「あぁ、そこは安心してくれて構わないぞ、カスタニエ卿。その男爵令嬢から、オリアーヌ嬢を守ったのは、まさにこの俺だからな」
もう何度も、このような演技をしているせいか、ミュンヒ先生も私の肩を抱いてジスランに見せつけた。
以前と違って、本当の恋人同士だから、完全に演技というわけではない。けれどこういう面は、やっぱり信頼できる人だなぁ、と実感する。守られている安心感ってこういうことなのかな、とも思えてくるのだ。
「お、オリアーヌ……この者は、いや、この方はもしや……」
「あら、やだ、私ったら。大事な人をお兄様に紹介し忘れるなんて……ごめんなさい、ミュンヒ先生」
「いや、ここは年長者である俺から言うべきことだ。オリアーヌ嬢が詫びることではない」
私も気取った言い方をしている自覚はあるけれど……ミュンヒ先生が同じトーンで返してくれると、なんだかムズ痒くなった。
様になっているから? うん、そう、それだ! 大人の色気というか、私と違って似合っていたからだ。
口角を上げて、何か面白いいたずらを思いついたような子どもっぽさもありながら、危険な雰囲気も醸し出す。そこがミュンヒ先生の魅力なのかと思えてくるほど、カッコよく見えた。
あぁ、ここが人気のない図書館で、本当に良かった。こんな姿を他の女子生徒たちが見たら、シルヴィ嬢との一件で高まった人気が、さらに上がってしまう。それはさすがに嫌!
けれどミュンヒ先生は、そんな私の気持ちなどお構いなしに、妙に色気のある声でジスランに話しかけた。
「まぁ、社交界から身を引いていた身だしな。カスタニエ卿とは今回がお初、で構わないか?」
「はい。幼少の時にお会いしていた、と言われても、残念ながら、可愛いオリアーヌの姿以外は記憶に留めていないものでして。お会いした事実を確認したくとも、ここには父もいませんから」
そうか。カスタニエ公爵家は、貴族派の筆頭。片やミュンヒ先生は、侯爵であり、学園でエミリアン王子の監視を公王様から請け負っているくらいの人物だ。お父様を通じて、会っている可能性は十分にあった。
けれど私は、いくらオリアーヌの記憶を掘り起こしても、ジスランと同じく、そのような記憶はない。逆に、ジスランと過ごした記憶が山のようにあった。ミュンヒ先生を牽制するような言い方をしていたが、どうやらそれは嘘ではない、と思えるほどのウザい量が。
ん? でも今は、乙女ゲームの真っただ中だから、二人の年齢は公式の発表と同じはずよね。
それによると私は十七歳で、ミュンヒ先生は二十五歳。この間、言っていたから間違いはないと思う。するとジスランは、二十歳ということになるから……幼い頃に会っている可能性は、十分にあった。
高位貴族は高位貴族同士、子どもの内から交流を持たせるようにしているから。でもどうして、記憶にないのかしら。私だけでなく、ジスランさえも。
まさか記憶を捏造しているとか!? ジスランには虚言癖でもあるのかしら。
「幼い頃の年齢差は、今以上に大きいからな。覚えていないのも仕方があるまい」
するとミュンヒ先生が、私の心を見透かしたように、そっと耳元で語りかけてきた。
「え、ではお兄様と面識が?」
「あぁ。本人は覚えていないようだがな。散々聞かされた挙句、『可愛いオリアーヌには絶対に会わせない!』と言われたものだ。しかし今となっては、その『可愛いオリアーヌ』に会うことができなかったのは、残念で仕方がないがな」
なるほど。ジスランのシスコンは、すでにそんな時から……これではオリアーヌが世間知らずになるのも、無理はないわ。いやそれよりもずっと前から、ミュンヒ先生もご存知だったのね。
