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第17話 呼び出された先で

「だから何度も、それは聞き入れられないし、私ではどうにもならない、と手紙でも伝えたはずよ」

「だけど、これは君にしか頼めない」

「知らないわよ、そんなの」


 というやり取りをすること、かれこれ十分は経っていた。しかし隣に座る男、アシル・クールベ侯爵令息は折れる様子もない。


 本当に攻略対象者って、誰も彼も厄介だわ。皆して自分勝手なのだから。少しは私のことも考えてくれたっていいのに。ヒロインではないのだから、そこはまぁ無理な話だけど。


 そもそも私は、シルヴィ嬢が戻るまでは、寮から出ないつもりでいた。しかし数日前から宰相の息子であり、攻略対象者の一人であるアシル・クールベ侯爵令息から、毎日のように手紙が送られてきて、困っていたのだ。内容はというと……。


「ミュンヒ先生に、シルヴィ嬢の処罰を取り消すように言うことが、そんなに難しいのか?」

「これは学園長も承諾した処罰なのよ。それを簡単に覆しては、秩序が乱れる。そんなことも分からないの?」

「それを君が言うのか」

「当り前でしょう。ここが学園だったから、この程度で済んだというのに。社交界だったら、とんでもないことになっていたのよ。アシル様なら理解できるはずでしょう?」


 仮にも貴方の父親は、宰相閣下なのだから。貴族の常識、社交界のマナーはもちろんのこと、秩序を自ら乱してどうするのよ。


 いや、これもシルヴィ嬢の、ヒロインの力なのだろうか、と思ってしまった。いくら私がそう手紙で諭しても、口頭で説明しても、アシル様は引いてくれなかったからだ。


「オリアーヌ!」


 もう何度目かのため息を吐きそうになった時、遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。ここのところ、アシル様とは別に思い悩んでいた人物の声だっただけに、無意識に辺りを見渡してしまった。


 ミュンヒ先生……!


 駆け寄って来る姿に、思わず涙が出そうになった。あれから気まずくて、ずっと会えずにいたミュンヒ先生。授業のある時間なら、こっそり会いに行けたのに、私は怖くて行けなかったのだ。ミュンヒ先生が寮に来られないのを知っているのにも関わらず。


 本当は会いたかった。だって、自分の気持ちに気づいてしまったから。


 クラスメイトの女子生徒を通じて届けられる、手紙と贈り物。短い文面には、私への気遣いと想いが感じられ、思わずその文字を指でなぞってしまったくらいだ。


 おそらく丁寧に、一字一字、選びながら書いたに違いない。なぜならミュンヒ先生の字は汚いことで有名だった。

 授業の時は黒板を見るよりも、教科書を見ながらミュンヒ先生の言葉を聞く方が分かり易い、とまで言われるほど。そんな彼の手から綴られる、綺麗な文字の一字一字が、愛おしかった。


『体調が悪くても、部屋の中にずっといるのは気が滅入るだろう。ここはオリアーヌが好きなものを贈りたかったのだが……あいにく俺は知らなくてな。街に行って、直接オリアーヌが選んでくれると有り難いのだが』


 つまり、引きこもっているくらいならデートに行かないか? というお誘いらしい。正直に私の好みが分からない、というのも好感が持てた。

 下手に取り繕われるよりも、ストレートな物言いの方が安心するからだ。私に会いたい、という気持ちも伝わってきて、思わず手紙にこの胸の内を書きそうになった。


『ミュンヒ先生が選んでくれたものなら、どのようなものでも私は嬉しいです。でも……私もミュンヒ先生と一緒に、色々なお店を見てみたい』


 そこまで書いて、私は後ろの文章を消した。今はまだ……会いたくない。会いたいけれど、どのような顔をすればいいのか、分からなかったからだ。


 だけどミュンヒ先生からは、ひっきりなしに手紙と贈り物が届けられる。

 次第にネタ不足になったのか。贈り物の説明なんかはもう、言い訳のような気がして、クスリと笑ってしまったほどである。


 なんでもいい、と返事をした私も悪いのだが、女子生徒たちの話題になっているお菓子やアクセサリー。ぬいぐるみまでいただいた時は、私の年齢をご存知なのかと、少しだけ心配になった。


