ネッドと一緒に連続殺人事件の捜査本部を訪れたとき。その場にいた三人のFBI捜査官たちは、非友好的な態度でサムを追い返そうとしてきた。
部外者は立入禁止だ、民間人を入れるなと云われたネッドは、サムが元FBI捜査官で、引退した今は私立探偵をやっている、嘗ての自分の相棒だと紹介したあと、此処へは情報提供者として来たのだと説明した。どういうことだと訊かれ、サムは自分が捜索していた十六歳の少年の足取りが途絶えた時と場所が、五件めの犯行現場と一致することを話した。
他にまったく手掛かりもなく、チームの捜査が行き詰まっているのはネッドから聞いてわかっていたことである。少年が殺害現場を目撃した可能性があることに三人が興味をもったとみると、サムは
手詰まりなときに提示された新たな糸口を、意地で突っぱねるほど愚かな捜査官はさすがにいなかったらしい。それに〝
サムの意見に納得してくれたチームは、すぐにネッドの云うとおりサンフランシスコ市内の図書館をすべてリストアップし、しらみ潰しにあたることにした。
外に出ている捜査官とも無線で連絡を取り、サムとネッドはジャクソンと落ち合い、一緒にリストの一部を廻っていた。
サンフランシスコにはメインであるサンフランシスコ
高い天井からライトが柔らかい光を落としている、クラシカルで落ち着きのある空間。市松模様の床の上には六人が余裕を持って書籍とノートを広げることができる大きなテーブルが並んでいる。ぱらぱらと人影は見えるが誰も声を発していない、しんと静まりかえっているその場所で、サムはファイルに綴じられた新聞を順にチェックしていた。
「――遺体の様子なんかは、意外と詳しく書かれてないもんだな。いつもそんなことは意識しないで読んでいたが」
書庫にはサンフランシスコ・クロニクルを始めとしてサンフランシスコ・エグザミナー、シカゴ・トリビューン、ボストン・グローブ、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが保存されていた。古い記事はマイクロフィルムに焼き写され、コンパクトに収蔵されていたが、サムたちが必要としている記事は新聞がそのままファイルされた状態で閲覧が可能であった。
その膨大な量のファイルのなかから、サムたちはとりあえず七三年三月から四月にかけて発行された新聞を、いくつか司書に頼んで出してもらった。六年前、ケンタッキー州とオハイオ州で続いていた殺人事件が、同一犯によるものではと騒がれ始めた頃である。
サムとネッド、ジャクソンの三人は、それぞれ新聞を捲り当時の連続殺人事件についての記事を探した。順に見ていくと、どの新聞も被害者が増えるにつれ、連続殺人について大きく扱うようになっていったのがありありとわかる。各紙には特色があり、事件について明らかな事実だけを簡潔に伝えている記事、被害者の人柄や家族について憐れむように書かれている記事というように、同じ事件を伝えていても少しずつ印象が違っていた。
そんななか、ある記事がサムの目を引いた。
その記事には『深夜過ぎ、人の往来など既にない暗い路地に置き去りにされていた、血に染まった遺体』、『胸や腹部などを二十ヶ所以上、繰り返し何度も刺された若く美しい女性』、『喉を切り裂かれて声がだせず、助けを求めることもできなかったとみられ』など、現場や遺体の様子などが詳らかに書かれていた。それだけではない。やや表現が冗長気味な文章で書かれたその記事は、記者自身の推理や解釈を付け加えられていて、記事というより宛ら小説を読んでいるようだった。実際に殺害の瞬間を目にしていたような印象さえ受けた。
それが荒唐無稽な憶測の記事であれば、なんだこれはと無視するところだが、記事の内容はどれも、当時この記者は捜査本部に潜りこんでいたのではないかと思うほど正確だった。現場写真も、他の新聞社の記事はたいてい一点が掲載されているのみであるのに対し、この記者による記事には複数が添えられていて、記事を理解しやすくするのに役立っているようだった。
「もし俺が模倣犯だったら、この記者が書いた記事だけ読めば充分だと考えるな。これを読んだら他の記事なんてなんの役にも立たんと思えるね」
「へえ……なんて記者です?」