あぁおっしゃってはいたけれど、私はむしろジスランに感謝したいくらいだわ。乙女ゲームが始まる前にオリアーヌとミュンヒ先生が出会っていたら、今のような関係を築くのは難しかったと思うから。
おそらく学園に入学しても、顔すら合わせないほど、険悪な関係になっていたかもしれない。下手をすれば、学園中にオリアーヌの評判の悪さを、風潮していた可能性だってあるのだ。
普段は我関せずなミュンヒ先生だが、自身が関わると……いや、私が関わると、途端に攻撃的になるから、十分にやり兼ねない。
今だってそうだ。エミリアン王子やシルヴィ嬢、アシル様を前にした時のような顔を、まさにジスランへと向けていた。さらに口角を上げて、私に向けた時とは違う、横柄な態度を取っている。
まぁ、ミュンヒ先生の方が、ジスランよりも年齢だけでなく、地位も高いから全然おかしくはないのだけれど。
「では改めて自己紹介をするか。将来、義兄となるのだからな。アンスガー・ミュンヒだ。この学園では歴史の教師をしているが、侯爵の位を賜っている。よろしくな、カスタニエ卿」
「ミュンヒ侯爵、握手を求めるのなら、まず妹から離れるべきではありませんか? 私がまだ爵位を継いでいないとはいえ、失礼だと思います」
「おや、俺は先ほど『将来、義兄となる』と言ったのだ。いち早く慣れてもらうには、これがいいと思ったのだがな」
そういうと、さらに私の体を引き寄せた。すでに密着していたから、思わず手がミュンヒ先生の胸板へと伸び、まるで抱きつくような格好になった。
「ミュンヘン侯爵! オリアーヌを、妹を離せ!」
「離せ?」
「そうだ。私を義兄だと思われるのは癪だが、思うというのなら、構わないはずだ」
途中、声が小さくなったような気がしたけれど、ジスランは威勢よく、ミュンヒ先生に食ってかかった。そればかりか、こちらに向かって手を伸ばしてきた。
まさか、ミュンヒ先生から私を引き離すつもり?
「残念だが、その言葉使いも含めて受け入れられないな。それにここは図書館だ。静かにした方がいいぞ」
「そうさせたのは、ミュンヒ侯爵のせいです。謝罪としてオリアーヌを離してください。オリアーヌが恥ずかしさに耐えかねて、顔を赤くしているではありませんか」
「っ!」
さっきから胸がうるさいほど高鳴っているから、もしかして、とは思っていたけれど……余計なことを!
ジスランを睨みつけるが、逆に温かい視線を向けられて戸惑った。いや、これはオリアーヌの記憶にある、愛でられている時の視線だ。
や、やめて! これはオリアーヌでなくても、拒否したい! ど、どうすれば、あの視線を回避できる? そうだ。こうしてミュンヒ先生が、私の意図に乗ってくれたのだから、私も……!
「好きな人に抱きしめられたら、誰だってこうなります。でもそうですね。これを機に、妹離れをしてほしいと思っていたところですから、もっとやっていただいても構いませんわ」
「オリアーヌ嬢は過激な方が好きなのか?」
「えっ、まさか! そんなはしたないことを、望んでいるわけではありませんわ。ただ、世の中にはショック療法というものがありますから」
私はニコリと笑い、腕をミュンヒ先生の首へと伸ばす。そしてそのまま背伸びをして、軽く頬に唇を寄せた。
「っ!」
まさか私からキスをされるとは思っていなかったらしい。してやったりと、体を引き離そうとした瞬間、腰を掴まれた。
う〜ん。エミリアン王子の時のように、ジスランにも見せつける? それもまた、いいかもしれないと思ったが、予想外のところから邪魔が入った。
「図書館は本に触れ合うところであり、男女の情事をするところでも、見せるところでもありません。これは厳重に、学園長に叱ってもらう必要がありそうですね、アンスガー・ミュンヒ先生」
そう、この図書館を総括する司書教諭にだった。