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scene 18. 奇妙な符合

 〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟の記事を書いていた記者が、療養所サナトリウムの職員を殺して逃走していた、というのも充分驚きだった。だが、それに付け加えられた目撃情報に、サムはまさかと目を見開いた。

「黒のマスタングだって?」

「まさかでしょ? ねえ、サム……」

 ネッドも信じられないと云いたげに、引きつった笑みを浮かべている。当然だろう。『まるで映画スターのようにハンサムな金髪の男が、夜な夜な黒いマスタングに乗って獲物を探している』――聞き込みをしているとき、あちこちでネッドが耳にしたという噂話。〝魅惑の殺人鬼〟は今も生きていて西へ移動している、今度は西部で殺人を繰り返すつもりなのだ、と各地のバーなどで酒の肴にされていたらしいそんな話を、サムはまるで信憑性のないただの流言だと思って聞いていた。しかし。

「最初に噂を耳にしたのは、二年前って話だったな……」

 独り言のようにサムが呟くと、ネッドは頷いた。

「ええ、二年くらい前だって云う奴が数人いました……。二年前って――」

「七七年の六月ならぴたりと時期が合うな」

 そう続けたジャクソンに、サムはぶんぶんと首を振りながら手をあげた。

「いや、待ってくれ! 確かに奇妙な符合だが、なにかおかしい。クロウリーがソガードと? 連続殺人事件の記事を書いていた記者が、その殺人犯本人と一緒に車で移動してるっていうのか? いやいや、違う。それは変だ。俺たちは模倣犯と見て新聞記事を読み漁ってた奴がいないかと調べていて、この記者に行き当たった。記者が模倣犯って線はありえると思った。だが、ソガードが一緒となると話は別だ。模倣犯じゃなく、本物と共犯者ってことになっちまう」

 ネッドは混乱しているのか、途惑った表情で頭を掻いている。ジャクソンは眉を寄せ、サムに向かって「落ち着いてくれ」と云った。

「あんたの気持ちはわからないでもないが、道が違っていても目的地に近づけたなら、それでいいじゃないか」

 サムはありえないと椅子から立った。

「いや違う。ソガードじゃない。黒のマスタングってのはきっと偶然だ。そもそもそれは単なる噂話に過ぎないんだ。仮に噂が本当だったとしても、クロウリーが犯人でソガードと一緒にいるってのは解せない。奴の犯行じゃあ絶対にない」

「サム……サムがそう云うのは、犬のぬいぐるみの件があるからですよね? でも、ソガードが指南してクロウリーが殺人を実行してたと考えるなら、ありえなくもないんじゃ?」

 ネッドにまでそんなことを云われ、サムが言葉を失っていると。ドアが開き、図書館で聞き込みをするため散っていたチームが戻ってきた。

「そっちはどうだった。なにか収穫はあったか?」

「リストにある図書館はぜんぶ廻ったけど、六年前の新聞記事を読みに来た利用者はいなかったわ」

 チームでリーダーを務める紅一点、ボズウェルがそう報告をする。ジャクソンがたった今ここで話していた内容を返すと、戻ってきたばかりの四人は聞き込みに出る前とはがらりと態度を変えた。

「じゃあやっぱり模倣犯じゃないんじゃない。でも、新事実がわかったことには礼を云うわ。――ソガードが生存、共犯者を得て再び犯行を繰り返してる線で捜査を続けましょう」

「キャラハン、おつかれさん。さ、その部外者さんを外までお送りしてやりな」

 暗に出ていけと云われ、サムはむっとしながら捜査本部を後にした。



「――サム。……サム! 待ってくださいよ、なに怒ってるんです!」

「うるさい!! 俺は怒ってるわけじゃない! ふらふら意見を変える奴に呆れてるだけだ! 送ってなんかいらん、おまえは戻ってチームと捜査すればいいだろう、俺は現場からもう一度捜索し直す! エミリオを救けなきゃならんからな!!」

 激昂し、サムはネッドの手を振り解いた。ありえない。ソガードがクロウリーを共犯者にし、指南して殺人を行わせていたなど考えられないとサムは思った。そもそもソガードにとって殺人は、セックスの代替行為のはずだ。それを代わりの誰かにやらせるなど、まったく莫迦げた発想だ。

 外に出たところで立ち止まる。空はもう暮れ始めていた。今日、サムは昼前に軽くチリドッグを食べただけだが、空腹などまるで感じなかった。――これは意地ではない。頑固な年寄りのように意固地になっているわけではない。一連の犯行は模倣犯によるものだ。それは間違いない。他のどの図書館にも六年前の事件を調べていた奴がいなかったということは、犯人があの記者である可能性はさらに高まったといえるだろう。しかし、ソガードが関わっているなど、九九パーセントない。

「ねえサム、送ります。リックたちの様子も見に行ってやらなきゃいけないでしょ? メシだって食わないと。もう、黙ってないでなんとか云ってくださいよ。俺は別に、チームの肩を持ったわけじゃない。可能性がなくはないって云っただけですって」

 ネッドの言葉など、半分も耳に入っていなかった。サムは振り返らないまま、独り言のように云った。

「……俺は、俺の直感を信じる。これまでずっと、それでやってきた。おまえもおまえの思うようにやれ。そうしないと、結果がでたときに悔いが残るぞ」

 その言葉はネッドに云ったというより、自分を鼓舞するためのものだった。背後から溜息が聞こえ、足音が遠ざかっていく。サムは舗道を歩きだし、交差点に差しかかるとタクシーを拾おうと立ち止まった。辺りを見まわすが、時間帯が悪いのか、次々と通る黄色いセダンにはすべて先客が乗っているようだった。