「えぇっと……ケイレブ・N・クロウリーとあるな」
記事の文末に記された名前を読みながら、サムは眉をひそめた。なにか、どこかで見たような名前だ。
「ケイレブ・クロウリー……あれ? どっかで聞いたような……」
ネッドも同じだったらしい。しかし、少し考えてはみたがサムはなにも思いだせず、その名前に引っかかりを覚えたというネッドも、いつどこで目にしたのか、このときはわからずじまいだった。
「気になるな。いちおう調べておこう。当時の記者が模倣犯っていう線はありえる。それなら調べる必要もないだろうしな」
司書や職員たちに訊いたところ、このバーナルハイツ分館には、サムのように過去の記事を閲覧した利用者は来ていないとのことだった。だが新聞記事から当時の犯行について、ある程度は調べられるという確認はできたし、模倣犯が記者である可能性という新たな着眼点も得られた。
まだ市内には図書館がたくさんある。サムたちは他からの報告を待ちつつ、次の図書館へと向かうことにした。
バーナルハイツ分館を出たあと、さらに四ヶ所の図書館を廻ってから、三人はホール・オブ・ジャスティスに戻った。
ネッドとジャクソンはサムを捜査本部で待たせ、ケイレブ・N・クロウリーという人物について調べると云っていったんその場を離れた。そしてその四十分後――サムが不味いコーヒーを飲みながら、三本の煙草を灰にしているあいだにわかったのは、意外な事実であった。
「――ケイレブ・ノーマン・クロウリーは、主にソガードの事件を担当していた、新聞に自分のコラムも持っていた実力派の記者ですが、七五年の十一月に辞めてます」
先ずネッドが説明し、隣に坐っているジャクソンがそのあとを引き受ける。
「仕事が続けられなくなって辞めたか、クビになったのかもしれん。新聞社を辞めたあと、ヒューストンにある精神科病院の
「殺して?」
サムは眉根を寄せた。「その事件の資料は?」
「もちろん取ってきました。――被害者は、療養所で備品や食材の仕入れや管理などを担当していた、四十一歳の男性職員です。現場は療養所内にある厨房の
「移植鏝で刺した? そいつは……」
「遺体の写真もファイルにありますけど、メシ前には見ないほうがいいです……」
ネッドが顔を顰めながら言葉を切る。サムは想像し、ゆるゆると首を振った。
「神経症を抱えた帰還兵の記者か。おまけに殺人で手配中ときた。今のところ第一容疑者だな」
サムはそう云いながら、幅の広いテーブルに置かれた資料にある名前を、あらためて見つめた。『
現役の頃、ネッドと一緒に捜査していたのを思い浮かべる。警察署内で間借り状態の捜査本部、赤いピンを留めた
「そうか……! わかったぞ、クロウリーは〝魅惑の殺人鬼〟って異名をつけて広めた、あの記者だ……!」
サムの言葉に、ネッドもはっと目を見開く。
「あー! そうでしたそうでした、俺も思いだしました! 野郎、しょっちゅう警察署のなかに入りこんでて、俺も追いだしたことがあります。現場に来るのも早くって、遺体を撮らせないように警官たちが苦労してた憶えが」
サムは頷いた。
「あの記者が、殺しをやって逃げているとはな。人間、どこでなにがどうなるものやら」
「まあ、病んでたらしいですし。人が見かけによらないってのも、もういやってほど見てきましたしね。驚きはしません」
そんなふうにサムとネッドが話していると、もうひとつの資料を読みこんでいたジャクソンが顔をあげた。灰皿とコーヒーのペイパーカップが置かれたテーブルを挟み、サムとネッドは同時にジャクソンに向いた。
「七月五日……職員を殺してから十日後だな。ツーソンのガスステーションで保安官補がクロウリーを目撃してる。地域を巡回しているとき、買い物をしていた男の顔に見覚えがあると思いつつ、そのときは思いだせず見逃してしまったらしい。保安官事務所に戻ってから手配されている殺人犯とわかり、報らせてきたようだ」
「アリゾナで?」
車に乗っていたのなら盗難車か、それともヒッチハイクでもしたかと思いつつ、サムは訊いた。「乗っていた車はわかってるのか」
ジャクソンは綴じられた紙を一枚捲り、答えた。
「ナンバーは書かれてないが、マスタングだ。色は黒」
それを聞き、サムとネッドは思わずはっと顔を見合わせた。