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第21話 嫌な里帰り(シルヴィ視点)

 まったく、冗談じゃないわ。なんで私がこんなところで、こんなことをさせられなきゃならないの? 私はヒロインよ!


「シルヴィ、洗濯は終わりましたか?」


 優しくて、ゆったりとした声が、庭に響き渡る。それほど大きな声ではないけれど、シスターの声は私に届くほど澄んでいた。古びた孤児院の建物をバックに、歩いて来るシスターの姿もまた、前世で見た洋画の一幕のようだった。


 こういうのを透明感のある声っていうんだろうな。でも今は、貴女の声を聞きたくはなかったわ。癇に障って仕方がない。

 やりたくもない洗濯と、触れることすら嫌悪する汚れた衣服類。これをいちいち手で洗うなんて、汚した本人にやらせないよ。なんで私が……。


 でも、体が覚えている。洗濯する場所も、干す場所も。やり方さえも、思い出そうとするだけで、体が自然と動いてくれた。お陰で、嫌々やっているのにもかかわらず、シスターに答えることができた。


「はい。ちょうど終わったところです」

「相変わらず、手際が良くて助かりました」

「いいえ。私がこの孤児院を出てからは、シスターがずっとしていたと思うと忍びなくて。俄然がぜんやる気が出てきました」

「ありがとうございます、シルヴィ」


 シスターは満足げに微笑み、再び建物の中へと戻っていった。

 見るからに古びた建物。併設している教会と同じ石造りではあるが、寄附金で修繕されるのは、教会の建物のみ。その裏側にある孤児院になど、端から回すつもりはないといわんばかりの扱いである。


 幸いにも私が前世の記憶を取り戻したのは、孤児院の一室でアペール男爵の前に連れて来られた時のこと。乙女ゲーム『救国の花乙女』では、孤児院の隅に咲いていたラナンキュラスの光をシルヴィが浴びてしまい、それを聞きつけたアペール男爵に引き取られる、という設定だった。


 なぜ孤児院の庭にラナンキュラスが? と思われるかもしれないが、教会には寄附金の他に、様々な献上品が捧げられる。その中の一つにあったラナンキュラスを、司祭が孤児院に押し付けたからである。


 大地母神である花の女神は、あらゆる植物にいるとされているため、特別にどの花が、という決まりはない。けれどラナンキュラスの花言葉が「とても魅力的」「晴れやかな魅力」の他に「光輝こうきを放つ」という言葉があるため、花の女神の象徴のような扱いをされていた。

 だから教会に献上された、というわけだが、その司祭は不真面目で信仰心のない男だったため、孤児院へ。シルヴィの手が届くところまでやってきたのだ。


 孤児院の隅とはいえ、日中であっても光は目立つ。しかも、その光がシルヴィの体に吸収された光景を見れば、誰だって騒いでしまうことだろう。子どもなら尚更、秘密にしておくことができず、シスターに報告。シルヴィに異常がないか大騒ぎをしたことで、アペール男爵の耳に入ったというわけである。


 そしてこれが、いずれシルヴィ・アペールが花の乙女に選ばれる理由だった。


 ともあれ、私は嫌な土いじりや掃除、洗濯、子どもの世話などすることなく、アペール男爵令嬢になったのだ。


 まさに乙女ゲームのヒロインに相応しい始まりだと思った。辛い過去をすっ飛ばして、いきなり皆から愛される物語のヒロインになるのだから。

 これから入学する学園で、私を待っているのは攻略対象者たちとの素敵な恋。そして、公妃の座だ。


 約束された未来。約束された栄光。


 それが手に入るはずだったのに、どうしてまた孤児院に逆戻りさせられているの?


「全部、あの女のせいよ。アンスガー・ミュンヒをたぶらかした、オリアーヌ・カスタニエ……」


 攻略対象者の中で、アンスガー・ミュンヒはあまり重要なキャラクターではなかった。性格も悪いし、俺様キャラだから扱いも難しい。前世でも、アンスガーは最後に攻略していたほど、苦手なキャラクターだった。


 逆に簡単なのはエミリアン・ホス・レムリー。元々、婚約者であるオリアーヌを嫌っていたから、こちらに関心を持たせるのは容易かった。エミリアンの考えを肯定し、迷った時には手を差し伸べる。それだけで好感度が上がるのだ。


 『救国の花乙女』のメインヒーローなのだから、初心者にも攻略し易いように作られていたからだろう。キーアイテムのネックレスも、早々と手に入れた。シルバーのチェーンに、装飾は少ないけれどアイオライトの宝石がついたネックレスを。


 アイオライトの石言葉に「道を示す」という意味があり、いずれ公妃となり、共に国を発展させていく、という想いが込められていた。まさに、キーアイテムに相応しい宝石である。


 だから公妃になるためには、オリアーヌの存在が邪魔だった。乙女ゲームの悪役令嬢のように、皆から嫌われているのならいいけれど、今のオリアーヌは違う。

 私に嫌がらせはしないし、攻略対象者であるアンスガーを味方につけている。そればかりか、恋人であるはずのエミリアンまでもが、未練がましい態度を見せているのだ。公妃どころか、婚約者になることさえ危うい状況。


 ヒロインなのに、愛人の座なんてまっぴらごめんよ。だからあらゆる手を使って貶めようとしたのに、なぜかうまくいかない。


 理由は、すぐに浮かんだ。オリアーヌもまた、転生者なのだ。


「悪役令嬢をする気がないのなら、さっさと退場してくれればいいのに。私を追い出すなんて……まさか!」


 アンスガーだけでは飽き足らず、他の攻略対象者まで手をつけきる気じゃないでしょうね。エミリアン以外の攻略対象者だって、私のものなのに。


「このままここで、何もせずにいたら、私の居場所が奪われてしまう。あの悪役令嬢に」


 ヒロインの座までもが……!


「そんなの許せるわけがないでしょう! ここは私の世界なのよ。花乙女になる資格だって持っていない女に、取られるわけにはいかないんだから!」


 でも、どうしたらいいの? こんな場面、乙女ゲームにはなかった。

 とりあえず、エミリアンに手紙を書こう。出してはいけない、とは言われていないのだから、このくらいは大丈夫よね。学園の様子も知りたいし。


「うん。これが合っているのか分からないけれど、何もしないより、動いた方がマシよ」


 早速、手紙を書きに自室へ戻らなければ。洗濯はし終えたから、もうやることはないでしょう。

 けれど孤児院の日常は、そんな簡単なものではなかった。

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