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第26話 兄の思惑

 学園の図書館を管理するだけでなく、責任者でもある司書教諭は、乙女ゲーム『救国の花乙女』のモブ中のモブ。名前すらない、脇役だった。

 登場する場面ですらも、ヒロインが図書館で勉強をしに来る時か、図書館に攻略対象者がいるのか、ヒロインが尋ねる時くらいなものだったから、立ち絵すら用意されていなかった。


 しかし、ここは乙女ゲームの中とはいえ、私たちにとっては現実の世界。全身黒塗りにされていた立ち絵を、そのまま再現などできるはずはなかった。

 だから今、私の目の前にいる、眼鏡がとても似合う知的な女性は、司書教諭に違いない。この図書館で、ミュンヒ先生に堂々と言い放ち、学園長に報告できる人物は、ただ一人しかいないからだ。


 そのお姿を拝見できるなんて……とゲーム脳が喜びに浸っていると、ミュンヒ先生が私を庇うように前に出た。


「マイヤ・スラッカ先生。神聖な図書館で騒ぎを起こしたことは謝ります。しかし、その原因を作ったのは俺ではありません。その人物に文句を言うべきではありませんか?」

「その方が入ってきたのは確認しました。カスタニエ嬢の身内の方、ということも存じ上げております」


 するとなぜか、ジスランが得意げな顔をした。これはよくある、カスタニエ公爵家の人間だから、スラッカ先生が見逃してくれる、と思っているのだろう。


「しかし、ここは学園内の図書館です。いくらカスタニエ公爵家の者でも、学園のルールには従ってもらいます。よろしいですね」

「勿論です。私はこの学園の卒業生でもありますし」


 あっ、だからスラッカ先生は、ジスランがカスタニエ公爵家の人間だとすぐに分かったのか。そしたらなぜ、ジスランはあんな顔を? 何もメリットがあるとは思えないのだけれど。


 そんな私の思考を読んだのか、ジスランはある提案をスラッカ先生に持ちかけた。


「共に学園長のところへ行きませんか?」

「その必要はありません。学園長への報告は、後ほどすればいいだけの話ですから。私が今、あなた方に要求するのはただ一つ。図書館から出て行ってもらうことです」

「勿論、出て行きます。しかし、この二人が問題を起こしたことを証明してくださる方が、私には必要なのです。私はもう、学生ではないため、何度も学園を行き来するわけにはいかないので」

「先ほど私は、抗議をするのは後で、と言いましたよね。確かにカスタニエ嬢のことは心配に思うでしょうけれど、図書館で騒いだ程度では退学にはなりません。そこは安心してください」


 退学……! まさか、ジスランの狙いはそれなの?


「ご配慮は痛み入りますが、私の懸念事項はそこではありません。可愛い妹が、このまま学園に在学しているのが心配なのです」

「例の男爵令嬢の件ですか? あれはミュンヒ先生が処罰を下しました。もう妙な真似はしないでしょう」

「その件は聞きました。私の方にも謝罪の手紙が来まして。だからこうして様子を見に来たのです」


 なんですって!? 私には一切、謝罪の手紙なんて来なかったのに……ってそっちじゃない! シルヴィ嬢からの手紙で学園にやって来た、ですって!?

 同じ転生者だから、シルヴィ嬢もジスランがシスコンだって知っている。手紙を出せば、どうなることかも……。


 わざわざ自身がいないのに、ジスランを学園に来させようとしたの? それとも接点を作ろうとしたのか。ただの嫌がらせか……。


 私が首を傾げていると、スラッカ先生が代弁するかのように質問をした。


「どういうことですか?」

「それをお知りになりたいのであれば、学園長のところに行きましょう。勿論、オリアーヌは当事者なのだから、私と一緒に来るんだ。ミュンヒ侯爵は、むしろ来なくてもいいです。いい加減、私の可愛いオリアーヌから離れていただきたいので」

「……別に私は、そこまで知りたいとは思いませんので、これで失礼します」


 明らかに呆れた顔をしたスラッカ先生が、軽く会釈をして立ち去ろうとした。


 それはそうだろう。スラッカ先生はただ、図書館の秩序を乱されたためにやって来ただけである。私の進退やミュンヒ先生の立場など、興味はないのだ。学園長に報告することだって、再発防止のために言ったことだ。


