのはお姉さんの消息捜しということですね」

「はい。姉とはいいましても、父親違いの姉なのです。姉は私生児でしたので」

「といいますと・・・・・・あなたの父親が誰かわからないということですか?」

「その通りです。その件について母は何も話そうとはしませんので」

「お母さまは今ご健在なのですか?」

「ガンで闘病中です。母は今でも姉のことが気掛かりでならないのです」

「お姉さんとはどういう経緯で別々に暮らすようになったのです?」

「当時、母の生活は貧しかったそうです。母は北海道に移民として労働派遣されることになりました。あの頃の移民の生活はそれは厳しかったのだそうです。それゆえにまだ三歳だった姉を連れてゆくのを断念したのだと聞いています。わたしは母が北海道の移民時代に生まれた子供です。ですから姉とは一度も面識がありません」

「そうしますと、お姉さんは当時どこかへ預けられたのでしょうね」

 園子は頷いた。

「アメリカ人の宣教師夫婦の養女になったと聞いています」

「その宣教師さんのお名前は?」

「ジャクソンさんといいます。ですが、すでにその教会は閉鎖になり、ジャクソン夫妻もアメリカに帰国なされたそうです」

「それじゃあ、お姉さんも一緒にアメリカに渡ったのではありませんか?」

 吉田は脚を組み替えた。

「ところが、そうではないのです。姉はジャクソン夫妻が帰国する前に孤児院に預けられたという噂がありますし、良からぬ人間に売り渡されてしまったというひともおります」

「それはつまり人身売買?」

「あくまでも噂ですが」

「それでお姉さんのお名前は」

喜美子きみこといいます。今は旧姓の小野と名乗っているのかもしれません」

「そうですか。それで、彼女の最後の足取りの手がかりになるようなものは何かございますか?」

「この付近・・・・・・」園子は窓から見える表通りに目を移す。「横浜馬車道で見かけたと、風の噂で聞いたものですから」

「なるほど、それでわたしの事務所をお訪ねになられたという訳ですね」

「はい」

「ちなみにお姉さんを捜し出してどうなさるおつもりですか?」

「母が亡くなるまでに一度会わせてあげたいのです。その後はわたしたち姉妹で生きて行こうと思います」

「わかりました。では岩崎さんの連絡先を教えてください」


※※※※※※


 古田は精力的に働き、調査は順調に進んだ。

 その日の馬車道は天候に恵まれていた。休日なので大通りは歩行者天国となり、観光客で賑わっている。古田は園子に報告するため、待ち合わせの場所に向かっているところであった。

 そのとき突然古田の背後で銃声が轟いた。振り返ると老婆がひとり倒れている。状況からして路上でアイスクリームを売っていた販売員のようだ。

「どうしました!」

 古田は駆け寄り、老婆を抱き寄せて傷の有無を調べた。胸に銃痕があった。老婆の手には拳銃が握られていた。とりあえずハンカチで止血し、野次馬に向かって救急車を要請した。そのとき背後から声がした。

「ダイジョウブデスカ?」

 外国人の老人が古田の隣にしゃがみこんだ。男性の背後で屈強な体格の外国人のふたりが、あたりを睥睨へいげいしている。

「お知り合いですか?」

 古田は老人を見た。

「タブン。シッテイル」

 警察と救急隊が遠くから駆けつけ来るのが見えた。


※※※※※※


 馬車道警察署の会議室に、園子とアメリカ人、それに古田がテーブルを挟んで座っていた。会議室のドアの外には、体格のいい外国人が2人、神社の置物のように直立不動で立っている。

「岩崎さん。残念ですが、あまり良い報告はできないようです」

 園子は黙って頷いた。

「こちらのアメリカ人は政府の要人の方だそうです。もっともその昔は宣教師をしていたそうですがね」

 園子はハッと息を飲んだ。

「ハジメマシテ。ジャクソントモウシマス」

 老人は頭を下げた。お辞儀をすると頭頂部の金髪が薄くなっているのがよく分かった。

「あなたが・・・・・・姉の・・・・・・」

 園子は何と言っていいのか分からなかった。

「岩崎さん。まずお姉さんの消息をお伝えします。彼女は9歳のときにお亡くなりになっていました。結核だったそうです」

「そうですか・・・・・・」

「ジャクソンご夫妻がアメリカに帰国することになった時には、すでにお姉さんは結核に冒されていたのだそうです。それで長い船旅は不可能でしたので、やむなく教会の孤児院へ預けられたというのが真相です」

「ゴメンナサイ」

 アメリカ人はふたたび頭を下げた。

「ジャクソンさんが今回日本に来られたのも、お姉さんのお墓に花を手向けたかったからだそうです」

「それなのに、なぜ母はあんなことを」

「たぶんわが子を売られたと勘違いして、ジャクソンさんに復讐しようと考えたのでしょう。探偵仲間による情報だと、お母さまはジャクソンさんの来日に関する情報をかなり前から入手していたようです」

「病院を抜け出してまでやることでしょうか?」

「以前から計画していたようです。でなければ拳銃など用意できないはずですからね」

「それにしてもどうして母はアイスクリーム屋なんかに変装していたのですか?」

「誰にも怪しまれないようにジャクソンさんに近づくためだったのでしょう」

 その時ドアが開いて、目つきの悪い中年の刑事が入ってきた。

「古田さん。拳銃はあるのに銃弾がどこにも見当たらない。何か心当たりがありませんか?」

「岩崎かよさんは、証拠が残らないように完全犯罪を計画していたのかもしれません」

「どういうことですか」刑事が訊いた。

「氷の弾丸を使ったのです。アイスクリームを販売するには温度をマイナス18度以下に保たなければなりません。きっと氷で造った銃弾を、アイスの容器に忍ばせていたのだと思います。これがマイナス5度のソフトクリームだとそうは行かない。発射前に溶けてしまいますからね」

「母はどうして自分を撃ったのでしょうか」と園子が訊いた。

「ジャクソンさんを目まの当たりに見て気持ちが変わったのでしょう」園子とジャクソンは顔を見合わせた。「この人はそんなことをするような人ではないと悟ったのに違いありません」

 古田は立ち上がって園子の細い肩に手を添えた。

「それとも、喜美子さんがお母さんの目の前に現れたのかもしれない。大好きなお母さんがそんなことしちゃだめだよってね」

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