「なっ! いくら教師でも言葉が過ぎますよ!」
「なんとでも言え。今はお前の相手をしている暇はない。さっきも言ったように、オリアーヌの体調はよくないのでな」
「そんな風には見えませんが?」
「これだからガキは。目に見える部分だけが病だと思うな。王子とアペール嬢で、どれだけオリアーヌが傷ついたと思っている。それを今、養生しているのが分からないのか」
そうか。傍から見れば、鬼の居ぬ間に洗濯を寮の自室でしている、と思われていてもおかしくはなかった。教室にはエミリアン王子がいるから、気が休めない、と。
あぁ、だから女子生徒たちは協力的だったのだ。クラスメイトたちもまた、私たちの被害者だからだ。
「そっとしておくこともできない器量の奴に、割ける時間はない」
まるで捨てゼリフのような言い方に、ようやくミュンヒ先生の腕から解放されるのだ、と思った。だが、それはあまりにも安直な考えだった。今までのミュンヒ先生の行動を思えば、容易に想像がついたというのに。
目の前にはアシル様がいる。つまり……。
「キャッ!」
「体調の悪い人間を歩かせるわけにはいかないだろう?」
したり顔のミュンヒ先生に横抱きされてしまった、というわけである。いや、ようやく捕まえた、とでもいおうか。
明らかに寮とは別の方向に、ミュンヒ先生はそのまま歩いて行った。
***
そして現在、私はなぜかミュンヒ先生の膝の上に至る。場所はなんと、ミュンヒ先生の研究室。そう、私はそこまで横抱きにされていたのだ、ずっと。
すでにシルヴィ嬢との一件で、研究室のある棟では周知されていたため、誰も私たちを非難する者はいなかった。おそらくミュンヒ先生のお陰だろう。傍から見れば、態度の悪い生徒を粛正した教師。悪くいえば、関わり合いになりたくない二人、といったところか。
藪をつついて蛇を出すわけではないが、いつ自分たちがシルヴィ嬢の二の舞になるか、分からないからだ。とはいえ、降り注ぐ視線は、温かいものから厳しいものまで様々だった。
今、思い返しても、顔から火が出そうになる。ううん。今の状況の方が、もっと恥ずかしい。
「そろそろ、下ろしてくれませんか?」
「なぜだ?」
「研究室に着きましたので……」
「それであの長椅子に座るのか? アシルと話していた時よりも遠いところで」
やっぱり、アシル様と会っていたのが気に食わなかったらしい。嫉妬されて、嬉しい気持ちはあったが、今はそれどころではない。
「ここでの私の定位置はあそこですから、そうなりますね」
「ならば今日からここが、オリアーヌの定位置だ」
ここって、膝の上が!? 一体どうしたの? いくら嫉妬でも、おかしすぎるでしょう!
「なぜですか? 研究室には、私とミュンヒ先生しかいないというのに」
「……二人だから、こうしているのだが?」
「え? でも……」
ミュンヒ先生が私に触れるのは、いつも他の人の目があった時か、その可能性がある時だけだった。今は椅子に座っているため、後ろの窓から内部を窺うことはできない。
「あぁ、窓か?」
私がミュンヒ先生越しに窓を見たものだから、その意図を感じ取ってくれたらしい。目敏いというか、私の一挙手一投足に反応されると、恥ずかしい気分になる。しかし、元々そういう行動をミュンヒ先生がしていたのだから、気づかない方がおかしかった。
「関係ない」
「っ! あり得ません! この間のことも、さっきのことだって、誰かがいて初めて私に触れるのに……おかしいです」
「気づいていたか。だが、それを言うオリアーヌもおかしいぞ? まるでそれ以外でも、俺に触れてほしいように聞こえる」
思わず発してしまった口を手で押さえる。けれど後の祭りだった。
口角を上げるミュンヒ先生。ゆっくりとその手に触れられて、体がビクッと跳ねた。
「ようやく俺に惚れたか?」
「……はい、と言いたいところですが、修道院へ行きたい気持ちも変わりません」
私は素直に、今の気持ちを話すことにした。この状況でいうのもなんだが、先ほどはアシル様から助けてくれたのだ。いつまでも不誠実のままではいたくなかった。
「なぜだ? あっ、俺の贈った物が気に入らなかったからか? あれはその、オリアーヌの好みを知らなかっただけでな。だから……」
「それは違います。どれも素敵な物ばかりで、とても嬉しかったです。でも……」
ある一つを除いては、ちょっと……。
「なんだ?」
「言っても怒りません?」
「怒るも何も、何がオリアーヌを不快にさせたのかが気になる。今後のためにも知っておきたい」
「っ!」
本当にこの人は……! 私だって、ミュンヒ先生を不快にさせたくないのに……。
好奇心に満ちた赤い瞳で見つめられると、答えないのが悪いことのように感じられた。
「……黒いうさぎのぬいぐるみです」
「あぁ、あれか。確かに俺も子どもっぽいな、とは思ったのだが、買わずにはいられなかった」
「詳しくお聞きしても、よろしいですか?」
今度はミュンヒ先生の方が、困惑した顔になった。
手紙には私に似ている、と書いてあったが、私に黒い要素はない。髪は赤いし、瞳は紫色だ。黒なんて……と思った瞬間、あるものが目に入った。
「もしかして、黒とは制服のことですか? これなら私でなくても連想すると思いますが」
「違う。縁起がいいからだ」
縁起? ここは西洋を舞台とした乙女ゲームだ。黒うさぎをそう例えるのは東洋だったはず……そうか。乙女ゲームの製作者は日本人だから……混ざってしまったのね。
だって西洋で黒うさぎと聞いて、あまりいい話を聞かない。どちらかというと白うさぎは春の女神様の使いとかで、行事のモチーフにされていた。
腑に落ちないところはあるが、色に拘らなければ、確かにピッタリだ。
「……シルヴィ嬢も言っていたことですが、ミュンヒ先生は信仰や縁起を担ぐタイプには見えないので……意外です」
「俺だって神頼みくらいはする」
「え?」
「あの日、オリアーヌが去った後、どれほど気を揉んだと思っている」
どうやらミュンヒ先生も、素直に胸の内を話すことにしたらしい。これではもう、エミリアン王子とシルヴィ嬢が、とは言えなくなってしまった。私たちもまた、お互いに似てきたようだからだ。