「そうですか。仕方がありませんね。スラッカ先生に来ていただけなければ、私たちはこのままここで話し合いますから」

「何を言っているの!? 私は図書館から出て行け、と先ほど告げたはずよ」

「しかし今の私は部外者です。学園で話し合える場を用意することができません」

「だから学園長のところへ?」

「さすがオリアーヌ。よく分かったね」


 満足げに微笑むジスランを見て、聞くんじゃなかったと後悔した。


 自分の意図に気づいてもらえたのが、そんなに嬉しいことなの? あぁ、そうか。それが自分の可愛がるオリアーヌだから、余計に嬉しいのね。以心伝心したみたいで。


 ジスランのゾッとする思想に、私は再びミュンヒ先生の背後に隠れた。


「まぁ、そういうことならいいでしょう。けれど条件があるわ」

「なんでしょうか」

「私はこの件に関して、これ以上関わるつもりもなければ、するつもりもないの。だから今後は、このように私を巻き込まないこと。図書館での仕事は暇そうに見えるかもしれないけれど、人手が足りないほど忙しいのよ。どっかの誰かさんのように、一生徒に構っていられないくらいにね」

「俺も学園内では、穏便にしたかったのだがな。それを見逃してくれない者が現れて、困惑しているところだ」


 おぉぉぉ! 一気に空気が、ミュンヒ先生とスラッカ先生の方へ傾いた。さすがは教師陣。次期公爵とはいえ、元生徒であるジスランの立場を、簡単に覆した。


「それは自業自得というものですよ、ミュンヒ先生」


 しかし、その結束は呆気なく切られた。


「俺は俺で好きでやっているのでね。後悔していないのだから、その言葉は不適切というものだ、スラッカ先生」

「いいえ。自ら火の中に飛び込んでいく様は、滑稽だと思えてなりません」

「ほぉ。欲しいものを手に入れるためなら、火の中でも飛び込むものではないのか? スラッカ先生も、図書館の予算を増やすために、俺に働きかけてきたではないか。あれは気のせいだったというのなら、別にそれでも構わないが。どうする?」

「っ! なるほど。面白いことをいいますね。分かりました。その言葉、忘れないでいただきますよ」

「それはこちらのセリフだ」


 さすがはミュンヒ先生。断ち切られたと思った結束を、再び繋ぎ止めた。やり方は汚いけれど、費用を捻出させるには、致し方のないこと。

 私も前世でやっていた行為なだけに、非難はできなかった。この乙女ゲームのように、教会が力を……といっても貴族ほどではないが、持っている時代ではない。


 私がいた教会は、細やかな憩いの場だった。信者だけでなく、近隣の住民も気軽に出入りできるほど、長閑な建物だったから、当然そのような力も費用もない。だから運営は常に大変だったけれど、そういう取引で何とかやっていけたのだ。


「どうしたんだい、オリアーヌ?」

「っ!」


 突然、視界にジスランが現れて、私は悲鳴が出そうになった口を手で押さえた。というのも、ジスランと距離を取るために、ミュンヒ先生の後ろに移動していたからだ。

 思わず辺りを見渡そうとした瞬間、誰かに後ろから抱きしめられた。


 これは……確認しなくても分かる。


「ミュンヒ先生?」

「全く油断も隙も無いな。ほんの少しだけスラッカ先生と話していた間に、オリアーヌ嬢に近づくとは……」

「兄の私が、妹に近づくのに、何か問題でもありますか? 明らかに、今のミュンヒ侯爵の方が問題だと思いますが」

「恋人としては、兄だろうが何だろうが、近づけさせたくないものでな」

「それ以前に教師として、私は問題だと言っているのです!」


 う、うるさい……口論なら、余所でやってほしい。もしくは私を間に挟まないで!


「学園長室に行く気がないのなら、私はこれで失礼します」

「スラッカ先生。それは困ります。ほら、オリアーヌ。一緒に行こう」


 ジスランには、私の後ろにいるミュンヒ先生の姿が見えないのか、手を差し出してきた。この状況で私がその手を取ることに、なんの疑問も浮かばないらしい。

 金髪の奥にある、自信満々の紫色の瞳を見てウンザリした。


 オリアーヌがジスランに冷たくなる気持ちも……理解できるわ。

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