 しょうがない。空車が通るのを期待しながら歩くか。そう決めてサムが再び歩き始め、三分ほどが経ったときだった。ビッグブロックエンジンの肚に響いてくる音が近づいてきたと思ったら、派手な赤いコンバーチブルがサムを後ろから追い越し、斜め前で停車した。

「乗ってください、リックたちとジョンが待ってますよ。俺も腹が減りました、今日はシーフードが食べたいっす」

 サム、旨い店を教えてください。そう云ったネッドにくそ、と口先を尖らせ、サムは助手席に乗りこんだ。

「……思うようにやれと云ったろう」

 外方を向いたままのサムに、ネッドは笑って答えた。

「俺は思うようにやってますよ。サムの直感を信じてついていけば、きっと事件が解決するって」

 その言い種に、まったくこいつはと呆れつつ、サムは流れていく景色を見つめた。





 『カプリッチオ』へリックを迎えに行き、煙草と香水の匂いが充満する暗い空間に足を踏み入れたとき。サムとネッドはレトロなペンダントライトに照らされている想像もしなかった光景に、ぽかんと口を開けた。

「おつかれさま、サム。ミゲルはジョンと一緒に楽屋で遊んでるんだ、呼んでくる」

 カウンターの中でそう云い、ステージの横手から裏へと消えたリックは、白いシャツに黒いベスト、蝶ネクタイというバーテンダーにしか見えない恰好をしていた。サムがどういうことかとトリニティに向くと、はふふんと得意そうな笑顔を見せた。

「ただ此処にいたって退屈じゃない。どうせなら手伝わないかって云ったら、仕事なら喜んでやるって云ったのよ。もう十七でしょ? そしたらまあ美少年、最っ高に映えるじゃない! ……あ、大丈夫よ、変なことは絶対させない。神とハーヴェイとゲイン署長に誓うわ。開店前のお掃除と、カウンターの中でグラスを洗ったり簡単なものを作ったりするだけよ。安心して」

 今日のトリニティはスパンコールが煌めくタイトなドレスに、まばたきをすれば風が起こりそうな付けまつげに濃い化粧、六〇年代のガールグループのようなこんもりと盛ったウィッグという恰好だった。ショーがある日なのだ。

「雇ったってことか? 給料も?」

「あったりまえじゃない。ちゃんと規定通り払うわよ。あの子真面目だし、うちもとっても助かるわ。衣装はサービス。就職祝いと思っておいて」

 通りに立つのをやめると約束はさせたものの、彼らの当座の生活費についてはどうするか、サムはまだ考えていなかった。トリニティのおかげで、とりあえず心配がひとつなくなったとほっとする。

「感謝するよ、トリニティ。本当にありがとう、この借りはきっと返す」

「なに云ってんの。あたしがあなたに借りを返してるのよ。……ところで」

 トリニティは振り返って店の奥のほうを見ると、すぐサムに向き直って顔を寄せた。「捜してる子はどう? みつかりそうなの?」

 サムは難しい顔をして、曖昧に頷いた。

「おそらくこうだろう、ってところには辿り着いた。俺は必ずみつけるつもりでいるが……」

 サムはそこで言葉を切った。真剣な表情で、トリニティがじっと目を覗きこんでくる。

「……無事かどうかはわからないのね。なにか事件に巻きこまれてるの?」

「そんなところだ」

「ねえサム。あの子は素直な、本当にいい子だわ。あなたならきっと友達をみつけてくれるって信じてる。でも期待が大きいほど、望む結果じゃなかったときに受けるショックも大きくなるわ。ちゃんと心の準備をさせてあげて」

 トリニティにそう云われ、サムは苦い顔で目を逸らした。

「ああ、わかる。わかってるよトリニティ。でもな、俺はこうも思うんだ……もしも奇跡のような幸運が訪れるなら、それは最悪の事態を覚悟していた者のもとじゃなく、無事を信じて待っている者のところじゃないかってな」

「じゃあ、それをそのまんまリックに云ってやんなさいな。あの子はいい子で、もうおとなよ。きちんと状況を報告して、そのうえで無事を祈ってやれって云うの。大丈夫、彼はちゃんとわかってくれるわ」

 トリニティに頷いたちょうどそのとき、着替えを済ませたリックがバックパックを手に、ミゲルとジョンを連れて奥から出てきた。

「おつかれさまー。じゃあリック、明日もおねがいね」

「はい! ありがとう、お先です。じゃあショーがんばって」

「またね、トリニティ」

「またねぇ、ミゲル。明日はお勉強の支度をしてらっしゃい。遊んでばかりじゃ退屈でしょ? 忘れないでね……んーんーんージョン、舐めちゃだめよー。マックスファクターのファンデーション、美味しいの? はいはい、いい子ね。また明日ね」

 どうやらジョンを筆頭に、リックもミゲルもすっかりトリニティに懐いているようだ。サムは初めて会ったときよりもややふっくらとした楽しそうな顔を見て、あらためてトリニティに礼を云い、『カプリッチオ』を後にした。

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