 ミュンヒ先生曰く「街を歩いていたら、私にそっくりだ」と思ったらしい。黒いうさぎのぬいぐるみと私のどこが? と疑問を抱いたが、今の寂しいと思う気持ちがまさにピッタリだった。それと共に、ミュンヒ先生もそう思ってくれているのかな、と考えただけで会いに行きたくなった。


 今は会いたくない、と思っても、手紙を読み返すたびに。贈られてきたものを見返すたびに。胸が絞めつけられて、より苦しくなった。


 あぁ、これが恋なのだと。本気で人を好きになることなのだと、思い知った。これまではずっと、その辛さを聞く立場だったから、他人事だったけれど。

 いざ自分の立場になると分かる。この想いを、誰でもいいから聞いてもらいたい、と。そう、それこそミュンヒ先生に直接、打ち明けてしまいたくなるほどだった。


 ミュンヒ先生なら、受け入れてくれるかもしれない。「俺の女になれ」とまで言ってきた人だ。手紙に『お話が……』『会いたい』と書いただけで、駆けつけてくれるに違いない。


 けれど私の望みは……ミュンヒ先生と共に歩む道ではなかった。花の女神様への感謝を、私は忘れたくないのだ。


 死に戻りというチャンスをくれたのは、おそらく花の女神様だろう。この乙女ゲーム『救国の花乙女』の世界に転生させたのは、別の神様かもしれないが、これだけは確信が持てる。

 人にもテリトリーがあるように、神様たちにもあるからだ。他の神様が花の女神様の領域を侵してまで、私を死に戻らせる意味はない。仮に他の神様がやったとしても、花の女神様を間に挟まなければ無理なことだった。


 そうなると、一つだけ疑問が残る。なぜ私だったのか。なぜ再びチャンスをくれたのか。その意味は一体……。

 考えれば考えるほど、それはミュンヒ先生との恋愛から遠ざかる答えしか浮かばなかった。


 一人の人間を、意味もなく救うだろうか。どちらかというと、いずれ花乙女となるシルヴィ嬢をどうにかしてほしい、と言われているような気がしたのだ。ううん。その方がしっくりくる。


 だからこそ、余計にアシル様の頼みを聞くことはできなかった。これは花の女神様がシルヴィ嬢に与えた試練かもしれないし、ミュンヒ先生もシルヴィ嬢の行いに怒っていたから余計に、だ。


 そう、あの時もあんな感じに怒って……怒って? え、なんで?


「あっ」


 私の隣にアシル様がいるからか。この現状を反対の立場から見れば、私だって怒る。

 寮に引きこもっている間、ミュンヒ先生がシルヴィ嬢と……とはもうあり得ない話だけど、攻略対象者とヒロインだ。密室に二人きりでいたら……想像するだけでも嫌!


 だからといって、ここでミュンヒ先生の元に駆け寄るのは気が引ける。私はあの日、ミュンヒ先生を拒否したのだ。それなのに、都合のよい時だけ利用するなんて……できない。


「オリアーヌ嬢? 突然立つなど、まだ話は終わっていないぞ」

「アシル様は……」


 アレが見えないの? と言おうとして口を噤んだ。ミュンヒ先生がここへ来る目的が、果たして嫉妬なのだろうか、と悩んでしまったからだ。

 ずっと寮に籠もっていたから、手紙で私のご機嫌取りをしていただけで、本当はまだ怒っているのかもしれない。ようやく出てきたこの瞬間を待っていたのではないだろうか。


 そう思った途端、逃げなければと体が反応した。だけど動かない。アシル様に腕を掴まれたのだ。


「逃げる気か?」

「だって……」


 ミュンヒ先生が……すぐそこまで迫ってきているのよ。そう目で訴えても、手を離してくれる様子はなかった。


 どうしよう。怒りや勘違いで、これ以上は嫌われたくない。だからといって対面するのは、もっと怖かった。


 神様なら、立ち向かえとおっしゃるのだろうけれど。後ろめたい感情に支配されて、足が竦む。


 もうどうしていいのか分からなくなった瞬間、アシル様の手が離れた。と思った途端、突然グイッと反対側の腕を強く引かれて……。


「未だに体調が悪いオリアーヌを連れ出すとはな。王子も王子だが、側近もまた同じというわけか」


 気がつくと、頭上から悪態をつくミュンヒ先生の声が聞こえた。咄嗟に顔を上げようとするが、私の肩を強く掴まれてできなかった。

 普段は服で感じない、逞しい胸板から聞こえる鼓動。急いで来たのが分かるくらい、それは速かった。

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