一先ず、名残惜しそうにしていたジスランだったが、私に護衛を付けるという話に安心して、カスタニエ公爵邸へと帰って行った。
どうやら学園に来たのも、私が嫌がらせを受けたことを知り、心配で堪らなかったらしい。家に帰ることを終始言っていたのも、それが原因だったようだ。
これならシルヴィ嬢に会っても、
逆に私とミュンヒ先生の関係に、釘を刺すようなことを、別れ際に言ってきた。
「ミュンヒ侯爵。くれぐれも妹の身の安全を頼みます」
「そっちこそ婚約解消の件、分かっているのか? カスタニエ公爵を説得できなければ、オリアーヌを帰すつもりはないからな」
「分かっています。それとミュンヒ侯爵も気をつけてください。オリアーヌに何かあったら、ただではすみませんから。たとえオリアーヌの同意があっても、です」
「お、お兄様!」
図書館でミュンヒ先生が、ジスランに自己紹介をする時に『義兄』と言ったからだろう。学園長室では、うまくミュンヒ先生との関係を誤魔化せたのに。
いや、学園長やスラッカ先生も、私たちの噂を耳にしていることだから、勘づいていてもおかしくはない。
学園長は事なかれ主義だから、わざわざミュンヒ先生の怒りを買いたくなくて、見て見ぬ振りをしているのだろう。さもなければ、スラッカ先生に提案した時のように、学園長にも何かしらのことを裏でしているのかもしれなかった。
私の護衛を付けるか否の話が、簡単に通ったことがいい証拠である。
「学園長からすれば、婚約解消の件も、俺たちの件も些細なことでしかない。どっちに転んでも、オリアーヌは大事な令嬢になるわけだからな。だから簡単に護衛の許可が下りただけだ」
「大事な、令嬢?」
学園長とあまり接点のない私がどうして、と思っていると、腰を引き寄せられて、ミュンヒ先生の膝の上に乗せられた。
そう、今私たちがいるのはミュンヒ先生の研究室。だから定位置に座らされてしまったのだ。今日は真面目な話をするからと、小さな応接セットの長椅子に、共に座っていたというのに、もう我慢できなかったらしい。
「婚約解消ができなければ、このまま公妃に。うまくできれば、侯爵夫人だ。学園長にとっては、どっちも同じだろう?」
「卒業後も、ただの令嬢になるわけではない、という意味では、確かにそうなりますね」
「だから突然、護衛を付けてもおかしくないというわけさ」
なるほど。それであのような提案をしたのね。
「けれど、クラスメイトたちは違和感を覚えると思います。エミリアン王子に護衛は付いていますが、常に傍にいるわけではありません。もしも私にそのような護衛を付けたら……」
「今のオリアーヌならば、誰も何も言わないと思うが……」
「そうでしょうか」
「新たに取り巻きになりたがっていた女子生徒たちがいたではないか」
あぁ、私が寮に引きこもっている間、ミュンヒ先生の手紙や贈り物を届けてくれた女子生徒たち。その前から、シルヴィ嬢が私に接近しないようにしてくれていたのよね。
これまでは何もなかったからいいけれど、さらにアクションをしてきたら、彼女たちを守り切れる自信はない。
「その護衛は、彼女たちも守ってくれるのでしょうか?」
「対象はあくまでもオリアーヌだ。それを蔑ろにしなければ、周りにいる者たちも守るだろう。そこまで冷淡な奴ではないからな」
「本当ですか?」
「あぁ、なにせ現騎士団長の息子だからな。義理堅い奴だと聞いている」
え? それって攻略対象者の一人、フィデル・バラデュール伯爵令息のこと? いやいや、人違いかもしれない。だって彼は、エミリアン王子の護衛をするために、この学園に在学しているのだ。
実はバラデュール伯爵家は、代々騎士の家系であるため、学園には通わない家門として有名だった。
勉学よりも剣術を。学園に通っている時間があるのならば、腕を磨くために山に籠る、といういい意味で体育会系。悪くて脳筋ともいえる家門だった。
確かにフィデルなら、私の周りにいる女子生徒たちも守ってくれそうだわ。
だけど問題が二つあった。一つ目はフィデルが攻略対象者だということ。二つ目は……。
「そんな義理堅い人間なら、エミリアン王子の護衛を辞めるとは思えないのですが……」
「ほぉ、知っていたか」
「……一応、婚約者ですから、その周りのことは知っています。フィデル様が隣のクラスにいるということも」
「奴の成績が
「ま、まさか、それをネタに交渉したのですか?」
「あぁ、そのまさかだ」
なんということを……!
思わず頭を抱えそうになった。なぜならフィデルは、それが原因でシルヴィ嬢と恋仲になるからだ。いや、もうすでになっているのかもしれない。
フィデルと同じクラスにいる、アシルがすでに攻略されていたからだ。
二人が攻略対象者だから、というのもあるが、その前に彼らはエミリアン王子の側近である。つまり、エミリアン王子の傍にいるだけで、仲良くなれる機会が増えるのだ。
逆にミュンヒ先生やジスランとは接点が少ないため、シルヴィ嬢の手が、そこまで伸びなかった、ともいえる。
特にフィデルはアシルと違い、護衛として休み時間や登下校、放課後に至るまでエミリアン王子の傍にいるから、尚更危険な存在だった。いくら成績で釣っても、攻略されていれば、シルヴィ嬢の手先と同じである。
「新たに護衛を入学させるよりも、在学している護衛を使う方が、効率が良いと思うのだがな」
「そしたら、エミリアン王子の護衛はどうするのですか?」
「……アシル・クールベ侯爵令息がいる」
「彼は護衛ではなく側近です。しかも体を動かすことよりも、頭を使う方が得意なのに、護衛など務まりません」
逆にやれと言われたら、困ってしまうことだろう。
「だから減った要員は、アシルが勝手に補充してくれるさ。すでにフィデルは買収済みだ。オリアーヌは自分の身よりも、王子の身の方が心配なのか?」
「違います」
「それならば問題はないな」
あり過ぎるけれど、それをミュンヒ先生に説明できる自信がなかった。実際のフィデルを見ていない状態で、シルヴィ嬢の手先だと決めつけたくないし、言いたくもなかったからだ。
これでは、冤罪を作ろうとしたシルヴィ嬢と同じになってしまう。
あぁ、神様。どうか私にご慈悲を与えてください。