ジスラン・カスタニエ。
実は彼について、あまり詳しくはない。知っているのは、公式の設定であるオリアーヌの兄ということと、シスコンだということくらいだ。
ゲームでは、妹であるオリアーヌがシルヴィ嬢に対して嫌がらせ行為をし、エミリアン王子が学園側に抗議。これを聞いたジスランが、オリアーヌの無実を証明するために学園を訪れる、というのがジスランルートの始まりだった。
オリアーヌの無実を信じて疑わないのだから、揉めた相手であるシルヴィ嬢へ会いに行くのは当たり前のことである。これが二人の出会いであり、なんとも殺伐とした馴れ初めだった。
図らずしも今の状況は、それに酷似している。違うのは、私ではなくシルヴィ嬢が不祥事を起こしたということと、抗議したのがエミリアン王子ではなくミュンヒ先生だということだ。
乙女ゲームをプレイしていたというのに、ジスランについてあまり詳しく知らないのは、まさにその点だった。オリアーヌの無実を信じて学園にやって来たというのに、コロッとシルヴィ嬢に心を寄せるばかりか、彼女と恋人関係になるのが、不誠実というかなんというか……許せなかったのだ。シスコンという設定も相まって。
SNSでは「寝取られ要素みたいで最高!」とか書いてあったが、私には身勝手に感じてしまい、共感よりも嫌悪の方が増してしまったのだ。
幼い頃からジスランに「可愛い、可愛い」と言われて育ってきたため、オリアーヌにとって彼は、一番の理解者である。それと同時に、一番厄介な存在でもあった。
たとえば、オリアーヌがとある男性を褒めると、相応しくないと言って否定する。逆にオリアーヌの一挙手一投足には敏感で、祝い事は勿論のこと、落ち込んでいると、彼女の喜びそうなプレゼントや催し物で気を引かせるのだ。
だからオリアーヌは、完全にジスランを拒否できなかった。彼女には、親しい友人と呼べる人がいなかったのが、最大の原因だろう。悩み事も相談も、すべてジスランに頼っていたからだ。ジスランもジスランで、オリアーヌに頼られる心地よさに酔いしれて、何でも願いを叶えていた。
逆にオリアーヌは、ジスランの願い事には無関心。
『今日は私と出かける約束をしていたのに、どこに行こうとしているのだ?』
『ごめんなさい、お兄様。急にお茶会に誘われてしまって』
友人のいないオリアーヌがお茶会に誘われるはずもなく、平気で嘘をつかれるのは日常茶飯事だった。時には気分が乗らない、という理由で断られることもしばしば。
けれどジスランは、そんなオリアーヌに対して怒ったことは一度もない。いくら妹が可愛くても、傷つかない人間などいないというのに。
しかしオリアーヌにとってジスランは、ただの都合のいい人間でしかなかった。記憶を遡れば遡るほど、オリアーヌの残酷な仕打ちに、頭が痛くなりそうだった。
乙女ゲームでは語られない二人の関係。それほどまでに愛されていたオリアーヌだ。兄に彼女ができたとしても、関心を寄せなかったのではないだろうか。むしろ、ようやく妹離れしてくれた、とホッとしていたのかもしれない。
けれどその相手が、自分が窮地に陥れる相手だった。
そうしてジスランが、オリアーヌから離れたことにより、悲劇は拡大していく。元々評判の悪かったオリアーヌと、攻略対象者のお陰で知名度を上げていくシルヴィ嬢。オリアーヌは次第に孤立していき、頼みの綱であるジスランさえも、彼女の手を払うのだ。
他の攻略対象者や学園内のことは、オリアーヌの自業自得だからいい。しかしジスランに関しては、もっとやりようがあったのではないのか、と思ってしまうのだ。いや、オリアーヌの過去を見てしまった以上、これもまた、避けられない未来だったのだろう。
けれどそれは、転生後の話だ。前世で何度も似たような相談を受けていた私には、とてもじゃないが受け入れ難い話だった。だからより、ジスランルートをプレイする気にはなれなかったのだ。それが今、
「オリアーヌ、聞いているのか?」
「は、はい」
ジスランの出現で、情報を整理していたら、余計に怒らせてしまったらしい。
先日はミュンヒ先生とアシル様を同時に怒らせ、多分エミリアン王子も怒っていることだろう。シルヴィ嬢は戻ってこないし、私に接触する気があるのか分からないが、避けられていることくらいは理解していると思うからだ。
なにせ私が休んでいても、ミュンヒ先生のように見舞いに来なかったのがいい証拠である。
このように私は、攻略対象者たちを怒らせてばかりいた。
「すみません」
「はぁ、昔は私が会いに来ただけで喜んでくれたのに、男ができた途端にコレとは、残念でならないよ」
「……お兄様?」
突然、ため息を吐いたと思ったら、何を言い出すことやら。これがシスコンかぁ~、と私の方がため息を吐きたくなった。少しでもジスランに同情した私が、バカだったと思えるほどに。
そんな見え透いた嘘……いえ、確かに幼い頃のオリアーヌはそうだったかもしれないが、今ここで持ち出す話ではない。
しかし思い出話をしたいというのなら、受けて立つわ。貴方みたいな人を、どれだけ相手にしてきたと思っているの? 元シスターを舐めないでいただきたいわ。
「どうやらお兄様は、ご自分の行動と私の行動を、逆に覚えているようですね」
「そんなはずはない」
「いいえ。私が長期休暇で邸宅に帰ると、必ずお兄様が出迎えてくれたではありませんか? あれは嘘だったというのですか? 私が学園でよからぬ噂を立てられているから、お兄様もまた、あの男爵令嬢のように、嫌がらせをしに来たのではありませんか? 最近の私は、いえ昔からお兄様に、冷たく接していましたから」
シスコンの相談は受けたことがないけれど、交際相手の執拗な干渉や愛情に
すると案の定、ジスランは狼狽えた。
「私がオリアーヌに嫌がらせをするわけがないだろう? どうしてそのようなことを言うのだ」
「お兄様が学園に来たからです。理由は男爵令嬢と揉めたこと、ではありませんか?」
「妹が嫌がらせを受けたと聞けば、駆けつけるのは当たり前だろう。この私をなんだと思っているのだ」
さも当然のように言っているが、そんな話は聞いたことがない。見捨てる兄も、世の中には山ほどいるのだ。
まさに乙女ゲームで、貴方がやってみせたことよ。
「やっぱり……お兄様は私のことを分かっていらっしゃらないようですね」
だから容赦なく、私はミュンヒ先生に寄り添った。悪役令嬢の如く、媚びるような仕草で。
「私にはもう、お兄様は必要ありませんの。守ってくださる方がいらっしゃいますから」
いつまでも可愛い妹だと思っているジスランには、効果的ではないかしら。シルヴィ嬢に出会うまで、ずっとオリアーヌの我が儘を聞いていたジスランだ。それでシスコンが治るとは思えないけれど、このくらいやって見せなければ分かってくれないだろう。
しかし、その考えが甘いことに私は即座に気づいた。ジスランに? ううん。もう一人の人物に対してだった。